ほんの少しの勇気――2

 昼休みになり、俺は自分の席で弁当を広げていた。


 今日の弁当の内容も、俺の好物が中心となっており、それに加えて栄養バランスも考えられた、最高のものになっている。


 だが、俺の箸はまったく進んでいなかった。原因はもちろん、雛野と天堂さんの仲たがいだ。


 俺の視線の先で、雛野がひとりぼっちで弁当をつついている。天堂さんグループのメンバーたち(天堂さんを除く)から一緒に食べようと誘われたが、天堂さんへの罪悪感からか、雛野は断ったのだ。


 悲しげに眉を寝かせ、いつもは伸ばしている背中を丸くしている雛野を、クラスメイトたちが不思議そうに、あるいは心配そうに眺めている。中学時代のように、またしても雛野がボッチになってしまったみたいで、俺の胸はズキズキと痛みを訴えていた。


「メシ、進まねぇのか?」

「あ……うん」


 一緒に昼食をとっていた岳の問いかけに、俺は溜息をこぼすように答える。


 岳が眉をひそめ、俺の視線を追い、ひとりぼっちで食事をとっている雛野を確認したあと、「なるほどな」と呟いた。


「雛野と天堂が仲違いしたんだな。お前が落ち込んでいるのは、その原因が自分にあるからってところか」

「……いますぐにでも、岳は探偵として食べていけそうだね」

「そりゃどうも」


 苦笑する俺の冗談に、どうでもよさそうな口調で岳が返す。


 それきり岳は口を閉ざし、食事に戻った。突き放したわけではないだろう。むしろ逆。岳は、俺が自分から事情を話すのを待ってくれているのだ。デリケートな問題だからこそ、俺を気遣ってくれているのだ。


 雛野といい、岳といい、俺はひとに恵まれているな。


 どこまでも人間ができている友人に感謝しながら、俺は打ち明ける。


「前の日曜日、天堂さんと雛野は遊ぶ約束をしていたらしい。だけどその日、プロット修正を手伝うために、雛野は俺とデートしてくれた。そこを天堂さんが目撃しちゃったみたいなんだ」

「天堂との約束を、雛野がドタキャンしたってことか?」

「ああ。そのとき雛野は、『親戚の集まりに呼ばれた』って嘘をついたらしい。俺がラノベ作家であることを隠すために」

「デートの真相を説明すると、お前がラノベ作家だってことに触れねぇといけないからな」

「けど、俺たちの事情を知らない天堂さんは、雛野に裏切られたと勘違いしてしまったらしいんだ」

「それでお前は、自分が仲違いの原因になっちまったと思って責任を感じているわけか」

「そういうこと」


 俺の話を聞いた岳は、腕組みをして頷く。


「なら、解決策はひとつだろ。デートの真相を明かせばいい。『自分はラノベ作家で、雛野は作家業の手伝いをしていただけ。嘘をついたのは、ラノベ作家であることを隠したいと自分が頼んだからだ』ってな」

「……そう、だよな」


 岳の指摘はもっともだ。俺もわかっている。この問題を解決するには、俺が秘密を明かすしかないことくらい。


 けれど、どうしてもためらってしまう。を思い出してしまうから。


 煮え切らない俺の態度を見て、岳が言った。


「黒歴史、か?」


 俺の肩がビクリと跳ねる。


「中三の修学旅行のときみたいになるのが、怖いのか?」

「……ああ」


 絞り出すような声で答える。


 そう。俺は怖いのだ。


「あのとき俺は、自分の不用意な言動で修学旅行を台無しにしてしまった。今回もまた、俺が変に動いたせいで、雛野と天堂さんの仲を余計にこじれさせてしまうんじゃないかって、不安なんだ」

「解決策がそれしかなくても、か?」

「ああ。俺、弁当を作らなくてもいいって雛野に言ったことがあるだろ? カラオケに行った日、音痴だから歌わなくてもいいって断ったことがあるだろ? どちらのときも、俺はよかれと思ってそう言ったんだ。けど、そんな俺の言動が、悪い結果を招いてしまった。だから、怖いんだ」


 修学旅行のあの事件で俺は学んだ。でしゃばってもろくなことはない。目立たず、控えめに、無難に生きるのが一番だと。


 今回の解決策はその真逆だ。仲違いの解決のためにでしゃばり、目立ってしまうリスクを負いながら、自分がラノベ作家だと明かす。全然無難な方法じゃない。


 だからこそ、踏み出せない。解決策がそれしかないとわかっていても、修学旅行の際のトラウマが、今日までの数々のやらかしが、鎖のように俺をがんじがらめにする。


「俺は、自分の言動でなにかを解決できるって、誰かの役に立てるって、信じられないんだよ」


 黒歴史を思い出したことで、俺の体がカタカタと震えはじめた。


 一息のを挟んで、再び岳が口を開く。


「たしかに、今回の解決策は、お前のトラウマをえぐるものだろうな」


 けどよ?


「そもそも、よかれと思ってお前がとった言動は、悪い結果招かなかったのか?」

「……え?」


 思いも寄らない指摘に俺は呆然とする。いつになく穏やかな声色で、岳が続けた。


「お前の言動が空気を壊したことはあっただろう。波風を立てたこともあっただろう。だが、それでもお前は善意で動いたんだ。だとしたら、お前の言動に助けられたやつもいるんじゃないか?」


 にわかには答えられなかった。肯定も否定もできなかった。そんなこと、考えたこともなかったから。


「どんな物事にも良い側面と悪い側面があるもんだ。お前は悪い側面に囚われすぎているんだよ。思い出してみろ。お前の言動は本当に、空気を壊すだけだったか? 波風を立てるだけだったか?」


 岳の言葉がトリガーになり、修学旅行の班決めの場面がフラッシュバックする。




 ――雛野、よかったらうちの班に入らないか?

 ――こっち来なよ。どこ回るか決めよう。




 俺に手招きされて、おどおどとしながらも雛野がこちらに来た。


 ほんのわずかだけ唇を動かして、雛野が囁くように言う。




 ……ありがとう、赤川くん。




「……あ」


 俺の口から声がこぼれた。


 どうして忘れていたんだろう? 岳の言うとおり、悪い側面に囚われすぎていたからだろうか?


 ようやく俺は思い出した。




 あのときの雛野、笑っていたっけ。




 そうだ。俺の言動は多くの悪い結果を招いた。けど、それだけじゃなかった。ちゃんと誰かを助けられていたんだ。


 そうだ。いま俺が動かなければ、雛野と天堂さんは仲違いしたままだ。なにより、ふたりの仲がこじれた原因は俺にある。


 だったら、俺が解決しないで誰が解決する? いま動かずにいつ動く?


 勇気を振り絞れ! 逃げるな! 恐れるな! 変わるならいましかないだろ!


 ギュッと拳を握りしめる。


 俺の顔つきを見て、岳が口元を緩めた。


「これ以上、俺から言うことはないみたいだな」

「ああ。ありがとう、岳」


 俺の心は決まった。たった一歩踏み出す勇気が、いま、ようやく湧いたのだ。

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