第29話

 また、今度は小さく息をつく。

 副長は、死んだら遺灰を海に撒いてくれというのが口癖だった。口癖にしては不謹慎だ。だが、あの屈託のない笑顔が、本人の遺志通りに海に帰ってくれたのなら、部外者である自分がどうこう言わずとも大丈夫だろう。

 だが、副長の遺族がこの現実をどう思うだろうか……。


「俺もまた、随分と罪深い歳の取り方をしたな」


 その言葉に反応したのは、海斗と泰一だった。


「突然何を仰るんです?」

「そ、そうっすよ相模艦長! 艦長のお陰で、俺たちは生き残れるかもしれない! それに、水龍を無事にダンジョンへ帰してやれるかもしれないんっすよ!」

「そう、だな……。だが一つ言わせてもらえば、君たちはまだ若すぎる」


 若すぎる? 唐突に飛び出してきた形容詞に、海斗も泰一も眉根に皺を寄せた。

 それが可笑しかったのか、相模はふっと口元を緩めた。


「悪い意味じゃない。多様な道を選んで生きていける、ということだ。もちろん、私のようになってはいけないがな」


 その言葉に、海斗はすっと目を細めた。


「私のように、とはどういうことです?」

「ふむ……。皆がダンジョン内で自分の過去を明らかにしてきたというなら、私が話さないという理屈は成り立つまいな。少し聞いてもらおうか。池波一尉、マイクと外部スピーカーを起動してくれ」

「え? 外に発信するんですか?」

「そうだ」


 艦橋の階段前に立ち塞がり、腕を組んで仁王立ちしていた池波。彼女もまた、相模の意図を理解しきれずに困惑していた。


 ようやく海斗にも、相模の意図が理解できた。成功する可能性がどの程度のものか、完全に未知数ではあるが。


「相模艦長も自分の過去を開示することで、目覚めさせてしまった水龍にお詫びというか責任というか……。とにかく、誠意を示すおつもりなんですね?」

「そうだ」


 そんな応答をしていると、泰一がそばで尻餅をついた。


「泰一? いったいどうし――」

「あ、あれ! 近い近い近い!!」


 海斗は顔を上げて硬直し、相模は眩しいものでも見るかのように手を翳した。

 今、『しらせ』の艦橋には、水龍が首を伸ばしている。まるで相模の話を聞きにきたかのように。

 くるり、と真ん丸の瞳を輝かせているが、角に電気を纏わせている様子でもない。


 相模は海斗に支えてもらいながら、窓の方へと振り返った。

 相模の話は、この一言で始まった。


「美しいな……」


 相模は自分の記憶にある中で、何が最も美的に強烈だったろうかと思索する。

 フィルネ曰く、辛い経験の方が、水龍の腹を満たしてやるにはちょうどいい、とのことだった。

 

 相模は制帽を脱ぎ、白いものの混じった髪をそっと撫でた。頭を抱えるかのように。


「これから話すことは、海上自衛隊の、それも私の部下になったことのある人間たちしか知らないことだ。まあ、周囲に話したところで罰則はない。だが、間違いなくこれは私の人生の中核を成すものだ。それは心して聞いてくれ。フィルネ、これで水龍は腹が満たされるんだな?」

(そのはずだよ。艦長さんがどれだけ誠実に訴えてくれるか、そこは重要なポイントになるけど)

「了解。通訳を頼む」


 ごくり、と唾を飲む四人(と妖精一体)を前に、相模はコンソール前の椅子に腰かけ、語り出した。


         ※


「敢えてぼかして、数年前、と言っておくが……。私は南米で執り行われた、南太平洋の安全保障会議とそれに基づく訓練に従事していた。もちろん、通常のデータベースに記録があるわけではない。実弾射撃も含む訓練だったからな、そんな案件を記録に残した犯人になど、誰もなりたくはないだろう」


 海斗は咄嗟に、自分が見聞きしたことのある政治家や防衛省のスキャンダルに答えを求めた。が、南米やイージス艦といった言葉に思い当たりはない。


「我ながら充実した二週間だった。北半球と季節が逆だから、余計に日焼けしてしまったがね」


 だとすれば、その出来事とやらが発生した時、日本は冬だ。


「日本まで航海し、海上幕僚長と防衛大臣に帰還した旨を伝えた。二人共、特に変わった様子はなかった。だから、きっと当時は知らなかったのだろうな。私の妻が、自宅で一家心中を図った、などということは」

「……ぇ……」


 声にならない音が、舞香の喉から漏れだした。海斗は目を見開き、泰一に至っては、顎が完全に外れていた。


「理由は明確。子供たちがあまりに不憫だったからだそうだ」

「不憫?」

「ど、どういうこっ、こことです、か?」


 海斗に続き、泰一がどもりながらも問い返す。

 

「近所の人々は、我々を理想的な、幸せな家庭だと思っていたらしい。だが、実際は違う。私は厳格な家の主人であることと、ドメスティック・バイオレンスの違いを理解していなかったのだ。たった今、私は自分のことを、家の主人、と言ったが、それこそ前時代的で理不尽極まりない考え方だったのだろう。単純に、自分が金銭を得る代わりに、妻が家事をする。百年以上前の家族構成だ」


 泰一は、信じられないものを見る目で相模を凝視していた。彼もまた、よい兵士にはよい妻が迎えられるべきだと思っていたのかもしれない。


「南米での訓練を終え、三日後には横須賀に入港する。それが訓練計画だった。だが、まさかな……。もう一日早ければ……」

「さ、相模艦長?」


 恐る恐る声をかける泰一。確かに、相模は声を震わせている。泣いているのだろうか。

 という疑問は、すぐさま打ち消された。

 相模の顔には皺が浮かんでいたし、何より明らかに血色が悪かったのだ。泣き喚いたり、怒りに我を忘れたりするような人間の顔ではない。そんな力は残っていない。


 泰一の声が聞こえたのかどうか、それすら分からない。だが、相模は一瞬で絶望の淵に立たされたように見えた。これだけは、皆が同様に察したことだ。


「防衛省で帰還した際の手続きを行っていた時、緊急連絡が入った。私の家が火事に遭ったと。妻と娘が私の帰りを待っている、よくある一軒家だ。火の手が回り始めたのがキッチンだったことから、妻が料理の最中に注意を怠り、それが原因となった。刑事にはそう聞かされたよ。疑問の余地はない。犯罪の可能性も低い。となれば、私は誰を恨めばいい?」


 はあ、と溜息をつく相模。海斗はそんな相模の姿を何度も見てきたように思った。しかし、これほど溜息が冷たいものだとは。

 海斗は自分の両腕が、ざあっと鳥肌になるのを感じ取った。


 それでも、相模の次のアクションは実にスムーズだった。

 さっと立ち上がり、フィルネと目を合わせた。


「フィルネ、君に頼みがある。水龍の怒りは静まったのか? 我々への敵意はなくなったのか? それを確かめてもらえないか」


 無言で、しかし大きく頷いて、フィルネは艦橋から飛び立った。

 そして、意外なほどすぐに舞い戻ってきた。


(水龍も少し考えたいんだって。彼らの知能は、あなたたち人間と同じくらい高いから)


 皆を代表して、頷く相模。

 彼がちょうど顔を上げようとした、まさにその時だった。

 けたたましい鐘の音が艦橋に、いや、『しらせ』全体に響き渡った。一瞬灯りが消えて、すぐに赤色灯が異様な光景を浮かび上がらせる。


「なっ、なんなのよ、もう!」

「落ち着いて、舞香さん! 物陰でうずくまっていて、すぐに原因は判明すると思うから」


 舞香の背を擦る池波。軽くその腕を掴み、相模はこう言った。


「全員でCICへ行こう。あそこが一番安全だ。私が先導する。池波一尉、子供たちがはぐれないように後ろから見ていてくれ」

「りょ、了解!」


 狭い廊下を、速足で進んで行く。


「もうすぐだ。この角を曲がれば――」


 そう言いかけた相模の言葉は、無理やり中断されてしまった。

 同時に、聞き覚えのある音が海斗たちの鼓膜を揺さぶる。相模は、はっと短く息を吸ってうつ伏せに倒れ込んだ。

 相模の腹部から、どくどくと真っ黒な液体が流れてくる。周囲が赤い非常灯に照らされているからそう見えるだけで、本当は鮮やかな赤色をしていたのだろう。


「艦長!」

「泰一、相模艦長を寝かせて。綺麗な布で傷口を押さえるんだ」

「ほら、私の使って!」


 泰一、海斗、池波の言葉が入り乱れる。

 それを打ち消すような、大きな舌打ちの音。


「あーあ。一発では仕留められないかぁ。頑丈だね、艦長さんってば」


 誰もそちらに意識を振り向ける余裕はない。しかし、海斗には何が起こっているのか、すぐに察しがついた。


「北村華凛、君はなんてことを……!」

「なんてこと、って?」


 いや、言葉遊びをしている余裕はない。ひとまず華凛を行動不能にしなければ。

ダンジョンから脱出した後も、なんとはなしに担いでいたが、まさかここで役に立つとは。

 それはダンジョン入り口で抜き放った剣だ。ゆっくりと抜刀する海斗。

 真剣な、それでいて破壊的な目つきに、華凛もまた目を細めた。

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