第2話 陰陽五行

 背の低い岩山に、屋根の角がせりあがった円柱状のお堂がある。

 そこは瑞春堂ずいしゅんどう。外から見ると小さいが、中に入ると不思議と広く感じる。

 高い天井の下には丸い柱が並び、線香の香りがたえない。

 授業の時間になると、色とりどりの八角形のばんをにぎりしめた女の子たちが、ズラリと正座する。きちんと髪を結いあげ、きれいな服を着て。

 彼女たちの前で、きびしそうな女の先生が講義をするのだ。


答応とうおう娘娘ニャンニャンたち。今日も肉体のなかの五行ごぎょうの調和について学びましょう」

 

 


「ミドリ、起きて」


 リンにゆり動かされ、ミドリはようやく目を覚ました。窓がわりのうすい布の間から朝日がさしこみ、目にしみる。

 この岩山の中腹の建物で、リンと一緒に寝起きしていた。りょうのような場所らしい。


「もう朝?」

「私も寝坊しちゃった。したくしないと」


 リンはミドリの前で、数着の首のつまった華やかな服をかざす。


「何色がいい? 貸してあげる」

「じゃあ薄桃。リンはキレイな服をいっぱい持ってるね」

「お父様が買ってくれたの。髪もきれいにしてあげる」


 リンはミドリの髪に油をぬり、くしでとかして器用に結いあげる。


「リンのおうちはお金持ちなの?」

「まあそうね。でもここに来てる子たち、ほとんど名家出身よ」

「いいなあ。私も名家に生まれたかった。そしたら毎日ぜいたくしてさ」

「……いいことばかりでもないのよ」

「?」

「名家の者は自分で自分の運命が決められないの。自分の将来も。自分の好きな人も。それって悲しいじゃない?」


 暗い声だった。


「リン、好きな人いるの?」

「ふふ。秘密」

 



 教室の瑞春堂ずいしゅんどうに到着すると、すでに授業は始まっていた。

 扉のかげから、ミドリとリンはそぉっと中をのぞく。講義をしている先生がうしろを向いたタイミングで、お堂の中に入るのだ。

 先生の話は長く、なかなかスキがない。


「世界の基盤はいんの力とよう。その上の火、土、金、水、木の活力かつりょくが合わさり、自然は構成されているのです。あなたたち娘娘ニャンニャンのなかにも」


 何度講義を受けても、ミドリにはちんぷんかんぷん。ただ、娘娘ニャンニャンという呼び方は気に入っている。猫みたいでかわいい。


「多くの者は各力のどれかが偏っています。そこで自身の内側を見つめ、陰陽いんようや五行を自分の意志で操り、調和させるのです。その状態では八宅盤はったくばんを通じて力を発現させることが可能です。例えば……」


 先生は目の前に、エメラルドのような八角形の盤をかざした。

 あれが八宅盤。持ち主によって色がちがう。

 持ち主のそのときの陰陽五行のコンディションによって、色が変わるそうだ。

 先生の八宅盤はったくばんの緑は、だんだん空色に変わっていく。すると身体からだがふわりと宙に浮いた。

 生徒たちもミドリもリンも感嘆した。

 先生は宙をふわふわただよいながら、得意げに言う。


「あなたたちには今後も娘娘ニャンニャンとして、活力かつりょくの調和について学んでもらいます。そして神霊しんれいたる皇帝陛下に妃として仕えるの」

「わあ。すごい」


 女の子たちは目を輝かせた。


「さらに主席は皇后になれます。皇后こうごう娘娘ニャンニャンだけが皇帝陛下のいる天玉宮てんぎょくきゅうに昇り、神霊しんれいとなり陛下のおそばにいることが許されるのは知っているでしょうね」


 生徒のひとりが手をあげる。


「先生、天玉宮はどこにあるのですか? 見たことありません」

「この世界で最も高い山のいただきにあります。おふたり以外立ち入ることはできませんが、陛下の力がおとろえた場合、その御子おこである太子たいし様も立ち入ります」

「皇帝陛下も皇后娘娘も偉大な存在なんですね」

「ええ。かの宮から完全に調和し和合した陰陽いんよう五行ごぎょう活力かつりょくを、おふたりが地上にお送りするの。それで万民ばんみんが住む世界がよくなるのです」


 ミドリにはやっぱりよくわからないが、ひとつひっかかる。

 扉のかげからつい質問してしまう。


「先生、つまりそれって皇后になったら人間にもどれないってことですか?」


 宙に浮いた先生は調子をくずし、地面に落ちてしまった。

 リンにこづかれる。


「ちょっとミドリ」

「あ、ごめん」


 


 座学のあと、女の子たちは瑞春堂ずいしゅんどうから外に出、先生に引率されながら、断崖絶壁まで来た。しんがりのミドリとリンは、頭上に大きな石をせながら歩く。


「重いよー」


 半泣きのミドリとリンに、先生は冷たい。


「遅刻した罰です。さあ、一人づつ調和の実践練習をしてもらいます。調和のさせ方はさっき瑞春堂ずいしゅんどうで練習してもらったとおりです。おのおの八宅盤はったくばんを出して。あそこまで行きますよ」


 先生はみずからの八宅盤を取りだし、その色を水色に変化させる。

 ふわりと身体を宙に浮かせ、向こうの山のいただきの桃園とうえんまで飛んでいった。

 雲に乗り、楽器を奏でている女性たちがはやしたてる。彼女たちはミドリたちの先輩。常在じょうざいとか貴人きじんとか、上の階級があるらしい。

 最下級の答応とうおうの女の子たちは、それぞれの八宅盤をにぎりしめ、目をつむって念じたり、スーハーと呼吸をする。

 頭上の岩をおろし、ミドリもリンも八宅盤をにぎった。

 そこへリュウが通りかかる。


「あ、リュウ」

「リュウ!」


 ミドリとリンが笑って手を振るが、リュウは仏頂面だ。


「ちぇ。鉄仮面てっかめん


 リンの手の中の八宅盤の青がだんだんうすくなっていく。水色になったところで、彼女の身体からだはふわりと浮いた。


「あ、リンすごい」

「私はいんと水の気が多いから、ようと火の気を強くしてみたの。ミドリ、先行くね」


 リンはふわふわと飛んで、向こうにある桃園に足をおろす。


「私も」


 ミドリも自分の透明な八宅盤はったくばんをにぎる。

 この盤に色がついたことはない。それに透明な八宅盤なんて、ミドリ以外誰も持っていない。


「ま、異世界といえばチート能力でしょ」


 きっとミドリの力がすごすぎるから透明なのだ。空を飛ぶくらいわけない。

 余裕たっぷりに、がけから飛び降りようとした。

 桃園からリンがあわてたように叫ぶ。


「ミドリ! 活力かつりょくをちゃんと発動させて!」

「え?」


 足はすでに地面になかった。

 まっさかさまに雲の海に落ちていく。


「きゃああ!」

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