第5話

「哨戒中の対潜ヘリより緊急通信!」

「何事だ?」


 焦りを隠しきったままで、相模は通信士の下へと大股で歩み寄った。


「海面に何らかの人為的な異常が見られるとのことです!」

「光学映像を回せ」

「はッ」


 相模が通信士の肩越しにディスプレイを覗き込む。その反対側からは、ちゃっかり池波もまた映像を見つめていた。


「これって……」

「君の予想通りだ、池波一尉。何者かが、我々が託した発煙弾を使ったのだろう。空気に触れると、一定の円形を描きながら真っ赤に染まる仕組みだ」

「ってことは、子供たちはまだ生きている、ってことですか?」

「一概にそうとは言えんな。今回派遣した潜水艇には、海自の特殊部隊を乗せたコンテナを装備させてある。この発煙弾を使ったのは、子供たちではなく特殊部隊の方かもしれん」

「……」


 池波は音のない溜息をついた。

 民間人、とりわけ子供たちの安全は第一にすべき。それが自分の信念だったのだが。


「ちなみに二佐、特殊部隊の役割は何だったんです? 子供たちの護衛ですか?」


 そう尋ねられた瞬間、ほんの一瞬だけ、相模の頬が引き攣った。


「池波一尉、来てくれ。他の者は、何らかの異常が生じた場合に備えて待機。行くぞ、一尉」

「えっ、あっ、はい」


 先ほどとは打って変わって、ぐいぐいと自分を引っ張っていく相模。

 他の隊員たちには知られたくないことなのだろうか? それほど扱いに注意すべき情報なのだろうか?


         ※


「ここだ」


 二人はあっという間に目的の部屋へと到着していた。防弾・防火性能を兼ね備えたスライドドアだ。

 ドアの前に立った相模は、指紋と眼球の毛細血管を照合する。


 すっとずれるようにして開放されたドアを前に、相模は、お先にどうぞ、と一言。


「ど、どうも……」


 軽く身を屈めながら(そんなに長身ではないのだが)、池波はゆっくりと部屋に踏み込んだ。立体画像映写機のスタンドには、第一小会議室、とだけ書かれている。


 池波の足は、自然とオーディエンスの方へと向かってきた。対照的に、相模は低い演壇に上り、立体画像映写機のスイッチをONに。


「今作戦の総監督は遠藤睦氏なのだが、君には情報を開示しても問題あるまい。オカルトに聞こえるかもしれないが、ひとまず聞いてくれ。信じるか否かは、君に任せる」

「は、はいっ」


 相模の口調が柔らかになったが、それは池波にとっては余計に緊張を強いるものだった。わざと自分に向かって、淡々と、理路整然と話すつもりなのだろう。


「事の発端は、十年前に遡る――」


         ※


 この海域を調査していた潜水艇が、海底に不自然な突起物を捕捉した。それはかなり広大な敷地があり、柱や壁面などの形跡も見られたことから、潜水艇の操縦士たちはこれを『超古代文明の遺跡』と呼んだ。

 当時発刊されていたSF・オカルト系の雑誌記者が嬉々として寄ってきそうなトピックだ。


 だが、世間一般にその存在が公表されることはなかった。海底の構造物が、特殊な状態に入ったからだ。


 特殊な状態――それは、発見されたまさにその日中に極秘扱いになるほどのものだった。

 まず、この海域下で地震が発生した。これだけなら、たまたまそういうことがあっただけだと一蹴されるかもしれない。

 だが、再びレーダーサイトを覗き込んだ観測員は我が目を疑った。


「艦長! これを!」

「何事だ?」

「海底の構造物が捕捉できなくなりました!」

「何だと?」


 艦長自らが、ずいっとレーダーサイトに視線を飛ばす。そして、言葉を失った。


「馬鹿な……。毎分毎に自己診断プログラムが走ってるんだぞ! 念のため、外部からの妨害電波がないか確認しろ! 物理的なものでなくても構わん、構造物のあった場所へ、電波や音波、紫外線を集中させて反応を見るんだ!」

「りょ、了解!」


 艦長は観測員の椅子の背もたれから手を離した。制帽を脱ぎ、ぐっと腕で額の汗を拭う。

 

「何なんだ、これは……。私はCICに戻る。何かあったらすぐに連絡を――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 踵を返そうとした艦長は、慌てて一回転。そのまま声の聞こえた方のディスプレイを視界に収める。そして、ふっと両腕が脱力してだらん、とぶら下がってしまった。


「これは……。モールス信号か?」

「はッ。この海域に友軍、並びに他国の艦艇は把握されていません。となると信号を送ってこられるのは……」

「深海に没した海底構造物だけ、か」


 顎に手を遣り、じっと波長を見つめる。

 すると何かに気づいたのか、艦長はそばに合った立体映像パネルと専用のペンを手に取り、一気に何かを書き上げた。受信できた信号から書き出したメッセージだ。


『次代の文明を為す者へ。挑戦を求む』


「この文面、どう思う?」

「分かりませんが……。しかし、構造物から発せられていると考えるのが妥当かと」

「少なくとも、我々の現在の装備では調査は不可能だ。ここと市ヶ谷の間の電波状況は?」

「はッ、問題ありません」


 一度腰に手を遣って、艦長は顔を上げた。


「よし、我々はこの場を離脱する。現在までに得られた情報は、すぐに海上幕僚本部にも上げる。焦る必要はないが、確実・正確にな」

「了解!」


         ※


「十年前、最初に構造物の存在を認めたのが、当時三等海尉だった自分、というわけだ」

「えっ、じゃあ、それであなたが今回の作戦指揮を?」

「少なくとも、上層部は自分に任せるのが適任だと考えたようだ」

「そう、ですか」


 そこまで相模と言葉を交わし、ようやく池波は気づいた。自分が十年前のイージス艦の艦橋に立たされている、という錯覚に陥っていたことに。

 

「大丈夫か、一尉? 随分とのめり込んでいたようだが」

「は、はい、ご心配なく……」


 その横顔に、相模は顔を顰めた。

 人好きのする卵型の顔に、度の強そうな丸い眼鏡。そばかすの散った頬は、むしろ健康的な印象を与える。


 それは別にかまわないし、どうでもいい。だが、自分が語っている間に見せた顔つきは何だ?

 表現の仕方はいろいろあるのだろう。顔を顰めているとか、苦虫を嚙み潰したかのようだとか。だが、生憎相模は国語に明るいとは言えない。

 それでも明確に思い浮かんだ、池波についての言葉。それは、劣等感と後悔だった。


 恐らく、今回の任務とは関係あるまい。もしかしたら彼女の幼少期の記憶が、彼女の足枷になっているのかもしれない。


 しかし、相模は看護師ではない。池波を励ますなりなんなり、手を差し伸べてやることはできない。

 他人の気持ちを考えろとはよく言われる話だ。が、そんなことを習うのは、精々小学生の頃合いである。自分は小学生とは程遠い。年齢的に、人生の折り返しに立たされている。子供向けの教育に従う筋はない。


「あんな茶番になど……」

「何ですか、三佐?」

「ん。ああいや、何でもない」


 慌ててそう答えたはいいものの、池波は未だに難しい顔をしていた。右手でつくった拳を顎の下に押しつけている。


「相模三佐、質問をよろしいでしょうか?」

「構わない」

「どうして自衛隊は、四人の少年少女を同伴させたのですか? それも、最新鋭の潜水艇でしか行けないような深海まで?」

「残念だが、自分の権限で述べることはできない。これは階級上の問題ではなく、単に知っているか否かという話だが、答えは否だ。それこそ、遠藤監督に直接問うてみるしかあるまい」

「ふむ……」


 再び拳を顎に当てる池波。制帽を脱いで軽く後頭部を叩く相模。


 今の自分にも家族がいれば、なにかしら思い当たるところはあるのかもしれないな。

 そんなことを、胸中でだけ呟いた。

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