あの世まで、五つの駅

雨傘と日傘

駅名とは

 がやがやと人混みの中、ホームで列車の到着を待っていた時だった。


 ピーンーポーンパーンポーンとアナウンスが響く。


「只今、人身事故により、列車を見合わせています。大変申し訳ありません。暫くお待ち頂ける様お願い致します」


「やばい、人身事故だって」


「えー。完全に遅刻じゃん」


 聞こえてくる周りの声がうるさい。


 高校の駅まで五駅もあるのに、人身事故とはついてない。


 肩掛けのスクール鞄が重い。教科書や参考書、弁当が入っているから仕方がない。右肩から左肩へと掛け直す。


 ブレザーのポケットからスマホを取り出し、時刻をみると八時十分。確実に一限目には間に合わないだろう。


「倉木太一く~ん」


 背中に衝撃を受け振り向くと、同級生の早山健史、戸田凛斗、橋咲涼がいた。彼らは友達ではない。朝一から会ってしまうなんて最悪だ。


 奴等は弱い者いじめが大好きな鬼畜野郎集団だ。昨日、殴られた腹がしくしく痛み出す。いじめが始まった原因なんてわからない。ただ、根暗の俺を標的にしただけの暇つぶし。クラス全体が無視を決め込み、担任もさじを投げた位だ。


 アル中の父に嫌気が差した母は、俺を連れて家を出た。母は朝から晩まで働き俺を育ててくれた。母が頑張って稼いだお金で高校に行かせて貰っているだ。心配かけたくない迷惑かけたくない。そんな理由で肩身の狭い学校でも頑張って通っている。あと一半年で卒業だ。それまでは……。大丈夫、俺ならできる。


「おい、無視かよ~」


「人身事故だってよ~、てっきりお前かと思ったぜ」


 ゲラゲラ笑う奴らを見なかった事にして無視を決め込む。


「良い加減に、こっち向け!」


「いっ!」


 早山に右手首を掴まれ捻りあげられる。苦痛に顔が歪む。


 奴らはガタイが良い。身長も170㎝の俺より15㎝以上高い。ギリギリとねじ上げられ、手首の骨が折れてしまうかと思う位痛い。


「良いこと思いついた!」


 戸田が何か思い付いた様だ。嫌な予感しかしない。


「第二次人身事故にしようぜ!」


 ほら来た。最低な思い付きだ。


「おお~、良いね~!」


 早山から逃れようと抵抗するが、引き摺られて線路まで連れて行かれそうになった。


「こら! やめなさい! 危ないでしょ!」


 高音の綺麗な声が聞こえる。木野桜さんだ。誰にも優しく、いじめを受けている俺にも気を使ってくれる。そして、なんと言っても可愛い。ふんわりとパーマの掛かった茶髪は柔らかく彼女の丸顔を包んでいる。ぱっちり二重に小さく高め鼻、ふっくらとした唇、誰もが彼女に魅了されるであろう外見だ。外見も中身も完璧な彼女は高嶺の花という存在だった。そんな木野さんと一緒にいるのは、津田美恵だ。木野さんの後ろに隠れる様に身を置いている。津田さんと木野さんは幼馴染みでいつも一緒にいる。


「木野、邪魔するなよ」


「早山くん、先生に言うわよ」


「ちっ! 離せばいいんだろ!」


 パッと離された右手。よたってしまい、後方へとバランスを崩し倒れる感覚だけがゆっくりと流れる。皆が驚く様に俺を見ている。俺はホームから線路へ落ち、赤黒い列車に轢かれた。



〈皆さま、ご乗車ありがとうございます〉



 ぼんやりと聞こえてきたアナウンスに疑問をおぼえた。確か、俺は撥ねられた筈だ。ガタガタと揺れ、窓からは山々が流れる景色が見えた。視線をずらして真上を見ると吊り棚や吊革が見えた。俺は、列車で寝てるのだろうか?


 上体を起こし、体の具合を確かめる。特に怪我している所や痛い所もない。


「倉木くん、大丈夫?」


 木野さんが隣にいて、俺の顔を覗いていた。


「わぁ! 大丈夫大丈夫」


「そう、良かった」


 心配してくれた様だ。綺麗な顔が近くて少し緊張してしまう。



〈私はこの列車の車掌を務めさせて頂いております。天魔翔と申し上げます。これより皆様を……〉


「何が起こってるんだ?」


「分からないの。倉木くんがホームから落ちて、列車が駅に入って来た所までは覚えているんだけど。気がついたら列車の中だったの」




〈あの世へとご案内させて頂きます〉



「え?」



 今のアナウンス、なんて言った。



「ふざけるな! 列車を止めろ!」


 怒鳴り声が聞こえた。早山達もいるようだ。


〈それは、出来かねます。もう列車は、走り出しました〉



「それなら、窓から出てやる!」


 早山が窓に向かって蹴りを入れるが、割れなかった。


〈乱暴はおやめ下さい。それほど、あの世に行きたくないのでしたら、駅でお降り下さい〉


「駅だと!?」


〈これより、あの世への駅の前には五つの駅があります。その駅でお降り頂けますとあの世行きにはなりません〉


「なら早く駅まで行けよ!」


〈ご心配は入りません。まもなく、駅に到着致します〉


 列車が駅のホームに滑り込み到着した。だが、扉は開かない。


「おい! 開かないぞ!」


〈お客様、この駅ではお一人の方の

み、お下りする事ができます〉


「はぁ?!」


「ふざけるなよ!」


 早山達が怒りに任せ、扉を蹴りつける。それを見て津田さんが怯えている。木野さんが皆を落ち着かせようとしている。


「皆、落ち着こう! それよりも誰が降りるの?」


「俺に決まっているだろ!」


 早山が当然と言うごとくに言い放った。


〈いえ、これより皆様でお下りする方を決めて頂きます〉


「どうやって?」


 津田さんが両手を摩りながら、不安そうに尋ねる。


〈少数決で決めて頂きます〉


「少数決?」


〈はい、少数決とは、まず皆様で誰か一人に票を入れて頂きます。それは、自分に入れて頂いても構いません。そして最終的に票が少ない方が駅に降りれる事になります〉


「それなら簡単だ。倉木に、皆入れようぜ」


 早山がニヤニヤと笑いながら言ってきた。そうだよな。こいつの事だ。そう言うと思った。


「倉木、お前。俺達に入れたら分かってるよな」


 絶望的だ。俺は、多分このままだとあの世行きで決まりだろう。母を一人にしてしまう。どうにかして駅に降りないといけない。どうする。どうすれば。



「そんなの酷いよ!」


「木野、それなら自分に入れて助けてやればいいじゃん」


 木野さんが庇ってくれたのに、橋咲の言い放った言葉で萎んでしまった。憎い。俺や木野さんが何をしたんだと言うんだ。お前達こそ、あの世へ行けばいいのに。



〈言い争いはご遠慮下さい。これより皆様、車両前方にあります投票用紙に名前を記入して頂きます。記入し終わりましたら、乗務員が投票箱を持ってお伺いしますのでお持ち下さい。後、記入後の用紙は誰にも見えないよう四つ折りにして頂き、投票を願います。因みに他人の投票を見てしまった方は、ペナルティとして到着駅に降りる権利を失います。お気をつけ下さい〉


〈それでは、ご記入をお願い致します〉


 ブツッとアナウンスが切れた。


「ちっ、仕方ねぇ」


 早山のこぼした一言の後、皆不安そうにとぼとぼと、前方に移動する。


 席と席の間に、小さなテーブルが設置されていて、その上にペン立てに入ったペンと用紙が置いてあった。用紙もペンも人数分置いてある。ペンと用紙を取って、皆から離れる。どうする。誰の名前を書く。早山か、戸田か、それとも橋咲か。


 悩み、ある名前を書き、中が見えないよう四つ折りにした。


「倉木、誰の名前を書いた!」


 戸田が詰め寄ってくる。


「言えない」


「お前!」


 戸田の拳が飛んでくる。ギリギリでかわし逃げる。


 橋咲に足を掛けられ転倒してしまった。戸田が転倒した俺の背中に乗ってくる。殴られると思い、頭を両腕で庇った。


〈乱暴はお辞め下さい。これより、暴力を行ったものは、駅に降りる権利を失うものと致します〉


「ちっ」


 戸田が離れていく。助かった。


〈皆様、記入し終わったかと思われます。乗務員が向かいますので、今しばらくお待ちください〉


 立ち上がり、席に座って待つ事にした。誰も何も言わず、沈黙が続いた。


 カタッと音がした為、聞こえた方を見ると扉からスーツを着た人が入ってきた。だが、その顔は認識できなかった。何故なら……。



「狼……」


 津田さんが囁く。その人は狼の覆面を被っていた。牙がぎらりと光る。皆、唖然とした表情をしている。無言のまま狼男が箱を持って近づいてきた。箱に入れろと言うが如くに箱を揺する。



 狼男を見つつゆっくりと、用紙を箱に入れた。


 狼男は皆から用紙を回収し、扉まで行き一礼して出て行った。



〈皆様、投票ありがとうございました。間も無く開封結果を発表致します〉


 通常なら、行き先が表示される扉の上部にある電光版に名前が流れ始めた。


 早山健史、0票

 戸田凛斗、1票

 橋咲涼、1票

 津田美恵、0票

 木野桜、1票

 倉木太一、3票



 三票か……。


「よし! と言うか同点だとどうなる?」


 早山が嬉しそうに質問している。


〈同点者がいた場合。ジャンケンで決めて頂きます〉


 ジャンケン? いきなり投げやりに言ってきて唖然とした。まるでどうでも良いと言っているようで不自然だ。



「津田、早くやるぞ!」


「え! ちょっと待って!」


 早山がジャンケンの構えをしてきたのに驚いた津田さんは慌てて構えた。


「「ジャンケン、ポン!」」

グーとパーで、


 早山の勝利だった。


「やった~!」



〈決まったようですね。それでは、お降り下さい〉



 プシューっと駅のホームへの扉が開いた。小さな駅舎に「しあなしてしな駅」と駅名が書かれた看板。しあなしてしな駅なんて聞いた事のない駅だ。だが、綺麗な花畑に囲まれた美しい駅だった。


「じゃあな。」


 早山が悠々と駅へと降り立った瞬間、列車の扉は閉まり発車した。


段々と早山の姿が見えなくなっていく。



「誰だよ!俺に入れたは!」


「それは俺のセリフだ!」


 戸田と橋咲が揉めている。そろそろ、俺に標的を移しそうで嫌だな。


「大丈夫だよ。美恵、泣かないで」


 木野さんが泣いている津田さんを慰めている。


「倉木!!」


 まずい。標的が移ったか。


「お前、やっぱり入れやがったな!」


「俺は……」


「そんな事どうでも良いのよ!! 死にたくない……」


 津田さんの言葉で、言い争いが鎮まった。



 静寂の中、アナウンスが響き列車が次の駅のホームへと滑り込んだ。



〈列車が駅に到着しました。次に駅へお降りになる方を決めて頂きます〉


 また、少数決が始まった。静まり返った雰囲気の中で皆何も言わず、投票を行った。


 結果は以下の通りだ。


 戸田凛斗、0票

 橋咲涼、1票

 津田美恵、1票

 木野桜、1票

 倉木太一、2票


「よし!」


「くそ!」


「いや!!」


 怒りや悲しみ、喜び、様々な感情が混ざり合い異様な雰囲気が列車を満たしてた。列車の座席を蹴り飛ばす者、泣き崩れる者、喜びに浸る者、同情する者、様々だ。


〈おめでとうございます。それでは、お降り下さい〉


 プシューと、扉が開く。戸田がヤッホーっと叫びながら、勢い良く駅のホームへ降り立った。


 丸太を組み合わせた小さな駅舎、木々が茂る雄大な森がそこにはあった。


 駅名は「なゆしびてしなゆあびし駅」だ。ここも聞いた事の無い駅名だ。何か意味があるのだろうか。


プシューと扉が閉まり、列車が動き出した。戸田の後ろ姿が遠くなって見えなくなった。



沈黙が続く。


カタンカタンと列車がレールを走る音がうるさい。


 その沈黙を破ったのは、橋咲だった。


「倉木!お前だろ、俺に票を入れたのは!」


「……。」


「黙ってんじゃねぇ! 次、入れたら殺してやるからな!」


 そう怒鳴りつける橋咲の顔は恐怖で歪み真っ青だった。


「お願い。私に入れないで」


 そう言ったのは、津田さんだ。黒目は涙で潤み、くしゃくしゃになった顔は惨めで見ていられない。黒髪の左右で編まれたおさげも所々で解けてぼろぼろだ。



 そんな状況を知ってか知らずか、アナウンスが響く。


《間もなく次の駅に到着いたします。次にお降りになる方を決めて頂きます》


 又少数決が行われ、結果が出た。


 橋咲涼、0票

 津田美恵、0票

 木野桜、2票

 倉木太一、2票


「よし!」


「やった!」


 二人の喜びが列車内に響く。

 俺は駅に降りれるのだろうか。このまま、あの世まで行ってしまいそうで怖い。


 行くわけには行かないのに。


「何でだ!」


 橋咲の怒鳴り声で、現実へ戻ってきた。どうやら、ぼーっしているうちにジャンケンが終わっていたらしい。


 勝利は、津田さんのようだ。


「ふざけるな! 後出しだ!」


「橋咲くん、美恵の勝ちだよ」


 木野さんが恐々と橋咲に告げる。


「そうよ! 私の勝ちよ!!」



《あまり大声を出さない様、願います。それ程揉めるのでしたら、お二人ともお降りになって頂いても構いません》




 一気に二人が駅に降りてしまう。なんだかおかしい。アナウンスしている天魔翔という人は、どうでも良いから早く終われとのごとくに事を進めている。


 列車は二人を残し発車してしまった。そうだ! 駅名を見ていなかった。「みしだなましめみな駅」不可解な駅名に相反して、穏やか草原の中にある石造りの古ぼけた駅。何故だか不気味に思えて仕方がない。


「二人になっちゃったね」


「そうだね」


 木野さんと二人きりになったと言うのに、ドキドキ感なんて微塵もない。ガタンガタンと揺れる車体の中に不吉な雰囲気が漂っていて、恋愛なんて感情なんて出てきやしない。


《お客様、とうとう二人となってしまいました。少数決なんて成り立ちません。ジャンケンでさっさと決めて下さいませ》


「ねぇ!! そんな言い草ないんじゃない!」


《めんどくせぇな。このままあの世まで行ったってこっちは構わないんだぜ》


 正体を現した様だ。いや、もう隠す必要なんてないってこと何だろうか。


「木野さん、ジャンケンしよう」


「でも、どっちかがあの世にいっちゃんだよ」


「ねぇ、木野さん。俺、嬉しかった。クラス中にいじめられていたのに、優しくしてくれた君をあの世に行かせるなんてできない」


「倉木くん……」


「だから、グーを出して。俺、チョキ出すから」


「ごめんなさい」


 あっという間に勝敗はついた。


 列車が、駅に到着し木野さんは列車から降りていった。「じなひゃとい駅」という駅名の駅は、陽の光がさし、キラキラと輝く湖があった。涙を溢しながら、俺に礼を言い続ける彼女がどんどん遠ざかっていく。

 そんな彼女から視線を外し、近くの席に座り、窓から流れていく景色を眺めた。草原と青い空が広がっていた。列車が走り続けて30分位立っただろうか一つの駅が見えてきた。穏やかで美しい花畑と川がある駅。列車は止まるつもりがないようで、駅の前を通り過ぎていく。駅名……。もう意味がないのに、見てしまう。「いなしぞなう駅」と書かれた看板。やはり意味がわからない不可解な駅名。


「あの世か……天国だと良いなぁ。母さん、ごめん」


 正直疲れていた。いじめられる自分、母親に迷惑しかかけれない自分、自分の全てが嫌いだ。もう、終わってくれと何度も願った。そして、死の先くらい、穏やかな場所であって欲しい。


「心配するな。お前の行先は天国だ」


 いつの間にか、隣に男が座っていた。シャツとズボンは真っ黒、黒髪、黒目で顔が整っているイケメン。全てが黒い男。その男が、近くにいて何故だかホッとした自分がいた。不安定な足場を安定させてくれる存在。そんな感じだ。


「母親も、近いうちに病死する予定だから、すぐに会えるしな」


「え? 何で」


「何でって、生き物はいつか死ぬ。それが早いか遅いかの違いだろ」


「そうじゃなくて……貴方は、死神? それとも天使?」


 母が病にかかっていたのは知っていた。癌にかかった母は、俺に内緒にしていたが、家族に話をしておいた方がいいと判断した医師に俺は呼ばれていた。結果を聞いた時は、悲しかった。だが、それも終わり。俺が先に死んでしまったのだから。それよりも、この男がどう言う人物なのか知りたい。


「どう見たって、死神だろ。お前、馬鹿だろ。だから無記投票なんて馬鹿な真似してくれたのか」


 そうだ。俺は誰かに票を入れるなんてこと出来なかった。人の命は重い。そんな勇気なかった。


「まぁ、俺様がお前の代わりに投票してやったがな」


 なるほど。だから、票の数がおかしかったのか。天魔は、何かを思い出したのか急に笑い出した。


「くく、いいザマだ。あいつら今頃……」


「どう言うこと?」


「駅に降りて行った奴らのことだ。駅の先は地獄さ」


「じ、地獄!!」


「そう、地獄だ。誰も、下界に行けるなんて言ってないぜ。俺様はよ」


「そ、それじゃ……」


 違和感たっぷりで、駅の雰囲気を合わない駅名。あれはなんだ。


「くく、わかりやすい顔してんじゃねぇよ。駅名の事だろ」


 俺は正体が知りたくて、頷いた。恐ろしい何かが待っていたとしても、知識欲には勝てなかった。


「駅名をバラバラして並べ替えると、言葉になる。それが、次に生まれ変わった時の条件だ」


「条件?」


「そう、地獄に落ちたやつがそう簡単に五体満足で生まれ変われると思ってんのか。これは、やった事への罪と罰だ」


 罪と罰。駅名。さっきの駅の駅名は「いなしぞなう駅」だった。いしなぞうな、違う。なぞうしない、そうじゃない。ないぞ……。


「ないぞうなし……内臓無し駅って事!」


「あぁ、さっきの駅に降りればそうなるって事だ」


 ま、待て……と言うことは、木野さんが降りた駅って……。


 確か「じなひゃとい駅」だった筈。


「まさか!」


「そうだ。お前の自己犠牲で助けたあの女が降りた駅は、一番悲惨な駅だ。あいつは、何に生まれ変わるんだろうなぁ」


「そ、そんな」


 木野さんが降りた駅。並び替えると浮かび上がる駅名。


 それは、「ひとじゃない駅」



『人じゃない駅』



「罪って、木野さんは悪いことなんて何も」


「お前って、本当に何も知らないんだなぁ。可哀想に」


「どう言う事」


 何も知らないって、どういう意味だ。俺が、何を知らないっていうんだ。


「あの女がいじめの主犯だ」


「え?」


「あいつが周りを操作して、お前を生贄にしたんだ。そして、いじめられているお前に優しくする事で優越に浸る。悪どいたらないな」


「木野さんが、俺を……」


 木野さんの優しさも、あたたかな笑顔も嘘だったというのか。嘘だ。


「うそじゃないぜ。死神の俺様が、天国行きが決まったお前に嘘ついたって意味ないからなぁ」


 嘘じゃない。木野さんは俺を騙していたのか。


「そうか」


 俺の何も変わらない態度に、天魔は首を傾げている。


「随分とあっさりとしてんだな」


「もう、俺は死んでいるんだし、意味がないから」


 そう、木野さんと関わる事自体無くなる。考えたって無意味だ。


「それもそうだ。さて、もうすぐつくぜ。天国に」


 列車が真っ白な駅へと到着した。プシューという音と共に、扉が開く。列車から降りて、歩くコツコツと靴音が響いた。大理石でできている様な駅。その駅の後ろにある宮殿には閻魔様又は、神様がいるのだろうか。


「ご乗車ありがとうございました。次、生まれ変わる際に、またのご利用お待ちしております」


 その声に、振り返ると列車は発車してしまっていた。走り去る列車の中から天魔が俺を見ているのが見えた。その表情が何故だか悲しそうだったのは何故だろうか。


 離れていく列車と真っ青な空と白い雲。その白がどんどんと視界を塗りつぶしていくそんな感覚に俺は静かに従い、消えていった。




「すぐに、会えるとは思わなかった。また長い間会えないと思っていたんだ」


「お前が下界に堕ちた時、とても辛かった。何度も閻魔の野郎に掬い上げてくれと頼んだんだ。それなのに、神転に必要な徳が足りないとか言いやがってあの野郎」


「何度、お前の送り迎えしていたというのに、お前は俺の事忘れやがって」


「ごめんねだと、謝んな。泣いてるだって? 泣いてなんかいない」


「お前、相変わらずのお人よしだな。まぁ、そのおかげで、一度も地獄に行かなかったんだもんな‥…」


「お前が、こんなに早く神転するなんて思っても見なかった。頑張ったんだな」


「また一緒に頑張ろう」


「なに、俺様に負担をかけない様に頑張るだって。もう、無理しなくて良い。死者は俺様が送る。お前は、生者を送れ」


「辛い仕事はしなくていい。苦しい事は俺がやる。お前はここに居てくれればいい。笑ってくれればそれでいい」


「なぁ、そうだろ。たきくら ちい」


 真っ白なワンピースを着た長い黒髪のその人は、頷いた。

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