第2話

七夕たなばた佳乃子さんで間違いないですか?」


 声を掛けられて視線を向ければ、そこには髪の赤い女が立っていた。

 ベンチに腰掛けたまま頷くと、パッと花の咲いたような笑みを彼女は浮かべる。

「スタジオリリーの金山です。今日はよろしくお願いします!」

 紺で揃えたポロシャツと短パン、赤いボブと、活発そうな印象をまず抱くはず。

 なのに何故だろう──愛らしい女だ、なんて無意識に思っていた。

 浮かべた笑みか、顔立ちか、華奢な身体か、はたまたそれ以外の何かか。

 内心首を傾げながら、よろしくと返した。

 最寄駅から四つ離れた場所にあるその公園は、フォトスポットとしてはそれなりに名が知られており、五月も半ば、暖かな色合いの花が至る所に咲き乱れている。

 平日の正午前、子供達のはしゃぎ声は聴こえてくるが、私が彼女と待ち合わせていたベンチの周囲にその姿は見えない。ただ、いつ来てもおかしくはなかった。

「さっそくだけど、撮ってもらってもいい?」

 変なことを言ったつもりはないけれど、少し驚かれた。

「あの、ご準備とか」

「大体は済ませてる。これでお願い。……それとも、どこかおかしい?」

 一応、ネットでふさわしい格好を調べて、それに近いものを着てるのだけど。

 淡い青のノースリーブワンピース、その上に羽織る白のカーディガン。普段は縛っている黒髪も今日は下ろした。

 視線は徐々に下へ行き、水色のパンプスが目に入る。

「いいえ、全然! 素敵です、そのまま!」

 私を見ないでください、目を伏せてくださいと指示が飛び、その通りにしていく。

 流れるように撮影は始まった。

「あーその顔いいです、最高です。ちょっと髪の毛顔にあたってるんで、耳に引っ掛けてもらっていいですかね?」

 何枚も、何回も、位置を変えたりしながら彼女は撮ってくれる。

 私よりも若い彼女、それでも相手はプロなのだ。

 どんな出来になるのかと、心が踊るのは仕方ないこと。


 その結果として、どんな男が釣れるだろうか。


「うちのスタジオ、どういう経緯で知ったんですか?」

 撮りながらふいにそう訊かれ、隠すようなことでもないので素直に答えた。

「ネットで、マッチングアプリ用の写真を撮ってくれそうな所を探して、それで目についたのが貴女のスタジオ」

「そうなんですね、本当にこのたびはありがとうございます! 七夕さん撮りがいのある美人さんだから、ちょっと撮りすぎちゃうかも」

「そう」

 よく回る口。でもきちんと手を動かしている。

「マッチングアプリが流行って、こうして写真を撮らせて頂く機会が増えて、本当に助かりますよ。あ、頬杖ついてもらえません? ……ありがとうございます素敵です! 七夕さんも流行に乗った感じですか?」

「え?」

 思わず顔を上げそうになり、「あ! そのまま!」と制された。

 流行に乗った。

 確かにそうだ、そうとも言える。

 えぇ、そうよと、答えればそれで終わり。

「……男がいたの、でも別れた」

 けれど口は、違う言葉を吐き出す。

「女ができたそうよ、大事な女だって。だから私も作ろうかと思ったの。もう落ち着いてもいい頃だしね」

 男は同じ職場の一年先輩で、時折夜を共にする関係だった。

 ありきたりな話、二人で飲みに行って、酔って、目が覚めたらベッドの上。

 男は何も覚えていなかったけれど、私は全部記憶に残っている。

 誘ったのは男、乗ったのは私。

 男は頭を下げながらも次を望み、拒む理由も特になかったから、ずるずると、気付いた時には五年。

 女の五年は重いと聞かなくもないけれど、男は責任を取ることもなく、いやそもそも取るような責任もなく、私とは違いきちんと交際していたらしい女に子供ができて、そっちの責任を取ることになり、それっきり関係はない。

 結婚しても子供がいても、この関係を続けたいとか言われていたらさすがに怒っただろうけれど、そういうことはなかった。

 色事とは無縁の日々。

 そんな時にふいに、マッチングアプリの広告が目に入る。

 嫌な話を聞く。

 でも、良い話も聞く。

 やってみようかと、ふと思い、始めようとしたら、『写真はプロに任せた方が効果的』という文言を見つけ、そのプロを探し──赤毛の彼女と出会った。

「ごめんなさいね、こんな話。ありきたりでつまらなかったでしょう?」

「……そんなことないです」

 シャッター音が止んだ。

 視線を向けたくなったけれど、また制されるだろうからそのままでいたら、手が、誰かの右手が、視界に入る。

「貴重なお話、ありがとうございます。次は歩いている所、撮らせてもらえませんか?」

「……ありがとう」

 その手を取って、腰を上げた。

 通路や花壇の周囲、そういう所でいくらか撮って撮影は終わり。

 それで、はいさよならかと思ったら、私は彼女とカフェにいた。

 公園に近い所にあるカフェのテラス席。彼女はウィンナーココアで、私はカフェオレ。

「今日撮らせてもらった写真は、男性カメラマンの意見をもらいつつ、四枚か五枚ほど選んで送るので、楽しみにしていてください」

「えぇ」

 せっかくなのでランチに行きましょうよと誘われて、デザートまで食べ終わり、まったりしている所だ。

 それとなくした雑談は時に小さな笑いをもたらし、端からだと、仲の良さそうな友人同士でランチを共にしてるように見えたはず。

 実際は、撮って撮られての薄い関係性なのに。

 私が何を考えていようと、気にせず彼女はココアのホイップを崩していき、ボソッと、好きなんですよと呟いた。

「人や、鳥の写真を撮るのが、昔からすごく、好きなんです」

「そう」

 そんな話をどうして私に? いやまずは話を聞こうと、疑問をカフェオレで押し流す。

「今度、写真のコンテストがあって、そのモデルを探していたんです」

 カップを置きながら、何となく、次に何を言われるのか分かった。

「七夕さん……モデルに、なってくれませんか?」

「……」

 くるくると回るカフェオレの表面。

 ぼんやり眺めて、返事を遅らせる。

「あの、七夕さん?」

 ここで断ったら、もう、彼女と会うこともない。

 撮って撮られての薄い関係性。

 そう思うと、少し、惜しい気がしなくもない。

 彼女は好ましい人だ。

 この関係の濃度を少しくらい高めても問題ないと、そう思えるくらいには。

「いいわ、引き続きよろしく」

 なんなら、友人関係に発展することも、悪くないかもしれない。

「いっ……いいんですかっ! 断られるかと思いましたよ! ありがとうございます! やった嬉しい!」

 拳を握り締めて激しく上下する様は、口にはとても出せないけれど、齢一桁の子供みたい。

 とても、愛らしい。

「お礼にここの代金、払わせてください!」

「いいわよ、自分の分は自分で払う」


 そうして私は彼女と会うようになり、撮って撮られての関係性は、徐々に濃度を高めていった。

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