第27話

 この期に及んで、海斗は奇妙な思いに囚われた。

 水龍は悪くない、なんとかもう一度、ダンジョンの深層で穏やかな眠りに就いてもらいたい。たとえその水龍が、自分たちを脅すべく攻撃を仕掛けたのだとしても。


 やり方は分からない。だが、上手く水龍を寝床に戻してやれる、という可能性は十分あると海斗は信じることにした。それを裏書きする根拠もある。フィルネが水龍を説得にあたっている、ということだ。まだ効果は上がっていないようだが。

 数万年前から、それぞれ眠りに就いていた両者。心が通じあう場面はあるかもしれない。


 そうだとしたら、自分たちはどうすべきだろうか? まさか白旗を掲げてゴムボートで接近し、交渉するわけにもいくまいし――。


(海斗くん、海斗くんってば)

「おわっ! フィ、フィルネ、戻ったのか」

(皆無事ね? あの水龍、思いの外頑固者でね。言葉だけじゃ平行線だから、海斗くんの頭の中、見させてもらった。私はいいアイディアだと思うけどね、水龍を落ち着かせて、お帰り願うって方法)

「そっ、そんなことできんのか!?」


 ぐいっと身を乗り出してきた泰一を押し退け、舞香が尋ねる。


「どうしたらいいの、フィルネ?」

(簡単に言えば生贄、かなあ。水龍の存在を察知して、ずっと見張っていた。そして水龍を捕獲し、兵器として運用しようとしている。そんな誰かさん、だね)

「それって、まさか――」

「遠藤睦監督を、この艦から放り出しゃあいいんだな?」


 むっと顔を顰める舞香。そんな彼女に遠慮なく、泰一はそう答えた。

 ご明察、と答えたのは言うまでもなくフィルネだ。


(遠藤監督のアンドロイドはまだ動かせるんだよね?)

「ええ。それを駆使して、甲板から放り捨てる。人工の生体器官で、水龍にご満足いただけるかどうかは未知数だけど」

(分かった。じゃあ、私が水龍に、生贄を捧げるから待ってくれ、とだけ伝えておくわ。龍の言葉って難しいんだけど)

「頼むよ、フィルネ。水龍を倒さなくてもいいけど、これは君にとってもチャンスなんだろう?」

(チャンス? 海斗、何言ってるの?)

「数万年前に水龍を止められなくて、文明を滅ぼしてしまったことに対するリベンジ・マッチだよ」


 それを聞いて、強がっていたフィルネの顔に素直な使命感が生まれた。


         ※


 こうして、フィルネが透過魔術で『しらせ』から離脱した時のこと。

 CICは半ばパニックに近い状態だった。

 水龍の光線が『しらせ』の左舷すれすれの海面をぶった斬り、凄まじい量の海水が降って来て、一部は蒸発して雲を造った。

 真っ白な色合いで全てを照らし出し、雷光が全員の五感を嬲る。去り際に擦過音がした。というより、人間たちの鼓膜を貫かんばかりの振動を残した。


「各部署、損害知らせ!」

「ぜ、全エリア、航行に支障なし! 予備燃料タンク損傷により、僅かに最高速度減退!」

「空自より通達、サンダーブレイドの撤収を決定! 代わりに爆装した最新鋭機を駐屯地それぞれから発進させるとのことです!」

「了解。本艦は旋回を繰り返しつつ、水龍を振り切るまで艦隊戦を行う。空自による援護爆撃は随時行われるはずだ。万が一、本艦が撃沈されるようなことがあっても、子供たち民間人の命はなんとしてでも守れ。以上!」


 そういえばあの三人、行方不明になっていたのだったな。存命なのか? 最悪、今の光線に薙ぎ払われて――。


 相模はすぐに、はっとした。どうしてそんな悲観的なことを考えているんだ? 

 今ここにいる子供たちの不遇な人生模様は、自分の頭にインプットされている。だからこそ自分の手で、大人の手で、絶望の二文字を彼らに向かって叩きつけるわけにはいかない。


 随分と手を焼かされたような気もするが……。それはそれでよかったのかもしれない。

 何せ、この航海、この戦闘が、自分にとって最初で最後の武力行使になるかもしれないのだから。


 先ほど、フィルネと名乗る妖精がCICに現れた。どうやら自分たちも、フィルネとの間ならテレパシーのような力を発揮できるようになったそうなのだが。


 すると、ちょうどよくフィルネがCICにするり、と侵入してきた。


「フィルネ、水龍の方は何と言ってる?」

(そうね、自分のねぐらを荒らされて怒り心頭、ってところかしら。宥めるにはまだ時間がかかりそう)

「そう、か」


 つまり、回避運動中に撃沈される可能性も考慮しなければならない、と。

 最新鋭とはいえ、これはイージス艦だ。光線に合わせて回避するのは極めて困難。実質的には、雷の直撃を喰らったら一瞬で爆散する恐れもある。


 相模は腹を括るつもりで、副長を呼びつけた。CIC前方のハッチ付近からやってきた副長に、作戦概要を告げる。見る見るうちに副長の顔色が白んでいくのが、相模にはよく見えた。


「承服できかねます!」

「ほう」


 熱気に溢れた副長の声に、冷気をまとった相模の呟き。

 何か二人の様子がおかしいと、CICの全員が勘づいた。


「相模修司・三等海佐! あなたは今回の件で、どうしても生存していただかねばならない方です!」

「では副長、君を含めたクルー全員もまた同様に生存し、この事件を伝えていってもらう必要がある。私はそれを行うようにと命令しているんだ」

「し、しかし!」

「それに、私には妻子がない。国よりも大事な存在が。私の場合なら、殉職しても悲しむ人間はごく僅かだ」

「そ、そんな……」

「副長。私に代わって、全艦放送だ。皆に知らせてくれ。命令だ」

「……了解、しました」


 ゴホン、と空咳をして、副長は皆へ振り返った。


「艦長より命令が下った。本艦は相模修司・三等海佐の指揮の下、全システムを三佐お一人に任せることとなった!」


 ざわつくCIC。思わず計器から手を引っ込めてしまう者もいた。


「諸君らに退艦命令が出された! これより本艦は相模艦長が操艦することとなる! 総員、救難艇にて救助を待て! CICの各管制システムは、全て艦長の下へ!」


 心理的に落ち着いたのか、乗員たちの動きは実に迅速だった。こんな状況でも、階段での上り下りやゴムボートの投下などは訓練通り行われた。人数確認を完了したゴムボートから、順に海面に投下されていく。それを追って、『しらせ』を盾にしながら、隊員たちはするするとロープで降下していく。


 ゴムボートに取り付けられた発信機は、全部で二十個。バッジシステム上で二十個のゴムボートが本艦から離れていく。そうはいっても、相模は呆れて溜息もつけない状況に陥っていた。


「副長、命令違反だぞ」

「お言葉ですが艦長、あなたは操艦しながらアンドロイドの死骸を投げおろすことができますか?」


 ぐいっと胸を張って、副長は人懐っこい笑みを浮かべた。


「フィルネさんとやら、答えてほしい。この遠藤監督の遺体は、どうやって水龍に捧げればいいんだ?」

(そのまま海に落とすだけで大丈夫だよ。そうすれば、水龍は自然と気配を察知して食いつくはず。それでノルマは達成、ってことにはなるかな)

「了解。だそうです、艦長」

「うむ。遺体の海上投棄は犯罪だが……」

「大丈夫です、自分がやります。それより艦長は、火器管制をお願いします。そろそろCIWS――近接防御火器システムの射程に入りますから」

「了解した。遠藤の遺体の投棄は任せる。こちらも異常がなければ、CIWSの出番もないだろうが」

「そう祈りましょう。では」

「気をつけてくれ」


 スタンッ、と副長は踵を合わせ、相模の背中に敬礼した。そして彼の気配がCICから出ていくのを察し、中をざっと見渡した。

 あまりにも多くのディスプレイやスクリーンに満たされている。正直、慣れない機材もあった。しかし、その程度の不都合は、相模の敵ではなかった。


「俺たちは、お前の儀式に付き合ってやろうって言ってんだ。アンドロイドはどうでもいいが、生きてる俺たちには食って掛かるなよ」


 相模は『しらせ』を、脱出用ゴムボートの群れから離れるように操舵した。船外用スピーカーで呼びかける。


「こちら艦長。総員、できうる限り本作戦水域より離脱せよ。繰り返す、そうい――」


 そう言いかけた時、音響設備に僅かなノイズが入った。

 何事だ、と言いかけてディスプレイ上を見渡す。


「ここか」


 船外の細い通路を、遠藤の来るのが歩んでいく。かと思いきや、前のめりに倒れ込んだ。


「副長、どうした? 応答しろ!」


 相模の叫びも空しく、副長が自分の意志で動くことは二度となかった。

 そうして現れた刺客。たった今、副長を射殺した人物。

 その姿を見て、相模は愕然とした。


「きっ、君は……!」

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