第11話 大司教様

「助けてくれぇ…………助けてくれぇ…………」

「死にたくありません!大司教様!大司教様!」

「大司教様ァ…………大司教様ァ…………」

「世界樹よぉ…………宇宙樹よぉ…………」


 老若男女の嘆きの声が、あちらこちらから聞こえてくる。

 暗い教会内部、身廊の両脇に並ぶ多くの寝台ベットには多くの罹患者が叫んでいた。

 教会の出入口の扉が開かれ、光が射し込む。


 ギィィ…………ギィィ…………。


 金属を地面に擦る音が響いた。金属が擦れる音と共に聞こえるのは、コツコツという足音だ。


「聖女様!離せよ!何で…………何で、何も言わないんだよ!?大司教様!」


 まだ幼い、男の甲高い声が外陣に木霊する。

 幼い男の襟元を手で掴み、もう片方の手で黒い片刃剣を床に引き摺った『大司教』は身廊を歩く。


「ヒィィィッ!!」

「嫌だッ!死にたくないッ!助けてください!大司教様!」

「大司教様!大司教様!」


 大司教を見た、或いは音を聞いた罹患者達は恐怖を抱き怯えていた。大司教を怯えているのに、大司教に救いを求める。大司教に救いを求めているのに、大司教に恐怖を抱く。罹患者達の発言は、矛盾していた。


 罹患者達の手足は枷を付けられ、天蓋付き寝台ベットの柱に鎖で繋がれ括り付けられていた。

 罹患者の手足は腐り落ちていたり、肥大化し獣のような手足になっていたりと幾つも症状が見られていた。

 灰を吸った事により化け物へ変化するが、罹患者達は直接灰を吸った訳では無い。肉や水、農作物などに染み込んだ灰を知らずに口に含んでしまった事による感染だ。

 感染とはいえ、病では無い。主な原因は世界樹ユグドラシルから降り落ちる『灰』にあって、動物由来感染症や伝染病では無い。


 症状の進行を食い止める手段は存在していない。患ったらそれが最後。今は衛生管理が徹底されているものの、患ってしまう人は少なからず存在する。何十万分の一の確率だが。

 それでも罹患者達を保護し、

 だと言うのに、罹患者達は怯えているのだ。


「大丈夫ですよ。皆さん。私が救って差し上げますからね?」


 大司教はくごもった声で、罹患者達に告げた。白い聖職者の装束、白い外套コート黒死病仮面ペストマスクを装着し、黒い片刃剣を引き摺って奥へ奥へと大司教は進んでいく。


「あぁ…………大司教様…………ぁぁ…………」


 その音や声に罹患者達は、救いを求めるように大司教と何度も口にする。

 大司教に連れられている少年は、罹患者達に怯えながらもジタバタと暴れた。


 大司教は右翼廊に向い、右翼廊の先端には祭壇が置かれていた。その祭壇の下に潜る形で、かつて地下墓地だった階段が続いていた。

 大司教はそこを進んでいく。


「痛てッ!痛てぇよ!大司教様!なんで、なんで黙って俺を連れて行くんだよ!?」

「…………」


 幼い男が大司教に襟元を掴まれながら、騒ぎ問い質す。階段を降りる度に、少年の臀部が強打する。

 しかし大司教は黙秘を続ける。何も言わず、ただただ下へ降っていく。


「なぁ!?聞いてんのかよ!?大司教様!俺が、俺が何したって言うんだよ!?」


 少年は自分がこれから何処に、運ばれるか知らない。この階段を降った先に、何があるのか分からない。いつも優しい大司教が、こんなにも荒業を行っているのか分からなかった。


 沈黙を続ける大司教に、少年は何度も問い掛けていた。


 そして階段を降りた先には、古びた石造りの外陣が広がっていた。仄暗ほのぐらい、陰鬱とした雰囲気を漂わせた空間。

 地上にある教会の身廊と比べると、年季の差が一目瞭然であった。こちらの地下にある広場の方が古かった。

 壊れた石柱や倒れた石柱、墓石などが様々な場所に放置されているように置かれていた。

 かつてここは地下墓地だったのだろう。


 地下墓地だった場所の最奥には、木の根が壁紙を突き破って生えていた。木の根には何十人もの屍が絡みついていた。

 その屍達は干からびており、文字通り骨と皮しか残っていなかった。


「な、なんだよ?ここ…………大司教様!俺…………俺怖いよぉ!早く帰ろうよ!」

「…………」


 少年は青ざめた表情を浮かべ、涙を流しながら大司教の脚にすがった。

 大司教は少年の襟元から手を離し、脚に縋る少年を仮面マスク越しに見た。


 ─────ごめんなさい。


「大丈夫です。私が近くにいますから、あそこの木の根の近くへ行ってください」


 大司教は少年への謝罪を内に隠して、脚に縋る少年に指示した。


「なんでだよ?あんな、怖い場所になんて、行きたくないよ!」

「大丈夫ですよ。何も怖い事はありません。神様が守ってくださいます」


 くもごった声で少年を説得させる。

 しかし怖いものは怖いのか、少年は泣いてしまった。


 ─────ごめんなさい。


「大丈夫です。大丈夫ですから、あそこに向かえば神が楽園へと導いて下さります」


 ─────嘘、そんな事はありません。


「ですから、行ってください。皆さんが待っています」


 嘘を少年へ告げ、謝罪と真実を内に隠して大司教は説得を繰り返し続ける。

 自分の嘘に吐き気を催しながら、繰り返し少年を説得させる。悲痛な表情を仮面で隠す自分に嫌気が差す。自分が憐れんで、嘆いていいのだろうかと。

 親を失い、孤児となった少年少女達を更なる地獄へ落とす自分が哀れんでいいのだろうか。


 ───────ごめんなさい。


「嫌だ!怖い!うわぁぁぁん!!」


 少年が泣く度に、大司教は内で謝罪の言葉を嘆息混じりに吐く。


 ─────私にはどうする事も出来ないのです。ごめんなさい。君達に罪はありません。あるのはこの私。そして…………聖王国。


「ほら、脚から離れてください。おまじないをしてあげます」


 大司教は少年に、脚から離れるように伝えた。

 それを聞いた少年は「おまじない?」と疑問符を浮かべながら、大司教の脚から離れた。

 大司教はしゃがみ込んで、少年と同じ目線になって少年を抱き締めた。黒い片刃剣を地面に置く。


「大丈夫です。何も起こりません。神からの授かりものを受けるだけです」

「ひっぐ…………か、神様からの?」

「はい。素晴らしいお力を授けて下さるのです。ですから、向かってください。そしてあの根に触れてください」


 大司教は先程の内容を改めて、恐ろしくないように変えて少年に伝える。

 大司教の暖かい温もりに安堵したのか、泣き止んだ少年は木の根を見た。


「なんで、あんなに死んでるの?」

「それは…………死んでいるのではなく、そういう見た目なのです。ですから、気にしては行けません。大丈夫です。私はここから見てますから…………行ってください」


 大司教の声は相変わらず籠っていたが、何処か憐れみを含んだ声色をしていた。

 何も知らない少年は、大司教の言葉を鵜呑みにして木の根に向かっていく。度々振り返って、大司教を見る。

 その姿に、胸が引き裂かれそうになる。


 ─────ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 少年は木の根に辿り着き、木の根に触れた。木の根に触れた事を伝える為に、大司教の方へ少年は視線を向けた。

 言葉通りに大司教は、先程と同じ場所にいた。

 少年は安堵し、手を上げて振る。

 刹那、木の根が伸びて少年の腹部を貫いた。


「え?…………」

「─────ごめんなさい」


 少年の口端から血が溢れる。

 木の根に少年の養分が吸われて行く。徐々に少年の身体が細く、干からびていく。瞼を失い、眼球が飛び出す。歯茎が無くなり、歯がポロポロと抜け落ちる。肉や血、水分を失い、骨が浮き出る。もはや、骸骨に皮を着させたように干からびてしまった。


 理解が出来ないまま世界樹の養分となってしまった少年に、大司教はただただ謝罪の言葉を告げるのだった。その声は震え、嘆いていた。


 コツコツと階段を降ってくる足音が、石造りの壁に反響して聞こえてくる。

 両膝を着いて、膨らんだ胸元に両手を組んで祈りを捧げる。

 階段から降りてきた聖女は大司教に声を掛けた。


「大司教様…………次の────」

「分かっています。分かっていますから…………」


 ─────だから、憐れむ事を…………悼む事をお許しください。


 大司教は少年の魂が無事に死の国へ行けるように、祈りを捧げた。

 祈りを捧げた後、立ち上がり聖女と共に上へと上がって行った。



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