第14話13 愛しき日々 春 3

 ルビアが帰ってきた夜、二人はこれからのことを打ち明けた。

「そうですか。ナギ一人なら出られそうなのですか」

「ええ。私が試してみても、まだ無理そうだった」

 レーゼは、考え込みながらいった。

「……というか、もしかしたら、私がナギを閉じ込めていたのかもしれない」

「どういうことです?」

「私はずっと誰かを待っていた気がする。だからナギが来た時すぐにわかった。私は嬉しくて、放したくなかったのよ。だから、結界は私の意志を感じ取ったのかもしれないって」

「いくらご先祖様が作った結界でも、そんなことまでできるものでしょうか?」

 ルビアは疑わしそうに言った。

「わからないわ。でも、冬中考えて、この塔の周りの世界だけじゃあ、ナギには狭いって思いはじめたの。結界のゆるみが進んだのも、そんなことも関係してるのかもしれない」

「……」

「そして今は信じられる。ナギならきっと、ゾルーディアを滅ぼして私を助けてくれるって」

 レーゼはナギを見上げ、ナギは包帯の下の少女の瞳を強く意識した。

「そうだ。結界はきっとあと少しで破れる。そしたら俺はすぐにでもここを発つ。一刻も早くレーゼを助けたい」

「わかりました。私はレーゼさまの元を離れられないから……ナギ、あんたに希望を託すわ。使えるものなら<シグル>だってなんでもいい、どうかあの憎らしい魔女を滅ぼして」

 ルビアも心を決めた様子で言った。もはや、レーゼの母と言ってもいい彼女も、レーゼの運命についてずっと憂えてきたのだった。

「レーゼ、俺の額には入れ墨がある」

 ナギは伸びてきた前髪を上げた。

「知ってる。最初にナギを見た時に気がついたもの」

「知ってる?」

「見えないけどわかったの。形はわからないけど、ナギの体でそこだけ、とても冷たい」

「ここには古代文字で数字が刻まれている。シグルとしての俺の番号、九十六が」

 レーゼはその部分に指先で触れた。それはごく小さいのに、彫った者の悪意が込められているような気がする。

「やっぱり冷たいね」

「レーゼ、頼みがある」

 そう言ってナギはいつも使っている小さな刀子とうすをレーゼに渡した。

「な、なに?」

「この刺青をえぐり取ってくれ」

「ええっ! そんな、無理よ。私位置がわかるだけで見えないのに!」

 レーゼは驚いて首をぶんぶん振った。

「それでいい。もう俺はシグルじゃないんだ。だから、レーゼの手で。レーゼに削ってほしい」

「ルビアに」

「ルビアじゃだめなんだ」

「レーゼ様。ナギは名前をくれたレーゼ様に、過去を切り取ってほしいのですよ。大丈夫、私がお教えしますから。ナギ、それを貸して」

 ルビアは、沸かした湯に刀子とうすの刃をひたし、その間に薬や布を用意する。レーゼはまだ決心がつかず、うつむいたままだ。

「でも……きっと痛いわ。不器用だから、ナギを傷つけてしまう。たくさん血が出る」

「痛みなんて慣れてる。もっと酷い怪我を追ったことだってあるし、ろくな手当もされなかった。さぁ」

 ナギはそう言ってレーゼに刀子を握らせた。

「……どうしても?」

「ああ。レーゼはよく言うだろ? 私を信じてって。俺はレーゼを信じてる。レーゼは俺を信じられるか?」

「うん」

 レーゼはしっかりと頷いた。

「決まりだ。位置はわかるな」

「わかる。はっきり」

「よし。思い切ってやってくれ」

 ナギはベンチに身を横たえた。レーゼはしばらく考えていたが、やがて、確かめるように指先で額を探り、息を詰めた。

「レーゼ。怖がらなくていい」

「わかった」

 レーゼは包帯の下で目を閉じた。五感を澄ますと、そこだけ黒く浮かび上がる染みがはっきりと見える。

「そこです。あまり力まずに、刃先を滑らせて」

 ルビアのいう通り、レーゼは刃を皮膚に食い込ませる。その感触は刃物を持ったことのない少女をぞっとさせた。

「大丈夫だ、レーゼ」

 ナギが声を掛ける。レーゼはできるだけ傷が大きくならないように、皮膚の表層を切り取り、流れる血はルビアが布で受けた。

 刃物を持ったことのないレーゼの指先はおぼつかない。熱いナギの血がレーゼの指先を濡らし、立ち上る鉄の香りに震えてしまう。

「あ!」

 刀子の先が突いたレーゼの指先から、血の玉が滲み出した。

 それは細い指先を伝い、ナギの傷にぽたぽたと落ちる。二人の赤い血が混じり合った。

「ど、どう? 痛い? ごめんね」

「大丈夫だ。レーゼは大丈夫か? 今、怪我をしたんじゃないのか?」

「うん、刃の先でちょっと突いたけど、全然大したことない。ナギの方こそやせ我慢してるんじゃない?」

「痛くない。むしろ何だかいい気持ちだ」

 ナギの言葉に力を得て、レーゼは黒い染みを感じなくなるまで、刀子を使った。

「もう冷たくて黒いものはないわ」

 レーゼはホッとして刀子を脇に置く。ルビアが消毒液を浸した布でナギの額を抑えた。

「待っててね! 私に考えがあるの!」

「……」

 ナギが目を閉じる。


 ──不思議だ。

 最初は確かに少し痛かったのに……今はちっとも痛くない。

 何か不思議な感覚……力がみなぎるというのか。


 レーゼは塔屋の二階にある自分の部屋へと駆け込んだ。

 わずかな物しか入っていない私物箱の底から、レーゼは小さな袋を取り出す。それには王家の紋章が刺繍されていた。

「ごめんね! ナギ、遅くなった!」

「平気だ。レーゼこそ大丈夫か?」

 落ち着いた声が返ってきてレーゼは安心する。

「ナギ。これを見て」

 レーゼは袋から小さな石を取り出した。そこには青く輝く双晶そうしょうの宝石があった。ナギの瞳よりも薄く、レーゼの元の瞳より深い。

 心臓の形にも見えるそれは、不思議な輝きが力となって渦巻いているようだ。

「これ、私の五歳の誕生日にお母さまがくれたの。私の守り石だって。でも、そのすぐあと魔女がやってきて、全部なくしたけど、私とこの石は残った。だからきっとこれはナギを守ってくれる。ルビア、これ二つに割れる?」

 レーゼは美しい青石をルビアに渡した。

「お母さまから頂いた宝石を割るのですか?」

「いいのよ。私が傷を押さえるわ」

「……」

 ルビアはもう何も言わずに、石を布を敷いた台の上に置くと、道具箱から小さなのみつちを持ち出し、宝石の根本に突き立てて打った。双晶の石は、きれいな断面を見せて二つに割れる。

「一つちょうだい」

 レーゼはルビアに言って額の布を取った。傷口には軟膏が塗り付けられているが、まだ血は止まっていない。

「レーゼ? どうした?」

 ナギが不思議そうにしている。

「今からこの石をあなたの額に埋めるの」

「ええ? レーゼ、それはだめだ。それはレーゼを守るものだろ」

「私のことはナギが守ってくれるからいいの」

 そう言って、レーゼは生々しい傷跡に宝石をあてがった。傷口に宝石がぴたりとはまる。まるであつらえたように。

「痛くない?」

「いや」

「今、布で縛るわ。薬も塗ってあるからしばらく取ってはだめよ」

「ああ」

「これで、ナギは全部ナギになった」

「そうだ、レーゼのナギだ」

 ナギは何事もなかったように起き上がった。

「そしてここが俺の……家? そう……家だ」

 家という概念の薄いナギだが、それでも言葉としては知っている。<シグル>では他の人間と交わる時のために、必要な知識を最低限教えられたからだ。

 ただし、自分達とは縁のない「知識」としてだが。

「だから俺の帰る場所はここだ。レーゼのいる場所だ」

「買ってきたなめし革で額当てを作るよ。防具にもなる丈夫なものを」

 ルビアが額の汗をぬぐった。さすがの彼女も緊張したらしい。やれやれというように、荷物を解きに向かう。

「俺も手伝ってくるよ」

 ナギは傷のことなど忘れたように、元気よくルビアの後を追った。

 その背中を見てレーゼは思う。


 ナギはもうすぐここを出ていく。

 そしてその先は……ああ、私にはもう見えないわ。

 でも、誓ったのだから。


 レーゼはそっと自分の指に口づけた。先ほど刀子で傷つけた場所だ。ぴりりとした痛みが走る。


 私だって、耐えられるわ。

 耐えて待って、帰ってきたナギを迎えるの。


 翌日から、ナギの鍛錬はさらに苛烈なものとなった。

 魔女を倒すために自分を鍛えるのはもちろんだが、結界の弱くなったところを突き崩すためでもある。

 裸足で岩山を登り、枝から枝へと飛び、川を渡る。冬眠から目覚めた野生の獣を一人で倒し、強い弓で猛禽を射た。

 シグルの印をレーゼに取り除いてもらい、青い石を額に冠してから身体能力が向上したように思う。どんどん力が湧いてくる。自分でも戸惑うくらいに。

 だが、ナギは構わなかった。強くなれるならなんでもいい。自分の体のことなどどうでもいい。

 レーゼを助けるためなら。

 毎晩レーゼは傷だらけのナギの手当てをした。

「私のためにこんなに怪我して……私がナギを痛めつけてるんだね、ごめん……ごめんね」

 レーゼは泣いてるようで、包帯が濡れていく。

「謝るな、レーゼ。俺ならなんともない。むしろ体の調子はいいんだ。どんどん力や技が習熟しているくらいだ」

「でも……いつも血の匂いがする」

「それは生まれつきだよ」

「ナギ!」

 レーゼは細い腕を伸ばして、少年の頭を抱きしめた。

「ありがとう……」

 ナギは大人しく抱かれながら甘い香りを吸い込む。

 短い春は終わりかけていた。


 そして、ある日──。

「レーゼ」

 すっかり陽も落ちた頃、ぼろぼろに傷ついたナギが塔に帰ってきた。

「結界を破った」

「ナギ!」

 崩れ落ちてしまったナギをレーゼが支えようと駆け寄るが、支えきれずに二人して草むらに倒れてしまう。

 レーゼは伸しかかるナギの重みを感じた。体の重さと、心の重みを。

「レーゼ様!」

 ルビアがすぐに二人を助け起こす。

「ナギ! なんて無茶をするの! この数日間、一度も帰ってこないで!」

「ごめ……」

「ルビア。いいの、許してあげて、私はわかってたの! わかってて言わなかったの!」

「レーゼ……俺は」

 疲れ切ったナギがレーゼの上で眠りかけていた。

 その心地よい重みを身体中で受け止めながら、レーゼもまた目を閉じる。ナギの頭を抱きしめながら。

「ナギ、決して無理はしないで。私にはわかるの。この痣が私を取り込むまで、まだだいぶ時間がある。ゾルーディアは時々私を覗いて確かめているのよ。だから決して、無茶はしないで」


 翌朝。

 朝靄の中、ナギは旅立つために、塔屋の外へ出た。穏やかな春の朝だが、空気はまだひんやりと冷たかった。

 見送りはレーゼ一人だ。花の咲くつる草が絡まる塔屋の前に、心細そうに立っている。

「待っていて、レーゼ。必ず帰るよ」

「うん。待ってるから、ナギ。帰ってきてね」

 まるでそれが自然なことのように、二人は口づけあう。

 幼いふれあい。

 レーゼもナギも、自覚はしていなかったが、それは確かに愛という名の絆だった。


   ***



旅立ち。この章終わりです。

これからどんどん面白くなります!

どうぞついてきて下さい!


双晶の宝石は水晶類(アメシストなど)に多いのですが、この物語は架空ですので、タンザナイトのような色の宝石をイメージしています。

TOPのイメージは多分アメジスト。

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