第10話 9 愛しき日々 冬 2

 どうにもならない理由で共に住み始めたとはいえ、最初九十六号は、レーゼとルビアにそれほど打ち解けられなかった。

 <シグル>のおきてでは仲間以外、時には仲間すら信用してなならないものだったからだ。

 安らぎや情を求めることは、死と同義だった。

 だから九十六号の最初の戸惑いは、言葉では表現できない。大人のルビアはともかく、レーゼは目も見えず体も弱そうなのに、なかなか気を許さない九十六号に対して親しげに話しかけてくる。


 その日二人は、暖炉の前で豆のサヤをいていた。

 豆は畑で採れる重要な食糧だが、中には傷んでいるものもある。しかしレーゼは痛んでいるものをより分け、出来のいい豆のサヤを器用に剥いていく。ルビアは台所で保存食を作っているようだ。

「豆は半分干しておくの。乾いたら粉にもできる」

 レーゼは豆など剥いたことのない九十六号に説明する。

「レーゼの目はどうなっているんだ? どれほど見えている?」

 九十六号の見つめるその部分は、普段は包帯が巻かれていて、九十六号は一度しか見たことがない。それは初めて、レーゼに会った日のこと。隣で眠るレーゼが目を覚ました時だった。

「んーんと……、ぼんやりした形と明るさはわかるよ。まぶしいのが辛いから、こうやって布で押さえてる。けど真っ暗は嫌。だから白い布で」

「暖炉の火も眩しい?」

 今は昼間だが、曇天で室内は薄暗く、灯りは小さな暖炉しかない。

「どうかな? もう習慣になっちゃって」

「昔は見えてたんだろう?」

 それは二人で話している間に気がついたことだ。

「ええ。小さい頃はとてもよく見えてた。でも瞳の色がだめだったんだって。お爺さまがそう言ってた」

「色? どんな色だった?」

 九十六号は勢い込んで尋ねた。一度だけちらと見たレーゼの瞳は、濁った白色なのだ。

「さぁ、あまり覚えてないの。私の部屋には鏡がなかったから。でもあんまり綺麗じゃない薄い青色だった。瞳も髪も、ゴールディフロウの喪の色、黒に次いで不吉とされてるの」

 ゴールディフロウでは黒は闇の色で、喪の色ですらない、悪と恐怖の象徴だ。

「わからないな」

 シグルだった九十六号には、滅びた国の喪の色の知識などない。

「ゴールディフロウは、赤や橙のような、華やかな色相を重んじる習慣があったの。それで一番尊いのが金色。妹のジュリアはとっても綺麗な、金色の目と髪を持ってた」

「……」

「あなた、私の頭を見てるわね。髪も昔はいっぱいあったのよ。でも不吉な色だからって、いつも短くされてた。どっちみち魔女の呪いで今はほとんど抜けちゃったけど……」

 レーゼは九十六号の視線を感じて悲しそうに言った。

「今は禿頭なの。だから見せたくない。色も、もう少し濃い色だったんだけど、今は真っ白?」

「でも、すごく綺麗な形だ」

 少年は丸い曲線を描く頭蓋を見て言った。首筋から続くまろやかな曲線は、額から真っ直ぐに鼻筋へと続いている。鼻の形もいい。

「形?」

「骨の形」

「骨を褒めてくれるの? あなた面白いね。でも、髪も目も色が薄くて、私は忌み子として、妹とは離して育てられた。双子なのに全然似てなくて」

「双子?」

 知識としてはあるが、九十六号は双子というものを見たことがなかった。

「うん。私がお姉さんよ」

「双子って似るもんじゃないのか?」

「ちっとも。ジュリアは綺麗でみんなに愛されてた。私とはなかなか会えなかったけど、あの子なりに優しくしてくれたてた。使わなくなった人形や服をくれたり……懐かしいなぁ。みんな死んで、いなくなっちゃった……滅んだって言うのかな?」

「魔女のせいだな。恨んでいるか?」

「恨む? 恨むっていう感情がよくわからないけど……いなくなったのは悲しいわ。お母さまには今でも会いたい。いつも私を抱きしめて、ごめんねって謝っていたけど」

 レーゼからは、恨みや憎しみは感じられなかった。あきらめというより、最初からそんなものだと思っているのだろう。

「魔女は、レーゼの力……能力に気がつかなかったのか?」

「わかんない。私はとても幼かったから。あの夜、あちこちから悲鳴や叫び声が上がって、私はただ恐ろしくて、ずっと離宮で震えていたの。そしたらゾルーディアがやって来た」

「魔女が? 一人で?」

 皆が恐れる名前を平気で口にするレーゼに、九十六号でさえ少したじろぐ。

「他にはいなかったように思う。そして、私を眺めて助けてやるって言った」

 レーゼの言葉はあくまで単純だ。


 感覚が鋭いなんて能力、魔女がわからないはずがないと思うけど……恐るるにたらない力だから、救われたのか?

 本当に脅威だと思われたなら、すぐに殺されてただろうし……。


「そうか。でも確かにその力のことは、人には言わない方がいい」

「うん、そうする。お母さまの話では、昔は、予言ができるとか、優秀な武器を作れるとか、すごい魔力を持った王族がいたみたい。この結界を張った人だってそうだし」

「……」

「でも、私のはあんまり役に立たない力だと思う」

「役に立たない? そんなことはないだろう?」

 九十六号にはその力が、戦闘をどれだけ有利にするか容易に想像できた。

 レーゼのつたない言葉だけではよくわからないが、もし五感が常人以上に発達しているものならば、戦いにおいては非常に有利になるからだ。

「でも、お爺さまが役に立たないとおっしゃって、直系なのに見かけも悪いからって、王宮の外の離宮で暮らせって言ったのよ」

「王宮? レーゼのお爺さんって、もしかして王様なのか? ゴールディフロウ王国の?」

「えっと……」

「レーゼ様」

 ルビアが台所から入ってきた。

「今はそこまでにしておきなさい」

「どうして?」

「この子はまだここに来たばかりですから。まだ全部知らせなくていいのです。お互いゆっくり知り合いましょう」

 ルビアは用心深く言った。

「あーもう! あなただの、この子だの、面倒ね! あなた、名前はないの? 今まで遠慮して聞けなかったんだけど!」

「名前? ずっと九十六号と呼ばれてきたから」

 はるか昔には、**と呼ばれていたような気がする。

 夢の中で優しい手に抱きしめられた時、なんと呼ばれていたものだったか?

 九十六号は思い出せない。<シグル>での過酷な日々が、幼い日の思い出などを消し去ってしまったのだ。


「でも、それってただの番号よね? 本当の名前は?」

「……知らない。ほかのやつらと同じように、俺もほんの小さい頃にさらわれてきたみたいだ」

「さらわれて? それって悪い人に?」

「まぁそうだ」

 <シグル>の全容については九十六号もよく知らない。

 しかし、どこの国にも属さずに、報酬次第でなんでも請け負う組織だという認識はあった。秘密保持のためか、構成員はそれほど多くはない。しかしいずれも、特殊な訓練を受けた冷酷無比な仕事人たちだ。

「ということは、私もあなたも普通の子どもじゃないってことね。でも、やっぱり名前は大切なものよ。私が考えてもいい?」

「……好きにしたらいい」

 レーゼはしばらく考え込んでいたが、やがて少年の手を取って自分の額に当てた。少年はなぜだか動けなかった。

 静かな時間が流れる。

 そしてレーゼは立ち上がり、棚に並べてあるわずかな本を触っていたが、突然振り向いて言った。

「ナギ」

「え?」

「あなたの名はナギよ」

「……ナギ?」

 それは聞きなれない、不思議な音だった。

「東の大陸では海が静かな時をナギっていうんだって。昔、この本に書いてあったのを覚えてる。海って、とても広くて大きな水で青いのよ」

「聞いたことはある。でも俺も海はよく知らない」

 レーゼが広げた本には、深い青色が頁の半分を埋めつくしていた。

 もう半分は淡い青で、海と空を表しているという。次のページからは海に生息する様々な動物や鳥が描かれている。

「これが海?」

「そう。私、あなたに触れた時から何か青いものを感じていたの。それに、いつも心の奥がしんと静かだわ。そしたらナギって言葉が浮かんできたの」

「この子の目も髪も深い青ですよ」

 ルビアが口をはさむ。

「やっぱり! そうだと思っていたの。レーゼが感じて決めた。あなたはナギ」

 ナギ。

 それは九十六号が昔、呼ばれただ時の音の数と同じような気がした。

「ああ。わかった。俺はナギだ。レーゼ」

「うん。だから今日がナギの誕生日」

 それは二人が、初めてお互いを名前で呼び合った瞬間だった。

「誕生日?」

「そう。生まれた日よ。お祝いをしたり、ご馳走を食べたり、贈り物をする日。ルビア、今日はご馳走を作ってほしいんだけど」

「かしこまりました」

 ルビアはいそいそと台所に向かっていく。

「俺は名前を贈られたんだな」

 それは九十六号と呼ばれていた少年が、生まれて初めて人からもらった贈り物だった。

 それは冬を予感させる寒い日。

 けれど、二人の心には温かく灯が灯った。

「これから冬が来る。時間はたくさんあるわ。ゆっくり私を知ってほしいの。それで、私にもナギのことを教えて」


   

***


レーゼの元の瞳や髪の色は、宝石のタンザナイトを明るくしたような色合いです。この作品では白藍(びゃくらん)とします。

ナギの色はアズライトという石のイメージです。黒に近い藍色。

なので二人は藍色という共通項を持っています。

Twitterにイメージを上げておきます。

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