第11話 色彩

 翌朝の俺は機嫌よくメシを食い、花屋経由で病院へ向かった。病室には珍しく鍵が掛かっていて、でも俺を感知したのか『次は三日後に』と言っていた看護師がやって来る。

「なんで鍵を掛けてんだ?」

「面会の予定が無い場合は、保安のため施錠してあるんです」

「……チッ、三日後って指定したのはドコのどいつだよ」

「私ですが、ちょうど三日後にいらっしゃるとも聞いていませんでしたし」

「あー、可愛くねぇ女だな……まぁいい、保安が厳しいのは悪くねぇ。それより小夜の様子はどうだ?」

「だいぶ良さそうですよ」

 看護師は鍵と、ついでに小夜のカプセルも開いてくれた。まるでエレベータの扉みたいに。中から漏れた空気がだいぶ薬臭いのは、術後の処理の為だろうか。

 カプセルが開くと、小夜はひょこっと顔を出した。相変わらず無表情だが、俺をしきりに指さしてくる。

「あうあー!」

「お、元気じゃねぇか」

「あー」

 俺と小夜が雑談のようなものを始めると、看護師は去っていった。二人きりになったところで、俺は見舞いの品を取り出す。

「綺麗だろ、フラワーアレンジメントって言うらしいぞ」

「ああー?」

 どうせ重すぎて小夜には持てないので、小夜の傍まで小さめのフラワーアレンジメントとやらを持っていく。それは半球型に彩りよく薔薇やカスミ草、その他名前を知らない花が纏まっている一品だ。花は『おあしす』に刺さっているそうで、そいつに水さえやれば花瓶が要らないという話で気に入った。

 そのフラワーアレンジメントに対し、小夜はさんさん匂いを嗅ぎ不思議そうにしている。

「どーだ? いい匂いだけどメシじゃねぇのが判るか?」

「うー?」

「いろんな色があるだろ?」

「あー」

 次の瞬間、小夜は一番目立つ場所の白薔薇をぎゅむっと握りつぶす。そのまま引っこ抜いてまじまじと見つめ、指の隙間から落ちてゆく花弁に興味を示した。小夜は潰れた花を見たくなったのか、今度は茎の部分をぎゅーっと掴む。俺はしわしわの白薔薇を見て、最初に「あーあ、せっかく綺麗だったのによぉ」とがっかりし、そのあと「薔薇の茎にはトゲがあった!」と思い出した。

「おい、手は大丈夫か?」

 俺は小夜の手と薔薇の茎をチェックする。丁寧に処理してあったので手は無事だ。

 その間も小夜は薔薇の花弁をブチブチ千切っており、俺としてはさり気なく止めさせた方がいいのか、それとも好奇心を育てる為そのままにした方がいいのか判別不能。でも小夜が手のひらに残った薔薇の香りを「ふーん」という風に嗅いだあと舐めて不味そうにし、ベッドの上の花弁も一枚一枚拾ってはあちこちに擦り付けているので、そのままにしておいた。対象は何でもいい、興味を持つのは良い事だ。

 そのうち小夜は何かを欲しがった。しきりに俺に対して手を伸ばし「あーあー」言っている。それに対しての答えは簡単、たぶんクレヨンと画用紙を要求しているのだ。俺からマトモに与えた物は、今のところ小夜の傍で放置状態のフラワーアレンジメントと、クレヨン、画用紙しか無い。

 俺がクレヨンの箱を開けると、小夜は真っ先に白を手に取った。画用紙も白だから映えないとは思うが、黒以外を塗る気になってくれたのは嬉しい。

「さ、描いてみな」

 俺は画用紙をベッドに置く。小夜が白のクレヨンを走らせると、まぁもちろん何も描けない。そこで俺は薔薇の茎を見せてやった。小夜は白いクレヨンを放り出して黄緑を手に取り、今度はご機嫌で黄緑のミミズを量産している。

 その傍らで、俺はじーんと感動していた。

(すげぇ! クレヨンと画用紙をねだってきた! 花弁や茎の色も認識してらぁ!)

 まぁその後すぐに見回りの看護師が来て、生花は衛生上の問題から控えろとか、ベッドまで汚させて、などなど俺はメチャクチャ怒られるのだが。奇跡の存在とかいう肩書きも、看護師には通じなかった。コイツらは基本的に凄く強い。患者第一という面では俺よりも強い。なのでフラワーアレンジメントは哀れにも処分されてしまう。しかしフラワーアレンジメント、特に白薔薇よ。お前は充分役に立ってくれた。今日は一歩前進という感じだ。

 ただ、昼メシでは悲しいまでの汚い食いっぷりを見せられたので「どこが一歩前進だよ」と泣きたくなる。これは教える奴が居なかったから仕方ないので、俺はフォークとスプーンを使うよう指導した。

「いいか? 人間はなぁ、こうやって食うんだよ」

 俺は小夜にスプーンを持たせる。案外と上手く行ったのは、メインがシチューだったからだ。これは手掴みだと食べづらい。

「よしよし、上手いぞ!」

「あー」

 小夜の口の周りと食事用のエプロンは酷い有様だが、この際どうでもいい。


 こんな事をしていたので、面会可能な一時間はすぐに去って行った。俺はカプセルを閉じに来た看護師に、この間は通らなかった注文をしてみる。カプセル内に画材一式を置いてくれ、という物だ。俺が医者に「多少の好き勝手はしてもいい、と言われているのに断られた」という苦情を入れておいた為か、すぐに了承される。

 小夜はカプセルの中でミミズを描いていたが、やがて黄緑のクレヨンを放り出して眠った。そのクレヨンは、手から離れた勢いで転がり、カプセルの隙間に入り込む。

(おー、これで黄緑は使えなくなったな。目が覚めて絵が描きたくなったらどうすんだ? 他の色にするよな?)

 俺はどきどきしながら教会へ戻る。明日、俺が顔を出した時には、どんな色のミミズが待っているのだろうか。「黒に戻りませんように」とカミサマに祈りたい気分だ。

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