恋愛調味料

蒼樹里緒

第一話

 カカオに砂糖にミルク、それに加えて魔物から採取した特殊な物体がたんまりと積もった室内は、いつにもまして甘ったるい匂いに満ちている。

 それでも、私は全く苦にはならない。重たい材料を軽々と持ち運んで丁寧に並べていくロベルタお姉様が、今日もお美しいから。

 よし、と満足気に微笑んだお姉様は、一息ついて額の汗を拭った。

「これで、依頼の分は全部だな」

「うん。さすがロベルタ、力持ちだね。ありがとう」

「なぁに、大したことはしていないさ」

 ともに旅している少女――ニーナさんにも、お姉様は優しく笑いかける。

 私の隣にいるユリアちゃんと魔鳥のキュイさんも、辺りを感慨深げに見回した。

「すごいですー! これだけ材料があれば、チョコレートもきっといっぱい作れますよねっ」

「だな! なぁ、ニーナ。オマエはチョコ作らねえのか?」

「え、私? んー……自分でやるよりは、みんなが作るのを手伝いたいかな。みんなで食べたほうがおいしそうだし」

 無邪気に答えるニーナさんは、お姉様が認めた人というだけある器量を、仲間にも自然に見せている。

 その姿勢に感銘を受け、私も同調した。

「素晴らしいお考えですね、ニーナさん。よろしければ、私のチョコレート作りも後程お手伝いいただけますか?」

「もっちろん。サーシャさんの作るチョコも、すごくおいしそうだもんね」

「わ、私もがんばって作りますね! 楽しみです」

「うん、ユリアのも喜んで手伝うよ」

「あー、皆。盛り上がっているところ、申し訳ないんだが……」

 こほん、とお姉様が一つ咳払いをした。

 私は、一歩前に進み出て微笑む。

「はい。何でしょうか、お姉様」

「実は――今回は私もチョコ作りをしてみようと思うんだ」

「えっ、ロベルタが!?」

「オイオイ、だいじょうぶかよ……」

 私にとっては想定通りのお答えだったけれど、ニーナさんとキュイさんは驚きと不安を隠さなかった。お姉様の料理の腕を知っているのなら、無理もない。

 お姉様は、自信ありげに答える。

「そんなに心配するな。チョコ作りは初めてじゃないし、腕によりをかけて作るから」

「いや、そういうことじゃなくてよぉ……」

「わーい! ロベルタのチョコも、とっても楽しみですっ」

「ありがとう、ユリア」

 彼女たちの懸念けねんは、もっともだ。純粋に喜べるユリアちゃんは、おめでたい脳と愉快な味覚を持っているようだけれど。

 それでだな、とお姉様は表情を改めた。

「報酬として、材料の一部を受け取っても構わないと依頼人からも言われたが、量が少し足りない気がするんだ。依頼を終えたばかりで本当にすまないが、君たちには不足分の材料を入手してきて欲しい」

 お姉様がチョコレートを作るともなれば、それを渡す相手も当然いるはず。

 お姉様は誰にも渡さない――何としてでも、この機に乗じて突きとめなければ。

 ニーナさんが、気楽に笑った。

「なーんだ、そういうことね。私もまだ全然疲れてないし、お安い御用だよ。ね、ユリア、キュイ」

「はい! 私も、ちょっとずつ自分の材料を集めてみたいですし」

「ああ。みんながうめえチョコを作るためなら、魔物くらい何匹でもやっつけてやるぜ!」

「そうですね。不肖、このサーシャも、お姉様のために必ずや最高級の材料を手に入れてまいります」

「皆……ありがとう」

 私たちの顔を見渡し、お姉様は安堵の微笑を湛える。

 その手を、私は両手でそっと包んで見上げた。


「お姉様が心配なさるようなことは、何ひとつございません。この私にすべて……すべてお任せください」

「サーシャも、ありがとう。いつもすまないな」


 ――嗚呼ああ、お姉様……!

 お姉様の優しげな赤茶の瞳に見つめられるだけで、つま先からじんわりと甘い微熱が這い上がってくる。お姉様に喜んでいただけるのなら、たとえ火の中、水の中。

 あらかじめ用意していた料理本を、私はどっさりと机上に積み上げた。

「では、私たちの帰還をお待ちいただく間、こちらのチョコレートの作り方すべてにお目通し願います」

「え、レシピなんて見なくてもだいじょうぶだろう。初めてじゃないんだし」

「いいえ、お姉様。たかがチョコレート、されどチョコレートです」

 声も表情も真剣に、私は訴える。

 万が一、お姉様が普段の調子で作ったチョコレートでパーティーメンバー全員がほぼ瀕死状態に陥るなどという危機的状況は、極力回避したいのだから。それに、お姉様には是非ともこの機会に上達していただきたい。

「毎年流行も変動する上に、こだわり抜かれた材料で作られるのが当たり前のこのご時勢……。その中で他者とより差をつける個性を出すためには、数十種類以上のレシピを吟味し、ご自分の目的やイメージに沿う最適なやり方で実践なさるのが一番かと」

「ふむ……確かに一理あるな。そこまで考えてくれたなんて、さすがだな、サーシャ。念のため、じっくり読むことにするよ」

「ありがとうございます。お姉様のために、当然の準備をしたまでです」

 ニーナさんとキュイさんが、背後でほっと息をついたのが伝わってくる。

 お姉様から材料の大体の必要量を聞き、じゃあ早速行こうぜ、とキュイさんが先導して出て行く。ニーナさんとユリアちゃん、私も後に続いた。

「皆、くれぐれも気をつけてな!」

「はい。行ってまいります、お姉様」

 外はまだ白い雪がそこかしこを埋め尽くしていて、冬の冷気が肌や髪を切りつけていくようだ。けれど、そんな容赦ない冷たささえも、私の足を止める障壁にはなり得ない。お姉様への想いは、心の底から全身にまで行き渡り、熱くたぎっていく一方なのだから。

 ――待っていてくださいね、お姉様。

 足元で踏みしめる雪も、私の熱で融けてしまえばいいのに。

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