第16話【第四章】

【第四章】


 池波は『しらせ』船内に設けられた、狭い部屋にいた。

 一人きりではない。自分の正面、出入口の両脇には屈強な海自隊員が肩を並べ、休め、の姿勢で、ただしいつでも拳銃を抜ける状態で立ちはだかっている。


 随分鍛えているんだなと、緊張感のないことを池波は思った。自衛官である以上、口より先に手が出るタイプの人間ではないだろうが。


 それでも下手な動きはできないな……。仕方がないので、池波はふう、と軽い溜息をつくに留めた。


 その時、扉の向こう側からがちゃがちゃと音がした。二重構造の扉が開錠されていく金属音だ。やがて目の前のドアノブが捻られ、ずいっと相模が入室してきた。


「ご足労をおかけしてすまないね、池波美香・一等海尉」

「あ、あの、これは……? 普通、尋問するなら後ろ手に手錠を掛けたりするものとばかり……」

「私はそんなことをして吐かせた情報は信じられない。信じたくない、と言うべきなのかもしれないが」


 真っ直ぐで真摯な相模の顔を見て、池波は自らの敗北を悟った。

 自分は所詮、末端の人間だ。しかし目の前の男は違う。三等海佐という階級差や、訓練経験の長さなど、どう足掻いても敵わない。

 いや、もしかしたら、そんな相模さえも単に利用されているだけなのかもしれない。


「少々質問をよろしいか、池波一尉?」

「池波、で構いません」

「では池波、君が本艦に潜入した目的は何だ?」


 さて、どう言うべきか。

 池波は眼前の低いテーブルに肘をつき、その上で指を組んだ。そうでもしなければ、相模による熱を帯びた視線に、自分の目が焼かれそうだと思った。


「簡単に申しますが、私が貴艦に潜入した理由は一つ、本音もまた一つです」

「ほう」


 自分が奇妙な言い回しをしていることは、池波自身が一番よく分かっている。

 分からないのは、相模がどこか好奇心から自分の尋問をしているのではないか? ということだ。

 流石にまだ目を合わせるのは困難だった。が、何らかの共感、共通意識が漂っているのは事実だ。


「まずは理由の方から聞かせてもらおうか」

「了解しました」


 やはりそう来るか。

 

「私の任務は、この最新鋭イージス艦『しらせ』の超高性能CPUに保存されている情報を抜き取り、それからバックアップを破壊することです」


 うむ、と唸る相模。誰にでも分かることか。


「私は確かに自衛官です。しかし、同時に反推――反戦推進協議会の特殊部隊にも所属しています。照会していただければ分かることですが」

「なるほど」


 相模は両手の指を組み合わせ、顎にあてがった。


「で、本音とやらも聞かせてもらえるんだろうな?」

「はい。これは公表されていませんが……。四年前、陸自の精鋭部隊が中東で活動していた時のことです」


 池波ははっとした。いつの間にか、自分は呼吸を忘れていたのだ。とんとんと首の下あたりを叩き、呼吸を整える。


「その作戦での陸自の任務は、テロリストの拠点に対する海自駆逐艦の巡航ミサイルの精密誘導にありました。テロリストの武装の中にもECMはありましたからね」

「ECMを破ってテロリストの拠点を潰すには、近距離からのマーキングが必要だった。だから陸自と海自の共同任務が発案された。そういう理屈かな?」

「はい」


 こくこくと頷く池波。


「この作戦の裏に誰がいたのか、今となっては分かりません。一つ確かなのは、護衛艦から発射されたミサイルに、一基だけ奇妙な軌道を描いて着弾したものがあった、ということです。――まるで陸自の部隊を狙ったかのようにね」


 ここで初めて、相模は眉根に皺を寄せた。

 まさか、裏切りか? 機密保持と言えば聞こえはいい。だがその作戦中に、海自はテロリストのみならず、陸自の部隊までも消し去るつもりだった。そんな事件があったとは。


「……俄かに信じられる話ではないが」


 でしょうね、と肩を竦める池波。


「当時から海自で特殊潜入の訓練を受けていた私は、出来得る限りの機密文書を漁りました。そして確信に至ったのです。海自が陸自を攻撃した、と」


 今度は相模が、ごくりと唾を飲む番だった。


「お恥ずかしながら、私には当時、婚約者がいました。ケイ――関根啓介といいます。当時の階級は二等陸尉。三つの分隊のうち、第一分隊の指揮を執っていました」


 ふっ、と池波は自分の胸元に手を当てる。


「大丈夫かね、池波一尉? 水でも――」

「いえ、結構です。よくあることですから」


 よくあること、って……。そんな簡単に言い捨てられる事柄でもないだろうに。

 今度は相模が溜息をつく番だった。


「池波、君の言葉が事実であると仮定して、君自身の目的は何だ? 復讐か?」

「否定はできません。人を殺すのに慣れてはいませんが、経験はありますから」


 相模はぴくり、と両眉を上げた。自分よりずっと若い、華奢な体躯の池波。そんな彼女に勇敢さを、下手をすれば蛮勇をもたらしたのは、やはり婚約者が作戦で切り捨てられたという冷徹な事実なのだろうか。


「それだけではないんだろう?」


 さらりと口から出た言葉に、相模自身が驚いた。はっとして、池波も顔を上げる。

 そして、その言葉による問いかけは図星だった。


「私が二尉を殺したのと変わりありません。その時に用いられた巡航ミサイル……。発射命令を下したのは当時の艦長、実際にミサイルを発射したのは砲雷長、そしてその二人の間で補佐をしていたのは私でした。今でもはっきり思い出せます。ミサイルが軌道を逸れて、何の変哲もない砂漠に着弾した――その時のレーダーサイトの様子を」

「……初耳だな」


 相模の素直な感想に、池波は微かに口の端を上げた。


「その作戦の後、我々には緘口令が敷かれました。陸自・海自の中東での軍事的作戦について。とりわけ犠牲者の件についてはね。遺族には、訓練中の事故による殉職、と伝えられました。それに、当時のディスプレイの情報消去には手間取ったと聞いていますけれど、当時の海自の上層部たちはそれを成し遂げた。これで、海自や防衛省という組織にとっての体裁は破損を免れた、というわけです」


 相模は必死に自分の脳、とりわけ記憶を司る海馬のあたりに集中した。

 が、結果は空振り。自分のような佐官にまで、そんな作戦については言及されたことはない。


 ふーーーっ、という池波の呼吸音で、相模ははっと意識を現実世界に引き戻した。

 その直後、部屋の四隅に配されたスピーカーから発せられたある人物の声に、相模は愕然とすることとなる。


         ※


 海底ダンジョン、第四階層。

 第一~第三階層と同様に、階段を下りたところで照明が灯った。


 海斗は自分の数えている階層の数字が正しいのかどうか、自信を失い始めていた。

 疲れているのだろうか? 確かにこの剣を手にしてから、自分はまともではなくなった気はしている。

 きっとフィルネの言う通り、自分が選ばれた人間だからなのだろうか。他人よりも遥かに巧く剣を扱える。というか、剣の方が自分に馴染んでいる。最初に手にした時からずっとだ。


 それでも、体力的疲弊を免れているわけではない。加えて、精神的にジリジリと追い詰められる感覚がある。


「そりゃあそうだよな……」


 ゆっくりと第四階層を歩みながら、海斗は思う。危うく殺される、という場面を何度もくぐり抜けてきたのだ。これは疲れて当然だろう。


「舞香、大丈夫か?」


 泰一の声に振り返ると、舞香がぺたんと座り込み、華凛に背中を擦られているところだった。

 自分たちは、第三階層でフィルネの過去話を聞いた。休憩時間だったとすれば結構な長さがあったはずだ。だが、あまりにスケールが大きすぎて理解しきれず、不安を助長する面はあったかもしれない。


「迂闊だったか……」


 剣を握り直しながら、海斗は呟いた。もう少し、第三階層で休んでいればよかった。

 しかし、第四階層に到達してしまった以上、どこから化け物が出現するか分からない。そいつらを全滅させ、第五階層への道が開けるのを確認しなければ。

 そうでなければ、安心して休息を取ることすら叶わない。


 海斗は、第四階層奥の薄暗い一角に目を凝らした。

 ちょうどその時だった。黒い球体が飛びかかってきたのは。


「ふっ!」


 一撃で両断する海斗。だが、これで終わりというわけではあるまい。

 黒い球体の大きさはまちまちだった。野球ボールくらいからバスケットボールくらいまで。

 共通しているのは、その球体全体に生えている細長い棘だ。

 

 そうか。これはウニの化け物なのだ。ピラニアと同程度の殺傷力で、しかし大量に、階層の暗部から飛びかかってくる。


 捌ききれるか……?

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