第9話

「きゃあっ! 何してらっしゃいますの、泰一さん!?」


 華凛の悲鳴に振り返ると、海斗から離れたところで何かが行われていた。その光景に、海斗はぞくり、と戦慄した。

 泰一が小振りのナイフを自分の手首に宛がっていたのだ。


「お、おい泰一! 馬鹿はやめろ!」

「馬鹿はお前だ、海斗! お前一人でこれだけの数の敵を相手にはできねえだろう! ある程度はこっちで引き受ける!」


 海斗は泰一に向かい、この単細胞! と怒号を叩きつけた。だが、泰一は僅かに顔を顰めたくらい。そして躊躇いなく、軽く出血させた腕を池に突っ込んだ。


 すると、ピラニアたちが一斉に動きを止めた。

 海斗を包囲していた四匹も、その外側の五匹も、ざっと水面を切りながら頭部を巡らせる。

 やはり血液に反応する性質は、このダンジョン内のピラニアも同様だったらしい。

 こうして海斗が四匹、泰一が五匹を引き受けることになった。


 泰一がプール状の床面に下りたのを確認し、海斗は再び剣を正眼に構え直した。

 自分の得物が剣で、泰一の得物が大槌。きっと剣の方が、素早くピラニアを片づけられるはずだ。


「さっさと泰一を援護しなくちゃ、なっ!」


 今度は海斗が先に仕掛けた。

 地上と同じように動けることは確認済み。それで戦うのだったら、自分の身体性能がものを言う。

 筋力、持久力、跳躍力、反射能力。それらを総合して考えなければならない。


 そこまで考慮しきる頃には、海斗は二匹目をばっさりと二枚おろしにしていた。

 同時に、頭上から一匹迫ってくる。


「ふっ!」


 海斗は前転することで回避し、こいつを無視して残る二匹のいるところを勢いよく薙ぎ払った。がぽっ、と小さな気泡を上げ、ピラニアは二匹共絶命した。

 頭上から迫っていたやつを仕留めるのが、一番呆気なかった。海斗は半ば勘頼みで剣を真後ろに投擲。振り返ることなく、最後の一匹の口から尾鰭までを貫通した。


 ついついぶん投げてしまったが、剣がなければ自分は丸腰だ。

 海斗は敢えて剣を拾わず、しばし周囲の状況を把握すべく努めた。どうやら残りのピラニアたちは、全て泰一を狙っているらしい。


「泰一、今行くぞ!」


 まるで空気中にいるのと同じように、海斗の叫びは泰一の鼓膜を震わせた。

 しかし返答がない。振り向くと、泰一は勢いよく大槌を振り回していた。が、身体のところどころから出血している。

 噛みつかれたか、背鰭で切られたか。黴菌が入らないといいのだが。


 泰一の下に駆け出した海斗は、しかしすぐさま防御体勢を取ることを強いられた。

 鰭を閉じ、槍のような体形になったピラニアが数匹、海斗を迎撃しにかかったのだ。


「邪魔だっ!」


 海斗は勢いよく剣を振るい、ピラニア、否、トビウオの接近に備える。

 迎え撃って全滅させてやる。

 しかし、それも上手くはいかなかった。キィン、と甲高い音を立てて、剣とトビウオの鱗がぶつかり合ったのだ。


「チイッ!」


 驚きを含んだ苛立ちと緊張感に押され、海斗は大きく舌打ち。

 その間に複数のトビウオを弾いたが、致命傷を与えられたかどうかは不確かだ。


 それでも、泰一の窮地を救うことはできた。周囲を見回しながら、海斗は泰一に駆け寄る。


「大丈夫か、泰一! 血が出てるけど……」

「あ、ああ、掠り傷だ」


 泰一が強がっているようには見えない。本当に掠り傷しか負っていないのだろう。

 海斗がふっと息をついた、まさにその時だった。


「がはっ!」

「泰一!?」


 海斗が見下ろすと、泰一の脇腹にトビウオが突き刺さっていた。


「こいつ!」


 海斗はブーツの裏でトビウオを壁面に固定し、そのまま剣で頭部を斬り払った。


「動くなよ、泰一! 残りは僕が片づける!」

「わ、わりィな、海斗……」


 律儀にも、泰一は大槌を床にそっと置いてからぐったりと腰を下ろした。

 もしかしたら、致命傷かもしれない……!


 不吉なものを感じた海斗は必死に頭を回転させた。とにかく早急にピラニアとトビウオを仕留めねばならない。

 しかし、剣では弾かれるし、大槌では躱される。どちらを使う? どう戦えばいい?


 壁面に背中をつけ、視線を巡らす海斗。唐突に、彼の耳に聞き慣れた声が入ってきた。


「海斗、聞こえる?」

「ああ、舞香か! 泰一を手当てしてやってくれ! 大怪我を負っているかもしれないんだ!」

「分かった! でもその前に……。さあ、華凛!」


 ん? 舞香は華凛に何をさせる気だ?


 次に聞こえてきた声は、とても力のこもったものとは思えなかった。強いて言えば、はっ! とか、やあっ! とかいう、いかにも子供っぽい大声だった。


「華凛! 何をやってるんだ、加勢に来るにはまだ――」


 早い、と言いかけて、海斗は我が目を疑った。

 狂暴な魚たちが、その場で完全に動きを止めていたのだ。床に落ちてくる気配はない。微かに痙攣しながら、立体標本にされてしまったかのようだ。


「海斗! 泰一は今引っ張り上げた! ちゃんと治療するから、あんたは残りの魚にとどめを刺して!」

「舞香だな? 了解だ!」


 海斗は素早く視線を巡らせ、どんな順番で魚を仕留めていくべきかを考える。

 その間、約五秒。ピリン、と脳内に電気が走ったような感覚があった。それを受けた時、海斗は既に勢いよく駆け出していた。


「はあああああああっ!」


 剣に操られているのか、それとも自らが奮起したのか。それは判然としない。

 だが、海斗は自分でも信じられない運動性能を発揮していた。


 剣もまた、そんな海斗に合わせて変形した。両刃ではなく細長い円柱状になったのだ。

 海斗は石畳の床をダンッ、と踏みつけ、三、四メートルほど上方へと跳び上がった。ちょうど最高地点にいたトビウオと目が合って、思わず口の端がつり上がってしまう。


 海斗は無言で、しかし双眸を輝かせながら腕を振り上げた。そのまま、跳躍した時とは比較にならない速度で剣を振り下ろした。


 長い吐息と共に、片膝をつく形で海斗は着地。あまりの衝撃に周辺の石畳が陥没し、海斗を中心に円を描くように亀裂が走る。

 それから僅かばかり経過し、紫電が円筒状になった剣の軌道に倣うようにして落雷をもたらす。


 雷は太く、細く、自在に変形。接触した魚の怪物たちを一瞬で消し炭にしていく。

 最後の一匹が粉微塵になったところで、雷はすっと消え去った。


「――!」


 何かが聞こえてくるのを感じて、海斗は耳を澄ませた。


「か――! 海斗――!」


 ゆっくりと腰を上げ、目を見開く。振り返ると、舞香の上半身がすっぽりと自分の胸に収まるところだった。


「ちょっ、舞香さん! 海斗くんは怪我をしているかもしれません! 乱暴はなさらないで!」

「海斗……。あっ、ごめん。その、あんまり凄かったから……あの、剣が電気を出すやつ」


 華凛を無視して抱き着いてきた舞香。その涙声に、海斗は自分が悪行を為したのでは、とひどく動揺した。

 

「え、あ? ちょっ……。僕、何かした?」

「自覚ないの!? 馬鹿! あんたも泰一も大切にしなさいよ、自分の身体くらい!」

「そ、それは、うん、正論、だね」


 海斗がなんとかこれだけ言うと、舞香は海斗を半ば突き飛ばすようにして、ポニーテールを振りかざしながら柱の陰に引っ込んでしまった。


(ちょっと邪魔するよ、お嬢さんたち)


 脳内に走った文言に、海斗たちは皆はっと息を呑んだ。


「フィルネ、お前か? 今どこにいる?」

(ちょっと待って。人間の可視状態に入れるように、体表を変換するから)


 疲れ果てている海斗には、フィルネの言っていることはさっぱり理解できなかった。

 だが、逃げも隠れもしないだろうという見当はつく。そこで海斗は、どうにか余力を用いて大声を上げた。


「我慢してたけど言わせてもらう! 泰一が酷い怪我をした! お前の差し向けたピラニアのせいだ! お前も僕たちとコミュニケーションを取れるなら、ちゃんと謝ってみせたらどうだ!」

(……)

「おい、返事はどうした? せめて誠意を見せることくらいしてもらわないと、僕の怒りは……」

(分かった! 分かったから!)


 そう言ってフィルネが顕現すると同時、海斗はばったりと仰向けに倒れ込んだ。

 後頭部を打たずに済んだのは、それこそ偶然の産物、九死に一生と言っても過言ではないだろう。


         ※


「相模艦長! クランベリーより通信! モールス信号です!」

「ん、分かった」


『しらせ』CICで、相模は通信士からのメモを受け取った。第二フロア制圧完了、とある。また、致命傷ではないものの、要救助者が一名、とも。


 こちらから通信できないのはクランベリーも承知のはず。なんとかしてくれるだろう。


 前向きに考える相模。その耳に、艦内放送が飛び込んできた。

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