第12話 ガルムギア

 恋をしたことがないのなら、失恋の痛みも知らないということになる。レインは今まで『愛する人に嫌われる恐怖』を知らずに育った。両親や幼馴染たち、彼らはいつもレインの味方であり、気にかけてくれる。言動に翻弄されるなんてことはなかった。しかし……。


 リリーは違った。神聖グランヒルド帝国の皇女は少女のように愛嬌を振りまいていたかと思えば、次の瞬間にはたった一言で親衛隊の斬撃を止める。


──リリーがソフィアを止めなければ、ジョシュは死んでいた……。


 レインは丸い船窓ふなまどから砂漠を眺めた。『キースリング』は月光が降りそそぐウルド砂漠を静かに進んでいる。


──僕はただ見ていただけ……動揺してばかりだ。


 みんなに慕われる藩王はんおうになりたい……そう願っていても現実は上手くいかない。レインがもの思いに沈むと広い船室の片隅で本を読んでいたダンテが顔を上げる。


「レイン、また考えごとですか?」

「うん、まあ……」


 レインの表情はどことなく曇っている。ダンテは口元に優しげな笑みを浮かべ、小さくため息をついた。


──レインは気持ちがすぐ顔に出ますね……。


 ダンテは「そうですか」と答えながらジョシュへ視線を移す。ジョシュは船室のベッドに上半身を投げ出していた。胴体や肩の甲冑を脱ぎ、白い絹の衣服に着替えている。胸元のボタンを開け、しかめっ面で天井を見上げていた。


「それにしても、主従そろって斬られるのがお好きですね」

「うるせぇよ」


 ダンテが皮肉を言うとジョシュはすぐに反発する。ダンテは薄い笑みを浮かべたまま続けた。


「ジョシュ、本当に斬られていたらどうしたのですか? 相手はソフィア・ラザロ。『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』ですよ」

「『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』だ?」

「ええ。リリー殿下が傾国姫と呼ばれるように、ソフィアも『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』という二つ名を持っています。『四聖しせい』の一人に数えられる剣士ですよ」

「……」

「リリー殿下の幼馴染であり狂信的な忠誠を誓っているとか。リリー殿下のためにならないと判断すれば、躊躇なく斬って捨てるそうです」


 いつの間に調べたのか、ダンテはソフィアについて詳しく語る。ジョシュは「ふん」と鼻を鳴らして起き上がった。


「だからなんだ? 斬られたら、そのときはそのときだ。諦めるしかねぇだろ」


 ジョシュは大剣を持つと部屋の扉へ向かう。


「どこへ行くのですか?」

「『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』さまに紋章のことを聞いてくる」

「……斬られないように気をつけてください」

「だから、ダンテはうるせぇんだよ」


 ダンテがからかうとジョシュはぶっきらぼうに答えて船室を出ていく。その背中を見ていたレインは心配そうに眉をよせた。また余計なことを言ってしまうのではないか? と、気がかりになる。


「ジョシュ、大丈夫かな?」

「……レイン、彼が斬られることはありませんよ」


 ダンテは心配するレインよそに再び本を開き、視線を落とす。


「彼もいずれは『狼王の牙ガルムギア』となる男。ご主君の心配にはおよびません」


 ダンテは本を読みながら静かに答えた。



×  ×  ×



──やっぱ寒いな。何か羽織ってくればよかったか……。


 甲板かんぱんへやってきたジョシュは身を切るような寒さに震えながら辺りを見回した。戦列艦『キースリング』の甲板は広い。見回していると帆柱マストによりかかるソフィアを見つけた。約束した時間よりも早く来たつもりだったが、ジョシュは罪悪感を覚えた。

 

「よお、待たせたか? 悪い」

「いや、別に大丈夫だ。身体を動かしていた……」


 ソフィアはちらりとマストの横を見る。そこには数本の木剣ぼっけんが立てかけてあった。


「船の上でまで剣の稽古かよ。熱心だな」

「……早く用件を言え」


 ジョシュが感心しているとソフィアは質問を急かしてくる。ジョシュはソフィアの前に立つと単刀直入に尋ねた。


「さっき言った通り、レインを襲った刺客の鞘にはソフィアの剣と同じ紋章があった。紋章について教えてくれ」

「……これか?」


 ソフィアは左手で長剣を握り、鞘へ視線を落とした。


「これはゲルン鋼でできたつるぎ。そして、不死鳥の紋章は朝廷から下賜かしされたあかしだ。特別なもので5振りしかない」

「5振りだけ? それなら、持ち主も限られているな……」

「ああ、そうだ」


 ソフィアは長剣から手を放し、腕組みをする。


「帝国には剣聖とされる剣士がいて、その下に四聖しせいと呼ばれる剣士たちがいる。この5人がつるぎの持ち主だ」

「じゃあ、もしかしてソフィアは全員を知っているのか?」

「当たり前だ。全員がリリーの兄弟たちにそれぞれ仕えている。皇太子アレンには剣聖ゼノ・ハンニバル、皇姉こうしマリアにはバルダ・ハリ、皇兄こうけいソロンにはメルセデス・リュンガー、皇弟こうていテオには四聖ヴァイス・ベッツ、そしてリリーにはわたしだ」

「ややこしい名前ばかりだな。覚えられねぇよ……そうだ、そのなかにコイツに似たやつはいるか?」


 ジョシュは懐から絵師に描かさせた刺客の似顔絵を取り出し、ソフィアへ渡す。ソフィアは心当たりでもあるのか、似顔絵を見たとたん顔色が変わった。ジョシュはソフィアの顔を覗きこむ。


「ソフィア、こいつは誰なんだ?」

「多分、ヴァイス・ベッツ……ジョシュ、他に何か特徴はあったか?」

「帝都の貴族みたいに優雅なで立ちで、三胡さんこって楽器を持っていた」

「やはり、ヴァイスで間違いがないな……だが……」


 ソフィアは視線を似顔絵からジョシュへ移した。そして、不思議そうに首を傾げる。


「お前、ヴァイスと対峙して無事だったのか?」

「まあな。捕まえようとして手加減したのがまずかった。逃げられちまったよ」

「……手加減だと?」

「ああ。一思ひとおもいに首をねりゃよかった。後悔してる」

「……」


 ジョシュが残念そうに言うと、ソフィアは切れ長の目をいっそう細めた。値踏みするようにジョシュの全身を見回す。ジョシュはソフィアの視線に顔を顰めた。


「おい、なんだよ気味がわりぃな……」

「ジョシュ、わたしと立ち会え」


 ソフィアは立てかけてあった木剣を手に取り、ジョシュへ投げ渡す。ジョシュは木剣とソフィアを見比べながら戸惑うことしかできなかった。


「は!? いきなりどうしたんだ……」

「お前を見ているとヴァイスが逃げたとはどうしても思えん。立ち会って力量をはかってやる」

「冗談だろ?? 稽古なら一人でやれよ……」


 ジョシュは呆れ気味に呟いて頭をかく。しかし、ソフィアは大真面目だった。挑戦的な口調でジョシュを挑発する。


「わたしが勝ったら、リリーとレインの警護は皇女親衛隊が引き受ける」

「何を勝手なこと言ってんだ!? 俺とダンテはどうするんだよ??」

「知らん。皇女親衛隊に入りたいなら考えてやらんこともない」

「……」


 ソフィアは一方的に決めつける。ジョシュはだんだんと腹が立ってきた。


──この女、何様のつもりだ……。


 いくら腹が立っても昼間のように揉めるわけにはいかない。早くこの場を去りたいジョシュはちょっとしたことを思いついた。


「じゃあ、俺が勝ったらどうするんだ? 俺の望みを叶えてくれるのか?」

「そうだな……まずありえない話だが、望みがあるなら言ってみろ。叶えてやる」


 ソフィアもリリーと同じように気位が高い。ジョシュに望みを尋ねてきた。すかさず、ジョシュはにやりと笑いながら右手の人さし指で自分の耳を指さした。


「俺が勝ったら俺の耳を甘噛みしてくれよ」

「!? ……お前、変質者か??」

「ち、違う!!」


 ソフィアが怪しんで目を細めるとジョシュは慌てて首を振る。

 

「ウルドにはな、『新しく友人になった異性とは耳を噛み合う』っていう風習があるんだ。『自分の牙で相手を傷つけない』という意味で、親愛の情を示すんだよ」


 ジョシュはもっとらしく語るが、すべてデタラメだった。ウルドにそんな風習はない。そう語ることでソフィアがおとなしく立ち会いを諦める……と、思いこんでいた。


「いいかソフィア。ウルドに来るなら、ウルドの作法も尊重してくれよ。それが嫌なら立ち合いをあきらめ……」

「いいだろう」

「!?」


 言い終わらないうちにソフィアはうなずいた。ジョシュは驚きで目を丸くする。


「お前、条件を飲むのか!?」

「ああ。どうせわたしが勝つ。問題はない」


 ソフィアは木剣をジョシュへ向けて身構える。ジョシュの安直で場当たり的な発想は生真面目きまじめなソフィアに通用しなかった。  

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