冷たい人々

 チャイムが鳴った。

 僕はインターフォンのボタンを押して、「はい」と通話に応じた。


 僕の住んでいるアパートはオートロックで、共同の玄関の外にインターフォンパネルがついている。来客はそこで部屋番号を入力し、特定の部屋のチャイムを鳴らすわけである。


 しかしこのインターフォン、遺憾ながらカメラがついていない。ゆえに、相手の姿を映像で確認することができない。通話するまで、相手が誰か分からないのだ。


「NDKです」


 スピーカーから流れてきた男の声を聞いて、僕はげんなりした。

 

 NDK。

 日本電波協会。公共放送を行うテレビ局だ。その収益は、広告収入ではなく、国民の自主的な受信料の支払いによって支えられている。


「すみませんが」

 僕は言った。

「うちはテレビがないんです」

 

 これは本当のことだ。僕はテレビを所有していない。テレビがなければ、NDKに受信料を払う必要はないはずだ。


「ワンセグ付きのスマホも持ってません」

 僕は相手の言葉を先回りして言った。


 彼らは必ず二言ふたこと目には「ワンセグ機能付きのスマホも徴収の対象です」的なことを言う。


「そうですか」

 集金人は言った。

「しかし、そこを何とかなりませんかね? 私ね、娘にピアノを習わせてやりたいんですよ。そのためにお金が必要なんですよ。うちら集金人は歩合制でしてね、契約を取れた数に応じて給料が増減するんです」

 

 そんなこと知るかと怒鳴りつけてやりたかったが、ぐっとこらえた。


「そう言われましても、テレビがないんですよ」


「そこをなんとか」


「もしかして、僕が嘘をついていると思ってますか? もしそうなら、家の中を見せてもいいです。僕は本当にテレビを持っていないんです」


「そんな、滅相もございません。嘘を疑ってなど」


「でしたら、お帰り下さい」


「ですが――」


 僕は通話を切った。しつこい奴は大嫌いだ。

 せっかくの土曜日。頼むから邪魔をしないでくれ。


 僕は布団に横になって、スマホのゲームを再開した。

 

 ドタドタ……。

 

 隣の部屋が騒がしい。

 かすかに怒鳴り声も聞こえる。

 最近ずっとこんな調子だ。

 隣の部屋に誰が住んでいるのかは知らないが、これが続くようなら不動産屋に苦情を入れた方がいいかもしれない。


 一時間ほど経っただろうか。また、チャイムが鳴った。

 

 僕はインターフォンのボタンを押さないわけにはいかなかった。

 なぜなら今日、amazonから荷物が届く予定だからだ。オプション料金をケチって時間指定はしなかったので、何時にくるかは分からない。ゆえに、チャイムを鳴らす者は全て確認しないといけない。


「はい」

 僕は通話に応じる。


「NDKです」

 

 一時間ほど前に来た、あの集金人の声だった。


 僕はあからさまにため息をついた。


「どうかお願いします」

 集金人は言った。

「契約をしてください」


「何度も言っているように、僕はテレビを持っていないんです」


「持っていなくてもいいじゃないですか」


「は?」


「せいぜい、月々二千円ちょっとです。それくらい、私の為だと思って我慢してください」

 

 こいつ、自分が何を言っているのか分かっているのか……?


「名前を教えてください。NDKにこのことを伝えます。テレビを持っていない人間に無理やり契約を迫る迷惑な集金人がいるとね」


「それは困ります。私には大切な娘がいまして――」

 

 僕は通話を切った。

 そして最悪な気分でコーヒーを作り、いらいらしながらすすった。


 十分後、またチャイムが鳴った。

 

 今度こそamazonからの配送であってくれと願いながら、通話に応じた。


「NDKです」


「いい加減にしてください!」

 僕は怒鳴りつけた。

「あんたの娘のことなんて知ったこっちゃないんですよ。何がピアノを習わせたいだ。カスタネットでも叩かせてろ! 次来やがったらマジで警察呼ぶからな!」


「……人間とは、なんて冷たい生き物なんでしょう」

 集金人は、にわかに悟ったような口調で言った。


「は?」


「どうしてあなたたちは、他人を思いやれないのですか? どうして二千円ぽっちを払ってくれないのですか? 私の生活がどうなってもいいのですか?」


 僕は背筋が寒くなった。この集金人、何かおかしい。ふつうじゃない。


「私は大切な娘を養っていかないといけないんです。ピアノも習わせてやりたいんです。そのためにはお金が必要なんです」


「……申し訳ないけど、力にはなれません」

 すっかり怒りが萎えてしまった僕は、諭すように優しく言った。


「そうおっしゃらず、お願いですから……。いま契約して頂けたら、特別オプションとして……」


「結構です」

 

「そんな……。ひとまず説明だけでも聞いてくださ……」


「結構です。お帰り下さい」


「あなたは冷たい人だ」

 集金人は言った。

「いや、あなただけじゃない。世の中、みんな冷たい。小さな声に耳を傾けようとしない。こうして必死に助けを求めているのに、聞く耳を持とうとしない。全てが他人事。ああ、どうしてこんな世の中になってしま……」


 僕は通話を切った。

 そして布団に寝転がって、ぼんやりと天井を眺めた。何だかひどく疲れてしまった。


 ……気が付くと、窓の外はすっかり暗くなっていた。どうやら眠ってしまっていたらしかった。

 枕元のデジタル目覚まし時計は、深夜1時を表示している。

 

 そこで僕は、チャイムが鳴っているのに気付いた。

 

 今度こそamazonだろうと思い、僕は立ち上がる。

 いまは真冬だ。布団から出ると、張りつめた冷気が僕を熱烈に歓迎してくれた。

 僕は身を縮めながらインターフォンのそばに行き、通話ボタンを押そうと手を伸ばした。


 しかし、そこで気づいた。

 

 こんな遅い時間に、配達人がやってくるだろうか……? いまは深夜の1時だぞ……?


 チャイムは鳴り続けている。

 

 チャイムを鳴らしているのは、NDKのあの集金人ではなかろうか……?

 

 チャイムは鳴り続けている。

 

 間違いない。

 一階の共同玄関の前で僕の部屋を呼び出している人間の正体は、あの集金人だ。でも、なぜこんな時間に……?

 

 チャイムは鳴り続けている。


「……狂ってる」


 僕はインターフォンの電源を落とした。これでもう、僕の部屋のチャイムが鳴ることはない。


 僕は暖房をつけ、冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。朝まで起きていようと思う。どうせ日曜日だ。夜更かししても問題ない。

 

 起きているつもりだったけど、けっきょく僕は眠っていた。目覚めると、昼を過ぎたあたりだった。


 とつぜん、ノックの音が鳴り響いた。誰かが、ドアを強い力でどんどんと叩いているのだ。

 

 まさか、集金人か……?


「すみません。お留守ですか?」

 

 ドアの向こうから、男の声がしみ込んでくる。その声は、昨日聞いた集金人のものとは違っているように思えた。

 

 僕は恐る恐るドアに近づき、魚眼レンズを覗いた。

 

 ドアの前にいたのは、背広を着た若くてハンサムな男だった。その整った身なりの男が、昨日のいかれた集金人と同一人物だとは到底思えなかった。

 

 僕はドアを開けた。


「お休み中申し訳ありません」

 背広の男はそう詫びてから、懐から警察手帳を取り出して見せた。


「刑事さん……?」


「ええ、実はですね、ちょっとお話を伺いたくてですね」

 そう言うと刑事は、顔を隣の部屋のほうへ向けた。

 

 僕は彼の視線を辿った。

 

 隣の部屋には、同じく警察と思われる人が数名出入りしていた。


「何か事件が?」

 僕は尋ねた。

 

 刑事は説明してくれた。

 隣の部屋には、まだ幼い女の子と、その母親が二人で暮らしていた。そして昨夜、母親は何らかの理由で怒りを爆発させ、娘を外に放り出してしまった。その娘は下着一枚の姿だった。とうぜん、真冬の夜をやり過ごすことはできない。娘は凍死体となって、今朝発見された。母親は逮捕された。


「なんて、むごい……」


「ええ。あまりに残酷すぎます。娘さんは、まだ4歳だったんです。虐待は日常的に行われていたようです」

 

 僕は悟った。

 隣の部屋から日ごろ聞こえてきていた騒音。それは、母親が娘を虐待する際に生じる音だったのだ。


***


 数日後。

 

 その虐待死事件はセンセーショナルに報じられていた。

 最近、胸糞悪い虐待死事件が立て続けに起きており、世間の注目度はことさら高かった。

 

 ネットニュースを開くと、事件についての新しい記事があがっていた。

 

 記事曰く、娘さんは寒空の下に放り出されたあと、共同玄関の外のインターフォンパネルで、全ての部屋のチャイムを順番に鳴らしたのだそうだ。その事実がしっかりと、インターフォンの履歴に残っていたという。


「まさか……」

 

 僕は真相を悟り、悲鳴を上げそうになった。

 あの夜、僕の部屋のチャイムを鳴らしていたのは、NDKの集金人なんかではなかったのだ。


 チャイムを鳴らしていたのは、凍えながら必死で助けを求める、娘さんだったのだ。

 

 誰か助けて。寒いよ。お願い、誰か助けて……。

 彼女は、そう願いながら、部屋のチャイムを順に鳴らしていった。

 でも、誰一人応える者はなかった。


 NDK集金人の言葉がフラッシュバックする――。

 

 ――人間とは、なんて冷たい生き物なんでしょう。



<終>

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