第7話 箱庭の祭と老人

 蒼が住む屋敷周辺では今、賑やかな声が上がっている。それはこの世界での『祭』が今、催されているからだ。紅也はこの箱庭にこんなに人がいたものかと、最初は驚いていた。

「お祭りだから、すごく賑やかね……」

「蒼さんはお祭り、行ったことがないんですか?」

 紅也が聞くと、蒼はぐぬぬ、という情けない声を出した。

「ない。わね……。祭に縁がなかったっていう感覚がある、のよ」

 紅也はそれを聞いて、もしかしたらと思った。蒼は記憶がないと言っていたが、もしかするとどこかに現実世界の蒼の記憶がほんのりと残っているのかもしれない、と。

「それじゃあ、このお祭りをいっぱい楽しめるんじゃないでしょうか?」

「そうねー。まずはお店があるエリアに行こうかなって思うの。露店がいっぱいだし、食べ物もいっぱい……」

 えへへ、と笑う蒼は、まずはこれとこれをと狙っている食べ物の名前を上げている。美味しいケーキにお茶、そして数々の料理。それと――

「りんご飴が食べてみたいの」

「りんご飴を」

 りんごの周りに赤い水あめでコーティングした、現実世界のお祭りでよく見かけるあの飴。蒼はそれが露店にあると知って、食べてみたいと叫んでいた。紅也はその食べ物の名を聞いて、ほんの僅か表情を曇らせた。

「というわけで早く行くわよ!ほら!!」

「ええ~……」

 紅也は蒼の手に引かれ、祭が開催されている広場まで歩いて行った。道中、花で作ったトンネルや、人々が行き交う賑やかな声で進む度に祭の会場に近づいていると実感が湧いてくる。蒼は鼻歌を歌いながら、祭の会場を歩いている。

「蒼さん。楽しむ気持ちは良いことですが、ちゃんと周りを見て歩いてくださいね」

 ため息交じりに紅也はやれやれと蒼にそう諭す。ここ数日の蒼は、祭に胸が躍りすぎたのか屋敷内でそわそわとしながらこの日を待っていた。

「わかっているわ……わわっ」

 言わんこっちゃない、と紅也はため息をついた。案の定、誰かにぶつかってしまった。蒼はぶつかった人物にあわてて謝ると、その後「あ」という声を漏らした。

「ネロだ」

「よっす、蒼。元気してたか?」

 菓子屋の娘であるネロ。男のような口調に、いつも鍬を持ち歩いているのが特徴の彼女。祭といえど、やはり鍬を持っていた。相変わらず物騒だなと蒼は思うが、もうすっかり慣れてしまった。

「ネロはあれじゃないの?お店番は大丈夫なの?」

「ああ~、今休憩中。んでぼちぼちと祭の中を見てたんだわ」

 ネロは後ろにいる紅也を見て「よっ」と声をかけた。紅也もまた、軽く挨拶をする。

「この間は悪かった。すまんかったな」

「いいえ。……というかあの後、店番大丈夫だったんですか?」

 眠りの森から出た後、ネロは勢いよく走って帰って行ったのを紅也は覚えていた。

「あー。セウトかな。地味に間に合ったようで間に合ってない。そしてカーチャンに怒られた。以上」

 それでもへへっとネロは笑い飛ばす。紅也はこれを聞いて、やれやれと思っていた。

「紅也から聞いたけど、あの森へ冒険したのでしょう?いいなあ~」

「蒼さんは止めておきましょうね」

「えー」

 蒼は悔しそうな顔をしていた。今はまだ、あの森へは行ってはいけない。紅也はそう感じていたからだった。

 ネロとはここで別れ、蒼と紅也は再び祭りの会場の中へと進んでいった。会場の中央まで進むと、噴水広場があり、そこではみな特技や歌をそれぞれ披露している。綺麗な歌声をする女性や、手品のようなものをしている男性、そして子供たちがそれを見てわいわいと楽しんでいた。

「すごいわあ……。お祭りって本当に賑やかで楽しいわね」

「それはいいのですが、ここまでくると人がいっぱいいるので蒼さんは迷子にならないでくださいね」

「わ、わかっているわよ」

 そう言いつつも、蒼は今にも人混みに消えそうな状態だった。目移りするものが多く、彼女にとってそれは珍しく、刺激的に感じている。まるで酒に酔っているような感覚に近いのでは、と紅也は後ろで見守りながら思っていた。

「蒼さん、そっちは――って、蒼さん?」

 しまった、と紅也は思った。気づいたら蒼は人混みに飲まれ、そして視界から消えてしまった。紅也は慌てて周辺を探すが、どこにも蒼の姿がなかった。あったのは――

「あっれー紅也さんどうしたの?そんなに慌てて」

「あ。ロズさん……」

 蒼の友人の一人で、花屋の娘であるロズだった。

「蒼さんを見かけませんでしたか?さっきまでこの辺にいたんですけれど……」

 あららー、とのんびりとした口調でロズは言う。

「わたしは見ていないなあ。さっきここに来たばっかだし……」

 ロズも蒼を見ていないとなれば、この周辺にはいないのだろうかと紅也は睨む。すると、ロズの後ろから突然人影が現れた。

「よっ、お困りのようだなお二人さん」

「あら、ネロ」

「ネロさん。あの、蒼さんを見かけませんでしたか?」

 ネロはそれを聞いて、見かけていないと答えた。紅也はその言葉を聞き、がっくりと肩を落とした。

「……僕のせいだ。ちゃんと見ていなかったから……」

「まーまー。こんなお祭り騒ぎだったら、蒼さんそわそわしちゃうし仕方ないと思いますよ?」

「そーそー。しかもちっちゃかわいい女の子なら誰かに攫われ――」

 こら!とロズが横で怒った。悪い、と慌ててネロは返す。

「でもネロさんの言う通りもありますから……」

「まずは心当たりある場所、探してみませんか?蒼さんが行きそうな所とか……」

 それを聞いて紅也は心当たりある場所を思い出した。それはここへ来る前に行っていた、蒼の目的のお店。

「あります。ここへ来る前に、菓子とお茶が飲みたいと言っていましたから。それと露店も」

「そしたらそこにいる可能性があるってか。なら、皆で手分けして行こうぜ。見つかった見つからなくても、ここに集合な」

 紅也はネロとロズ達に申し訳ないと謝る。すると、二人はにっこりと笑うのだ。

「だって友達だしさ」

「放っておけないでしょ?」

 二人は急いで人混みをわけて、蒼を探しに行った。一人残された紅也は思う。現実世界でも、彼女の支えとなる友人がいたのなら、と。だからこそ思ってしまう、この世界にいた方が蒼にとって良い環境なのではないか、と。

「……僕も探しに行こう」

 紅也は今必要ではない考えを振って、蒼が言っていたりんご飴の露店へと向かうことにした。



 蒼は祭の会場から少し離れた場所にいた。紅也とはぐれ、彼を探そうとしたが自身では探しきれず、ひとまず休憩しようと会場から外れた場所へと移動していたのだ。

「……この箱庭ってこんなに人がいたっけ?」

 ベンチに座ってふう、と一息ついた。蒼はこの箱庭に沢山の人がいたという事実を把握していなかった。箱庭の主といえど、把握しきれていない部分もある。そもそも自分自身はいつから、箱庭の主になったのかと疑問を浮かべることがあった。いつからここにいて、いつから箱庭の主になったのか。それ以前の自分は一体何をしていたのだろうか、と。

「まあいいわ。とりあえず、紅也を探しに……」

 ふと、彼女の目の前に一人の男性の老人が通りかかる。その姿を見て、蒼はとくん、と胸を打つ。

――あの人、知っている。

 初めて見たはずの人を、彼女はなぜか本能的に『知っている』。そしてその人物は、蒼を見て微笑んでいた。その微笑みも知っていると、蒼は自身のあるはずがない記憶から叫んでいた。

 老人は蒼を一目見て、その場から立ち去る。だが彼女はなぜか『彼を追わなければならない』と、脳内でそう言っているのを感じた。慌ててベンチから立ち上がり、老人の背を追う。見た目のわりには歩くのが早く、元々走るのが得意ではない彼女にとっては苦しいものがあった。

 追いかけていくうちに、彼女は見た事のある場所へとたどり着く。そこは「眠りの森」だった。老人は「眠りの森」の中へ入っていく。蒼はそれを見て、森の中へ入ろうとしたが、待ってという聞き覚えのある声に止められる。

「蒼さん!」

「……紅也?」

 後ろを振り向くと、そこには紅也が立っていた。紅也はあの後、りんご飴屋には行かず会場から少し離れた場所から探し始めたところ、森がある方向へ走っていく蒼を見かけ、それを追いかけてきたのだ。

「蒼さん、やっと見つけました。……けど何故、祭の会場から離れてここへ?」

「えっと、男性の老人がここを入っていったの」

 老人、と聞いて紅也はその単語に反応を示す。ここは「眠りの森」。もしかしたら、蒼が見た老人というのは――空庭 藍一郎氏ではないかと紅也はそう思った。

「ここは昼間といえ、一人で入るのはよろしくないですよ。ネロさんとロズさんも貴女のことを探していたんですから、戻りましょう」

 だが蒼はずっと眠りの森の奥を見つめている。どうやら気になる様子で、漂う霧の向こうへ行きたいと願っていた。

「お願い。なんだか気になるの、あの人。それにおじいさん一人入っていったら危ないし」

「……わかりました。では僕も同行します」

 紅也は蒼と共に「眠りの森」の中へ入ることにした。森の中は相変わらず薄暗く、そして霧も出ている。二人ははぐれないように、互いの姿が見える距離にいた。道中何か現れるだろうかと紅也は警戒していたが、何も出る事なく二人は森の奥へとたどり着く。すると、そこには蒼が見たという老人の姿があった。だが紅也はあの老人をはっきりと空庭 藍一郎であることはわかっていた。

 そして紅也は老人の後ろにあるものを見る。それは以前、ネロ達と一緒に入った時に見た、あの祭壇だった。

「あの、そこの方。森の中で一人入って行かれましたけど、大丈夫ですか?」

 蒼がそう問いかけると、老人はゆっくりと振り向き、そしてこちらを見て微笑んだ。

『もうすぐ、この世界は消えてしまう』

 藍一郎から初めて言葉を発したその事実に、そばで聞いていた紅也は驚く。

『だから、早く。こちら側へ来なさい』

 そういって藍一郎は、光の中へと消えた。この場にいるのは、蒼と紅也二人だけとなった。

「……消えた、よね?」

「消えましたね」

 紅也はその瞬間を見逃さなかった。そして藍一郎が発した言葉に一言も逃さずに聞いていた。

「あの、さ紅也。私ね、あの人を見た時、どこかで会ったことがあるって感じたの」

「え……?」

 突然の言葉に紅也は思わず驚いてしまった。

「どこで会ったのかはわからない。でも、あのおじいさんを見た時にどうしてだが、懐かしい気持ちになった……」

 蒼は箱庭の主となる以前の記憶がない。言い換えればそれは、現実世界の蒼としての記憶が一切ないという話だ。だが、蒼が祖父の藍一郎の姿を見て何かを感じ取ったのならば。もしかしたらそれが、記憶を呼び起こす鍵なのではないかと紅也は考える。

「私、またあの方に会いたい。もう一度会ったら、多分何かわかる気がする。それにあの人が言っていた、この世界が消えてしまうっていうのも気になるし……」

 藍一郎に似た何かがはっきりと、この箱庭世界が消える運命であると告げた今、この箱庭世界での日常が間もなく幕を閉じてしまうのだろうと紅也は察する。そうなった場合、考えられるのは蒼が現実世界で意識が戻らずに、死に至るという可能性がある。

「とりあえず、ここから出てネロとロズがいる場所へ合流しましょうか」

「蒼さん、僕は一旦屋敷に戻ります。ちょっと忘れ物があるので……」

「そう、わかったわ」

 紅也は確認したいことと報告したいことが山ほどあると思い、蒼を祭の会場へ見送った後、彼は足早に屋敷へ戻ることにした。

 自室に行き、あの端末を取り出す。すると、紅也と緑都からメッセージが入っていた。そのメッセージを見ると、このVR箱庭世界が間もなく崩壊へ至ること、そしてこの箱庭世界から抜け出す方法が書いてあった。抜け出すにはこの特別イベントをクリアーすること。その条件を見て、彼は今こそ決めなければならない、と思った。

「……もう時間がない。僕は……」

 現実世界の紅也からのメッセージをみていると、最後に彼から私信のメッセージがあることに気づく。


――多分、蒼さんをここに残すかどうか迷っていると思う。箱庭の僕がもし、蒼さんを箱庭世界に残すというのであれば、僕はある方法を使って君に干渉する。僕は絶対に蒼さんを死なせたくはない。例え彼女にとって厳しい現実が待っていたとしても、だ。


 紅也は思わず手に持っていた端末を落とし、彼は静かにその場で涙を零した。


第7話 END

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