第32話30 ゼル 1

 長い隊列が北へ、北東へと進んでいく。

 厄災の魔女、エニグマが潜むと言われる最果ての地へと。

 しかしその速度は、決して早いとは言えない。

 デューンブレイドに白藍の使徒。それに数年間の彼らの巻き返しに勇気を得た大陸中の若者たちが集まり、その総数は今や三千に達しようとしている。

 彼らはすべて、大切な人を魔女やギマに殺され、ギマにされ、故郷を破壊されて魔女に恨みを抱く者たちだ。

 なにしろ、大陸南部の一部を除いてほとんどの国は、魔女とギマによって滅ぼされ、残った都市や小さな国々も、いつ襲撃されるか怯えながら暮らしていたのだ。それが自分達でも、やり方次第では戦えるかもしれないと言う希望を持った。

 今まで人間の方から打って出るという思考も、行動も分断され、離散していた人々が、再び一つの目的のもとに集結しようとしている。

 これはもう、一軍と言っていい。

 しかし軍ならば組織でなければいけない。

 「軍隊」で、なければ。

 戦闘部隊への志願者も多いが、技術者や、武器職人、料理人、荷物運びの人足でもいいから使ってほしいという、老人や女までもいる。

 だから、ブルーやクチバ達は、まず組織を編成することを急いだ。

 今までのような烏合の衆では、一般のギマならともかく、エニグマに近い強力なギマ達の攻撃に、たちうちできない可能性もあるからだ。

 まず戦術を立てる幹部を決める、そして戦闘・戦法の指南、そして兵站へいたんの確保だ。

 当然のことながら、今までのように素早く動けなくなっていた。

 ただひとつ。彼らには同じ目的がある。 

 クチバの提案で、この軍に名称を付けることになった。

 レジメント。

 これが魔女と闘う共闘戦線の総称となった。命名は団結をもたらす。目的はたった一つだ。

「厄災の魔女を滅ぼす」

 エニグマの魔力は謎が多いのだ。今まで襲われた街はほとんど全滅し、記録が少ないこともある。

 恐れていても何もできないが、かといって油断も禁物だ。常に想定外の事態に備えなければいけないのだ。

 命令系統を急いで構築する必要があった。

 そこで、ブルーやクチバは戦闘員たちを千人ずつの隊に分け、それぞれの指揮官をブルー、クチバ、そしてジャルマの守備隊長セザリオとした。

 そしてその中に、さらに小回りのきく百人隊を編成し、対ギマ戦の指南をしている。

 これにはオーカーやサップ、そして都市の守備隊出身の士官たちが隊長になってくれた。いずれも今までの戦闘経験で、<司令者>のギマを見分けることができるようになっている。

 さらに、各部隊の状況を知らせる情報部隊を編成し、戦闘の状況や隊長の指示を迅速に伝える訓練も行なっている。

 しかし、どれだけ訓練してもしすぎることはない。

 入念かつ膨大な準備が必要だった。


「やれやれ。やること多すぎぃ」

 若いサップが弱音を吐いた。彼も今や百人隊の隊長として、自分の部隊をまとめる役を担っているのだ。

 レジメントは、大陸東寄りの小さな都市国家と、その周辺に駐屯し、いつかくるエニグマとの決戦に向けて着々と準備を整えている。

「文句を言うなよ。それも必要なことだろ? 士気は高い。二人の魔女の一方が滅ぼされた今が、反撃の絶好の機会なんだよ」

 ブルーがいさめる。

 彼ももう、数々の激戦を踏み越えた、立派な司令官の顔つきになっていた。

 しかしここに一人、苛立ちを隠せない男がいる。

 クロウだった。

「俺は今すぐここを発ちたい」

「だめだよ、クロウ。しようがないだろう? ギマが襲いかかってくる前に、ここでちゃんと組織として動けるように訓練しておかないと」

「わかっている」

 クロウは額の汗を拭った。彼はずっと激しい鍛錬を繰り返している。じっとしていられないのだろう。

「噂によると、魔女は<司令者>を増やし、ギマに武器を持たせたりして強化していると言うぞ。俺たちもそれに対抗できるようになっておかなくては」

「それもわかっている。だから、俺も協力している」

「ああ。お前はよくやってくれているよ。クロウ」

 クロウは、今では少なくなってしまった馬をかき集めた、部隊の指揮官となって精鋭部隊を指揮している。

 それはいざ戦闘が始まったら、最前線に立つ突撃部隊だ。そこには、各部隊の精鋭が揃っている。白藍の使徒からはクチバもいた。彼は戦術も担当する参謀だが、自ら志願してクロウの下についたのだ。

「お前が頼りだよ。先鋒百人隊の隊長殿」

 ブルーはすっかり頼もしくなった背中を、ぽんとたたいた。

「頼むぞ」

「ああ」

 クロウは背丈はもちろん、筋肉のつき具合も、十八歳とは思えないほど精悍な戦士の体格だった。

 戦いに生きてきたものの無駄のない所作と、深い藍の瞳を持つ端正な容貌と佇まいは、娘たちだけでなく男の視線もひきつけてしまう。

「演習を見てくる」

 クロウは自分が任されている隊の訓練場へと向かった。街はずれの起伏のある荒れ地である。

 ここでも、激しい突撃訓練がなされていた。

 指揮官はクチバである。元シグルの彼は、かつてのように非人間的な鍛錬ではなく、対ギマ用に考案された新しい戦術訓練を考案した。

 まず騎馬で動きの遅いギマを蹴散らし、柄の長い槍を使って確実に頭や首を狙う。群れる傾向のあるギマの間に、突間とっかんで道を作ったところに、左右の群れに紅油を噴射し、火薬を詰めたトウシングサの矢の破裂により焼き払う。古いギマの群れならば、これで一掃されるだろう。

 その隙に、魔女が潜む本拠地へと侵攻するのだ。無論、それを援護する部隊の訓練も余念がない。そこにはカーネリアがいた。


 彼女は軍の編成会議で、クロウの部隊を希望していたが、あっさり断られてしまっていた。

「どうして!? 私は馬も扱えるし、弓の腕前なら誰にも劣らないわ!」

「だが、女だ。いざとなると、力も持久力も弱い。カーネリアには突撃でなく、支援部隊に居てほしい」

「私はクロウと一緒に戦う! 邪魔になるなら、捨てて行ってくれて構わないわ!」

「捨ておけないから言っている。戦わせないとは言っていない」

「じゃあ! あの人は? あんなに細くて、訓練しないし、喋らないし、なんにも手伝わないのに先鋒隊にいるわ!」

 激昂したカーネリアの指差す方向には、馬に水を飲ませるゼルの姿があった。

 その鎧姿は薄暮の空に白くて美しく、剣も弓も持っていない。

 まるで妖精の鎧人形のようだった。

「みんな言ってるわ。あの人だけが得体が知れないし、信用できないって。なのに白藍の使徒たちは、あの人について何も言わないのよ」

「言わないんじゃなくて、言えないんだろう。誰もゼルのことは知らない。でも、彼の指揮で『亡者の牢獄』が壊滅した。ああ見えて優れた指揮官なのだろう」

 クロウはルゼを見つめている。

「でも、わたしたちに一言も喋らないじゃない! きっと下賤げせんな庶民だって軽蔑しているのよ!」

 カーネリアはクロウと一緒に行けないことがよほど悔しかったのか、ゼルに対する怒りが募っているのか、いつも陽気な彼女が珍しく激高している。

「私、一言言ってくる!」

 カーネリアは小高い丘の上から皆の様子を見降ろしている、白い騎士に向かって走り出した。

「やめろ!」

 クロウは止めたが、その前にゼルが気がつき、こちらに視線を向けた。

 ゼルとカーネリアは対峙した。二人はほとんど同じ体型だ。もっともゼルは鎧を着ているが。

「あなたねぇ! どんなに偉い騎士様か、なにか知らないけど、みんな頑張ってるのにあなただけ何にもしないってどういうことぉ!?」

『……私は偉くない』

 相変わらず、作られたような声音で騎士は答えた。クロウが彼の声を聞くのは、初めて会った時以来だ。

「やめろ、カーネリア」

 クロウが割ってはいるが、カーネリアの勢いは止まらない。

 クロウを押し退けて赤い髪の娘はずいと、白藍の騎士に迫った。かなりの迫力である。

「じゃあ、なんで何にもしないの? 私は顔も知らない指揮官なんか信用できない! 見せなさいよ! さぞかしご立派な、お顔なんでしょうねぇ?」

 この局地的な戦いでは、どう見てもカーネリアの方が優勢である。

 ゼルはカーネリアの勢いにたじたじとなって、うっかりするとクロウの後に入りたそうにも見えた。

『す、すまない。この鎧は私の体の一部で……私の意志だけでは脱げなくて、でもこの鎧が力をくれる。私は普通の方法では戦えない』

「じゃあどうやって戦うっていうのよ!」

「声だ」

 割って入ったのはクチバだった。


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