星空教室で会いましょう

ながやん

第1話「星見野まどかの小さな世界」

 中学生をやめて、もうすぐ一年。

 星見野ほしみのまどかはこの春、名目上は二年生になっていた。

 でも、もう学校には行っていない。

 その理由も今は、なんだかどうでもよくなっていた。

 そんな彼女の一日は長い。


「お母さん、お父さん。お店、手伝うねっ!」


 今日もまどかは、従業員に混じってエプロン姿で店に出る。

 居酒屋『星見の亭』は今日も大盛況だった。夜が空を塗り終える頃、大勢のお客さんが訪れる。食事の人もいるし、お酒が目的の人もいた。

 料理は和洋折中わようせっちゅう、和食と洋食も出れば中華だって作ってる。

 なんでもありの大衆居酒屋、それが星見の亭だった。


「悪いな、まどか! 早速オーダー取る方に回ってくれ!」

「わかった、お父さん」


 両親は、学校に行けとは言わなかった。行ったほうがいいとも言わず、何故なぜ行かないのかも聞いてこない。ただ、自分のための勉強は大事だし、毎日遊んでては暮らしていけないとは言ってくれた。

 そんな訳で、まどかは自称看板娘じしょうかんばんむすめとして忙しく働いているのだ。


「よっ、まどかちゃん! 今日もかわいいねえ」

八百屋やおやのおじさん、こんばんは。えっと、いつものって、もう注文しました?」

「いつものは、いつもまどかちゃんに頼んでるからねえ。じゃ、一つね!」

「はいっ! ご注文ありがとうございます」


 店は活気に満ちていた。

 ここでは町内の誰もが、笑って泣いてで日々のアレコレを発散している。

 商店街の人も、サラリーマン風の人も、にぎやかな店内では輝いて見えた。

 タバコの匂い、油の跳ねる音、お酒と料理との香り、行き交う言の葉。

 今日もお店は大繁盛である。


「お父さん、エビチリマヨ風味、一つ! マヨ多めで!」

「八百屋のおやじさんだね?」

「うんっ。あ、こっちは運ぶね? 冷めないうちに食べてもらわなきゃ」

「18番テーブルだ、頼むぞまどか」


 これも社会勉強だと思うし、やってみると意外と大変だ。失敗すればしかられるし、覚えることも多い。時には悪く酔ってしまうお客さんもいて、大人って大変だなと思うまどかだった。

 そして、そんなまどかももうすぐ大人になる。

 中学生というのはもう、世間的には大人の仲間入りだ。


「はあ……お店を継ぐのもいいかなって思うけど、ちょっと違うんだよね」


 忙しい合間に、ついつい考えてしまう。

 将来への不安と、ちょっぴりの期待と。

 そして、そこへと続く今をかえりみて、少し凹んでしまう。

 そんな時、中学校での出来事を思い出してしまう。

 トラウマというにはささやかな、それでもチクリと痛い尖った記憶だ。


「おーい、まどか?」

「あっ! う、うん! なに、お母さん?」

「先生がいらしたわよ。お店の方はもういいから」


 慌てて我に返ると、母の隣に女性が立っていた。

 ぼさぼさの蓬髪ほうはつで、ひょろりと背が高くて、なんだか凄く頼りない。それでも、眼鏡めがねの奥の瞳に強い光が輝いていた。

 みんなからは先生と呼ばれてるけど、実はどこの誰なのかは知らない。

 常連さんたちもわからないという、謎の人物である。

 その先生が、どういう訳だか毎日決まってお店を訪れる。

 そして、特別な授業が始まるのだ。


「やーやー、どもども! まどかちゃん、元気してた?」

「は、はいっ」


 駆け寄って見上げれば、凄い美人だとも思う。

 スタイルもよくて、今日は何故か上下おそろいのジャージを着ていた。

 ちょっとイモっぽい格好でも、店内にパッと花が咲いたような雰囲気である。それでいて先生は、しまらない笑みを浮かべながらボリボリと頭をかくのだった。


「あ、じゃあ、今日も奥をお借りしても?」

「どうぞどうぞ」

「いやはや、いつもすみませーん」


 星見の亭には、一番奥に特等席がある。

 もともとカフェだった建物を改築、増築してできた不思議な建物だったからだ。

 小高い丘の上に建つ店舗は、その奥にカフェ時代の広いテラスが残ってる。

 夜になると最近、誰ともなくこの場所に集まるのである。


 ――人呼んで、


 先生が気ままに気まぐれで授業してくれる、誰でも歓迎の教室だった。

 そして、なにもまどかのために始まったものではない。

 世の中には、学びたいという気持ちが満ちている。そしてそこには、国籍や老若男女の別はなかったのである。

 まどかと先生がでも、この星空教室の中心的な存在だった。


「おっ、もう始まるのかい? 待ってましたぁ! ほれ、行くぜ弟子」

「あ、まま、まてくだサイ、シショー。ワタシ、まだ食べてて」


 大工の棟梁とうりょうは最近、外国人の弟子を取ったらしい。師弟揃って星空教室に参加している。棟梁は、嘘か本当か小学校すらまともに出ていないと笑っていた。

 他にも、沢山のお客さんがテラス席へと移動する。

 今日も快晴、満天の星空がまどかたちを待っていた。


「んじゃま、各々やってきたこと持ってきてねー? なんでも見ちゃうよん?」


 徳利とっくり片手に手酌てじゃくで飲みつつ、先生は一番前のテーブルで笑ってる。

 皆、それぞれに家でやってきた課題を手にしていた。勿論もちろん、まどかも日中に自習してこなした問題集を持ってきている。

 皆で先生に並ぶが、赤ら顔の人もお客じゃない人も、笑顔だ。


「おや、まどかちゃん。今日はまた随分とやってきたのねえ」

「あっ、タバコ屋のおばあちゃん。こんばんはっ」

「はいはい、こんばんは。今日は外人さんも多いねえ」

「やっぱり、大人の人も勉強したくなることってあるんですね」

「私が子供の頃はまだ、女の子はなかなかねえ」


 ビール片手に並んでる黒人の男性は、算数と国語のドリルを持っていた。

 大工のお弟子さんは確かフランスから来た人と言ってたが、他にも様々な国の人がいる。

 それに、やっぱりこうしてみると大人ばかりだ。

 不思議に思うこともあるが、そういうもんなのだろうか? 外国から来た人はやっぱり、日本語での読み書きそろばんあたりが欲しいのだろう。

 日本人にも、若い頃に勉強できなかった人が沢山いると聞いていた。

 タバコ屋のおばあちゃんが「おや」と目を丸くしたのは、そんな時だった。


「新顔さんがいるねえ。とても若い……ふふ、まどかちゃんと同じくらいじゃないかい?」

「ほ、ほんとだ」


 長い黒髪の少女が、遠慮がちに目を伏せ並んでいた。

 とても綺麗な子だった。

 そして……その子はまどかが行かなくなって久しい、同じ中学校の制服を着ていた。

 それが、出会いで、始まりで、やがて初恋だと振り返る思い出なのだった。

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