第25話24 塔への帰還 2

 南へ、南へ。

 クロウの足は早い。

 食事も、眠ることさえ最低限に、クロウはあの懐かしい塔を目指す。

 あの場所で過ごしたのは、秋から夏の初めまでの、わずか半年あまり。

 けれど、クロウの中では永遠の季節だった。


 レーゼ!

 ああ、レーゼ!

 遅くなったが、俺はあなたとの誓いを果たした。

 あなたの存在を、守り石を通じて常に感じていた。

 なくしてしまってすまない。でも、もうすぐに、すぐに帰るから!

 俺はデューンブレイドのクロウから、あなたのナギに戻る!

 レーゼ! 会いたい!


 一週間の旅を経て、クロウはゴールディフロウにたどり着いた。

 街の跡地には、元の住人や流れてきた人々が住み着き始め、日々の生活が出来始めている。

 しかし、そんなことはクロウには興味がない。

 街の奥にあるのは王宮、そして更にその奥の山中に、忘却の塔は隠されているのだ。

 山に入った時から、クロウの足は止まらなくなり、やがて全力で駆け出した。


 レーゼ、レーゼ、レーゼ!


「レーゼ!」

 木々の間から、懐かしい空間の光が届いた瞬間から、彼は叫び続けていた。

 それほどまでに欲していたのだ。

 命を救われ、自分の守り石をくれた少女のことを。

 誓いを捧げた小さな存在を。


『あなたの名前はナギよ』

『俺の名はナギだ』

 

 あの愛しい、優しい日々が蘇る。

 クロウは一気に森を抜けた。結界の痕跡はあるが、クロウにはもう意味をなさない。

 木々が切れる。足が止まる。

「あっ……!」

 そこでクロウが目にしたものは──。 

 

 壁が崩れた塔の残骸。

 踏み荒らされたかつての畑。

 潰された井戸。

 ──そこには誰もいなかった。

 静かな、ただ静かな廃墟。

 小鳥のさえずりが響くだけの。


「レーゼ! ルビア! どこだ!」

 クロウは気が狂ったように叫びながら、崩れ果てた塔の中へと飛び込んだ。扉はなかった。

「レーゼ! レェ———ゼ!!!」


 嘘だ!

 レーゼ。

 結界の中には、ギマも魔女も入れないはずじゃなかったか!?


 しかし、クロウはその結界を壊して旅立ったのだ。クロウにできたことが魔女にできないとは限らない。

 だとすれば。

「あああああああ!」

 最悪の予想がクロウを襲う。クロウはかろうじて残っている塔の内部を、狂ったように探し回った。


 俺が結界を破ったから、ギマがここを襲ったのか!?

 レーゼは、ルビアはどうなった!


 どこかに少女の手がかりがないかと、塔屋とその周辺を探し回ったが、なんの痕跡も見つけられない。

 気がつくと、あたりは夕暮れ、逢魔が時となっている。

 魔の力が強まると言われる刻限だ。

 クロウは、かつてレーゼの部屋だった場所に、ぼんやりと腰を下ろしていた。

隅っこに、壊れたかごが転がっている。ナギだった彼が採ってきた森の蔓から編んでいた、レーゼの籠。

 クロウがよろよろと籠を拾い上げた時、部屋の中が急に暗くなった。

「っ!」

 振り返ると、部屋の中央に水鏡のような波が浮かんでいる。

 それは縦に長い平面で、まるで女が覗き込む姿見のように、クロウに正面を向けていた。

 美しいが、不吉な気配が伝わる。


 なんだこれは?


 クロウは応戦の姿勢をとりながら、怪しい空間と向かい合った。

 やがてそこに、ぼんやりと人の姿が映りこんだ。

「レーゼ! レーゼか!」

 伸ばしたクロウの手は空間を揺らすだけで、何もつかむことができない。立体的には見えるが、音も声もない、ただの映像のようだった。

 しかし、そこに映し出されたものは──。


 結界の隙間から塔に向かって進むギマたち。

 数は多くないが老若男女の姿で、ゴールディフロウの伝統的な衣服をまとっている。立派な服装をしていても、ギマであることは確かだった。目が虚で光がない、そして服は血で汚れている。

「こ……れは、もしかして」

 クロウの声が震えた。それは、王家の人々、つまりレーゼの家族だったのである。

 だが王家の一族は、十年以上前に魔女たちによって殺されたはずである。

 たとえギマとなっていたとしても、その体はもっと傷んでいるはずなのに、なぜかそれほど損壊がひどいようには見えなかった。まるでつい昨日殺されたような状態だ。

 しかし、その意味はすぐにわかった。映像が切り替わる。

 レーゼは何か叫びながら塔屋から飛び出してきたのだ。

「レーゼ!」

 それはクロウの覚えている懐かしい姿。だぶだぶの服に包帯に帽子。わずかに見えている唇だけが赤い。

 彼女にもわかったのだろう。失ったはずの自分の家族を見て驚愕している。

 大声を出すのは辛いだろうに、レーゼは必死で何か叫びながら、金髪の少女──多分ジュリアと呼んでいた妹姫、そして母親らしい女性に取りすがろうと駆け寄った。

 その女性はかっと口を開いた。自分の娘に噛みつこうとしているのである。

「レーゼ! 逃げろ!」

 クロウは我知らず叫んでいた。

 母親はレーゼを唯一愛してくれた人だと聞いたことがある。その母がギマと化して自分を殺そうとしているのだ。

 その瞬間、映像が乱れた。ルビアが飛び込んできたのである。彼女は剣を握りしめていた。

 ルビアは大声でレーゼに指示を出している。逃げろ!と言っているのに違いない。

 そして彼女はまずレーゼの母の首を切った。彼女が直接支えていた女主人を。そして、かつての主君であった、国王や皇太子──レーゼの父を倒した。

 クロウはルビアの剣の腕を知っていたから、動きの鈍いギマを倒すのは、それほど難しくなかったのに違いない。

 しかし、そのギマはレーゼの両親であり、祖父だったのだ。

 それを彼女の目の前で切り捨てた。

 レーゼは何を見たのだろう。敏感なレーゼは全てを理解したに違いない。少し離れたところから、呆然と凄惨せいさんな光景を見ている。

 ルビアがまた何か言ったようだ。彼女は必死で塔を指差し、何かを伝えている。逃げ道を伝えているのだとクロウは思った。

 そこへ。

「ルビア! 危ない!」

 思わずクロウは叫んだ。

 必死でレーゼを逃がそうとするルビアの後ろから、抱きついた細い手。ジュリア、レーゼの双子の妹だ。

 ルビアが振り解こうとするその腕に、ジュリアは深々と噛み付いた。

 ギマに噛みつかれた者は、自死をしない限り例外なくギマとなる。

 ルビアの命運は決まった。

 ルビアは自分がギマへと化してしまう前に、レーゼに最後の指示を出している。

 鏡が見せるのは、おののき震えるレーゼの顔。目の上に巻いた包帯の下から涙が溢れている。

 レーゼは最後に何か叫び、身をひるがえして塔の中へと姿を消した。

「レーゼ!」

 むごたらしい映像はそれで終わりではなかった。

 まるで、見られていることを知っているかのように、ジュリアはこちらを見つめた。

 画面越しにクロウを見てから、うつろな瞳でにたりと笑う。

 彼女は<指令者>だったのだ。美しい少女の邪悪な微笑み。

 ジュリアは笑いながらレーゼを追って塔屋へと歩き出す。その手にはルビアの剣が握られていた。

 そこで映像は終わっていた。


「……」

 気がつくと、部屋の中は真っ暗だった。

 いつの間にか陽が落ちていたのだ。映像を見せていた空間のゆがみも、もうない。

 クロウは滝のような汗をかいていた。無意識に叫び続けていたのだろう、喉からは血の味がする。

「……お前なのだな、エニグマ」

 憎悪に満ちてクロウはつぶやいた。

「お前は俺がここに帰ってくることがわかっていて、この仕掛けをほどこした。俺がゾルーディアを滅ぼすことも想定内だった」

 エニグマの祖国であり、姉のゾルーディアとともに一度は滅ぼしたはずの国、ゴールディフロウ。

 そして生き残りの王女レーゼ。

 エニグマは彼女の身内から作ったギマで、レーゼを殺そうとしたのである。

 それは映像の背景から考えて、クロウが去ってからおそらく一年余りの出来ごとだ。

 厄災の魔女は、二度までも祖国の血を絶やそうとしたのである。

 クロウは何も知らなかった。そしてゾルーディアもエニグマによって、イトスギの森に封じられており、その事を知らなかった。

 あの時、エニグマはゾルーディアとの戦いに遠くから加わっていた。あの蔓の攻撃はエニグマだった。そして、クロウに斬りつけられて声を上げた。

 だから彼女は自分を恨んでいる、とクロウは考えた。

 この映像を見せることで、彼女はクロウに復讐を仕掛けたのだ。

 だが、エニグマでもわからないことがある。

「レーゼ」

 クロウは額に手を当てた。

 イトスギの森の戦いで、クロウが青い守り石をなくすまで、レーゼの気配は確かにあった。つい先日のことだ。

 だから、彼女は生きている。

 それは彼の確信だった。

 もしレーゼを殺したなら、魔女はその場面もクロウに見せるだろう。だからレーゼは生きていて、おそらくエニグマに囚われている。

「エニグマ、聞こえているな」

 クロウは懐から刀子を取り出し、鉢金を解いた。そして、埋まり始めている額の傷の上から刃を横に滑らす。

 傷は開き、熱い血が流れた。

「この傷にかけて、俺はお前を滅ぼす! 待っていろ。厄災の魔女」

 闇の中でクロウは自分の血を舐めた。



   ****


クロウはまだナギに戻れないので、文脈状、クロウのままです。

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