第21話【第五章】

【第五章】


 迅速かつ的確に階層を下りてきた相模たち。しかし、先頭を行く隊員のハンドサインに従って、すっと立ち止まる。


「どうした?」

《僅かですが物音がしました。それと、動体探知機に微かな反応があります》


 ふむ。何かが動いているのに物音がしない。ということは、物音の主は慎重に進行していると考えられる。化け物ではなく人間か。

 そうであれば、動体探知機に引っ掛かったのは海斗たちだろう。合流の時が近づいているようだ。


「このまま前進する。くれぐれも彼らを驚かせるなよ」

《了解》


 狭い空間を精確に把握し、展開していく隊員たち。ここは海斗が自分について語ったところ、すなわち第五階層だ。

 互いの距離感を確認してから、相模たちは再度、ゆっくりと階段を下りていった。


《ん?》


 その時、相模の身体に何かがぶつかった。しかしそこに何かがあるわけではない。

 防弾ベストとヘルメットで、出来得る限りの防御体勢は取ってきたつもりだが。

 全員がこの違和感を覚えているであろうことは、相模にも察せられた。少しばかり、皆の呼吸が乱れる。


 そこで相模は、防弾ベストの内側から、小さな円盤状の物体を取り出した。偵察用メカだ。片手で握り込めるほどの大きさで、色は石畳と同じくらいに調整済み。

 前方にカメラが搭載され、四つのタイヤで動き回る。壁や足場が傾いていても、ある程度なら壁走りのような複雑な挙動も可能だ。


 相模は少し後退し、もう一つの機材を取り出した。小型の超薄型ディスプレイだ。

 先ほどの円盤カメラの捉えた情報を、リアルタイムで伝えるという代物。

 光量を落とし、自分たちの影が階段の向こう側から見えないようにする。そのままゆっくりと覗き込んだ相模は、展開された映像に息を呑んだ。


 何なんだ、こいつは……!?


         ※


 まさに同じ感想を、海斗たちも抱いていた。

 このフロア、第六階層に踏み込んだ時から、一種の違和感はあった。

 やたらと明るいし、温度も湿度も快適といっていい。穏やかな冷風が流れていて、居心地は抜群だ。

 気がかりなのは、明るいのにもかかわらず、広大な空間の半分は闇に包まれているということだ。


「こんなところに何がいるんだ……?」

(やあやあ、皆! ようやく最下層に到達したね!)


 呟く海斗に対し、どこから現れたのかフィルネが応じる。


「フィルネ? これはどういう――」

(さっきも言ったじゃないか! ここにいるのがダンジョンの主で、睡眠中だから起こすなって!)

「確か魔法陣に踏み込めばいいんだったよな?」


 泰一が続けて尋ねると、フィルネは大きく頷いた。


(そうだよ。私が案内するから)


 そう言い切るや否や、フィルネは壁に寄り、皆に一列隊形を取るよう指示した。

 ぬめぬめした、光沢ある何かが寝そべっている。いや、とぐろを巻いて脱力している。

 大きな蛇だろうか? いや、ウミヘビという動物もいるが、あまり深海にいるイメージはない。

 

 そんなことを考えている場合ではない。今の自分たちは。

 後々考える時間はあるだろうから、今はとにかく自分の命を大切にしなければ。

 ぎゅっと唇を噛みしめて、海斗はかぶりを振った。既にここから、淡い水色に輝く魔法陣が見える。


 軽く振り返り、全員が列に並んでいるかどうか確かめる。

 まさにその時だった。ギシャッ、と鈍い金属音が響いたのは。


「全員そこを動くな!」


 ありありと殺気に満ちた声音。海斗たちは慌てて振り返った。

 最初は誰が、何を持っているのか、理解できなかった。理解したくなかった、というべきかもしれない。


 あの北村華凛が、大型拳銃をその手に握り、自分たちを冷たい瞳で見つめているとは。

 パニックの度が過ぎたのか、舞香は短い悲鳴を上げた。


「馬鹿、伏せろ!」


 泰一が舞香を抱き留めるように引き倒す。彼の肩から、僅かに鮮血が散った。

 ドゴン、という、音だけで圧潰させられそうな銃声が響く。


「次は心臓を撃ち抜く。もし暴れるなら覚悟しろ」

「……ッ」


 すると今度は、フィルネが華凛に接近を試みた。ぶんぶんと羽音を強調しながら飛び回る。


(ちょっとちょっと! あんた、自分が何やってるか分かってんの!? 四人でこのダンジョンをクリアして、貴重なデータを――)

「ふん、しゃらくせえ」


 背後に回ったフィルネを振り返りもせずに、華凛は発砲。二発だ。

 一発目は、咄嗟にフィルネが展開したバリアで防ぐことができた。

 が、二発目でバリアが粉砕された。

 負傷こそ免れたものの、フィルネは気を失い、床にぺたんと横たわってしまった。


「妖精様が、呆気ねえもんだな」


 華凛は目を落とし、三発目を撃ち込もうとする。

 しかし、それとは別に銃器を構える音がした。階段のあった方からだ。


「待て、クランベリー! いや、北村華凛!」

「どうかしたのかい、艦長さん」


 相模の割り込みに対しても、華凛は能面のような顔つきを崩さなかった。

 のんびりと残弾の確認をしている。


「あと五発、か。オートマチックにしちゃあ弾入らねえな」

「逃げられると思うなよ、クランベリー! これはれっきとした越権行為だ」

「……」

「我々の今回の任務内容は、このダンジョンの地理的なデータを確保することだ。化け物を駆逐したのはやむを得なかったとしても、無益な暴力は控えろ。分かるな、クランベリー?」

「はン、そんなこと! あたいにゃ分かりま――せん!」


 華凛は足を軸に、ぎゅるりと一回転。相模の立っている場所を把握。二周目を終える頃には、再び発砲音が響き渡っていた。それも、二発同時に。


「がっ!」

「うぐっ!」


 チリンチリン、と二発ぶんの薬莢が石畳を打つ。

 示し合わせたかのように、相模と華凛の身体は弾き飛ばされ、同時に背中から倒れ込む。

 一連の反響が静まる頃になって、ようやく悲鳴が響き渡った。


「大丈夫か、舞香!」

「きゃっ、いやあ! いやああああああ! し、死にたくない! 撃たないで!」


 尻餅をついて喚く舞香。そんな彼女を、泰一はぎゅっと抱き締める。

 恋愛感情からではない。舞香が自身を傷つけてしまうのでは、という危惧からだ。


 振り返って二人が無事であることを確認し、海斗は華凛の下へと駆け寄った。


「華凛! おい、大丈夫か!」


 なんとか上半身を引き上げ、柱にもたせかける。


「どこか撃たれてないか? 無事な――」


 無事なのか、と尋ねようとして、海斗は絶句した。

 華凛の吐血した。それがあまりにショックだったのだ。


「あ、ぁ……」


 海斗は自分の右手を見る。指先から掌全体が、赤黒く染まっている。

 左手もまた、ひどく鉄臭い液体で包まれていた。


 どうやら華凛に当たった弾丸は、彼女の内臓を掠めながら飛翔して貫通したらしい。弾丸を摘出する手間が省けるから、医学上はマシなのかもしれないが。


 そう言えば、と海斗は気づく。

 ダンジョンに入ってから、華凛が何かを飲み食いしている光景を見た記憶がない。

 ああ、そうか。内臓の損傷によって消化物が体内に飛散し、手術が困難になることを避けたかったのか。

 いずれにせよ、華凛が今この瞬間も、生命の危機に瀕していることは疑いの余地がない。


 しかし、こんな時に自分にできることなどあるのだろうか?

 声をかけてみる、とか、出血部位に衛生的な布を宛がう、とかだろうか?

 残念だが両方共、今の海斗にはできなかった。あれだけの化け物と戦ってきて、衛生的な布など残されていない。それに、何を語りかければいいのか、さっぱり頭に浮かんでこない。


 荒い呼吸を繰り返す華凛を、呆然と、膝立ちになって見つめる海斗。

 そんな彼とは対照的に、相模たち特殊部隊の取った措置は極めて的確だった。


「相模! 相模隊長! 相模修司・三等海佐!」


 相模の部下が、彼の頬を叩いている。もう一人が反対側から、相模の防弾ベストを脱がせて傷の具合を確認している。そばに置かれているのは、野戦用の医療キット。

 余った人員は、周囲を警戒して拳銃を構えている。


 そのうちの一人が、海斗と華凛の方へ近づいてきた。彼も衛生兵なのだろうか。

 にしては物騒な格好をしている。拳銃を構えているのだ。それも、華凛の眉間に狙いをつけながら。


 おい、何をする気なんだ。

 海斗は無意識のうちに、その衛生兵を睨みつけていた。だが相手にしてみれば、所詮は高校生にガンを飛ばされているだけ。怯むわけがない。


 海斗は言葉を発することも叶わず、衛生兵の接近、そして彼が華凛の身体をそっと担ぎ上げる過程を、見つめていることしかできなかった。


 海斗に残されたのは、ある種の違和感。

 何故、自分は華凛の下に駆け寄ったのだろう? 彼女の殺気は本物だったし、泰一や舞香に危害を及ぼそうとしていた。自分に対してさえも。


 助けてやる義理などなかったし、むしろ死んでくれた方が、明確な死の危険は減少する。分かり切ったことだ。


 それでも、自分が華凛を救いたかったのは本当だ。この感情は、一体何だろう?

 まさか誰も、恋心などとは言い出しやしないだろうが。

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