第7話 6 傷ついた少年 忘れられた少女 5

「気分はどうですか? よく眠っていましたよ。二人して」

 ルビアは盆を傍に置きながら尋ねた。

「うん、なんだか気分がいいの。火を入れてくれたのね。あったかいわ。ありがとう」

「特別ですよ。風邪を引くといけないと思って……あんたはどう? 見たところ熱はなさそうだけど」

 ルビアの問いに少年は答えなかった。

 ひどく胡散臭うさんくさそうな目つきだ、とルビアは思ったが、少年の肌に残る無数の傷痕を見ると、今までよほど酷い扱いを受けてきたのだと、容易に想像はついた。他人を信用できないのも無理はない。

「あんた、アルトア大陸じゃない、東の大陸の血を引く人だね。そういう肌の色は見たことがあるよ」

 少し黄みがかかってはいるが、滑らかな少年の肌の色を見ながらルビアは言った。

「……」

「警戒するのはわかるけど、ここには私たちだけしかいないし、私もレーゼ様もなにもしないよ。でも無理強いはしない。嫌なら今すぐ服を着て出ていけばいい」

 ルビアは乾かした服が置いてある椅子を示した。

 その時、くぅと妙な音が近くで聞こえ、少年の眉が上がる。レーゼの腹が鳴ったのだ。

「ルビア、ご飯なのね。とてもいい匂い! それ、うさぎのシチューね」

「はいそうですよ。もう夕方です。よくお眠りになりましたからねぇ」

「早く食べたいわ!」

 レーゼは素早く粗末な食卓に駆け寄り、慣れた手つきで食器棚から皿やスプーンを並べている。

「お腹ぺこぺこ。あなたも食べるでしょう?」

「!?」

 レーゼにそう言われて、九十六号は初めて自分が空腹であることに気がついたように、ルビアが蓋を開けた鍋を見た。

 鍋からは一気に湯気が広がり、部屋中にふわりと良い香りが広がって、育ち盛りの少年の胃と脳を刺激する。

「……」

「やっぱりあなたもお腹空いているようね。一緒に食べましょうよ」

 レーゼは鍋の方を見ないようにして、うつむいている少年に声をかけたが、彼は顔を上げなかった。

「ねぇ。早くしてよ。私いおなかすいちゃったの! ほら!」

 レーゼががたぴしとした椅子を持ち出し、座り込んだままの少年の腕を取るが、それは邪険に振り払われた。

「……え?」

「ちっ」

 訳がわからないという様子のレーゼを見て、やっと彼は少し気持ちを変えたようだ。ルビアが見守っている中、少年は「自分で」とつぶやいて、ようやく立ち上がる。すると、腰のあたりに巻きついていた毛布がずれて落ちた。

「……あ!」

 九十六号は自分が素裸だったことを忘れていた。

 今まで裸になることなど、特に珍しくなかったのだ。下履きだけで訓練したり、服をむしり取られて殴られることもあったからだ。

 しかし、今は気にしなければいけないような気がした。

 目の前には久しぶりにみる異性おんなのこがいるのだ。女の子は自分と体が違うことくらいの知識はある。

 その上──。


 俺は素裸で、この女に抱かれてぐっすり寝ていたのか?


 認識したくはなかったが、その事実は非常に恥辱的なことのように思えた。

「ほら」

 ルビアが再び座り込んでしまった少年に服を渡す。

 痛ましい傷跡は、上半身だけでなく体中に走っていることに気が付いたが、そのことについては何も言わなかった。

「夕飯を食べるには少々不向きな服だけど、あんたの様子を見たら、今はこれしかないね」

「服着るの? 手伝おうか?」

「一人で着る! あっちを向いていろ!」

 九十六号は服をひったくり、慌てて壁の方を向いて着込み始めた。

 戦闘訓練用の丈夫な皮の服なので、少々着るのに手間がかかる。

 彼は自分が赤くなっていることには気がついていないが、羞恥心は持っているようだとルビアは思った。


 小さくて細いが体つきはしっかりしている。しかし、性毛は生えていないし、声もまだ高い。

 この少年は、多分悪い子ではない。

 今まで相当ひどい目にあってきたようだから、他人に猜疑心さいぎしんが強いのは仕方がない。

 けど──まだ矯正きょうせいできるかもしれない。


 ルビアはそう判断して食卓を整える。

「ねぇ、まだなの?」

「見るなっ! あっちに行け!」

 へらりと覗き込んだレーゼに怒鳴り返し、九十六号は急いで下ばきをはいて紐を結ぶ。

「さっきからなんで怒ってるの?」

「うるさい!」

「レーゼ様、男の子は女の子に見られたくないものがあるんですよ」

「だって、私は目が見えないのに」

「それでも、男の子はそういう生き物なんですよ。見ないでやってくださいませ」

 ルビアはなんでもないように食卓を整えている。

「そうなの? わかった。もう見ないからごゆっくり」

「……」

 九十六号は得体の知れない悔しさを味わう羽目になった。

 だが、それよりも。

「俺のは?」

 九十六号は鋭くルビアに聞いた。

 少女に聞いてもらちがあかないと思ったのだ。

「あんたの持ち物はちゃんと取ってある。悪さをしないなら、そのうち返してあげます」

 ルビアは皿にシチューをよそいながら言った。

「……そのうち?」

「ええ、あんたが出ていく時にね」

「……」

 九十六号の服には投擲用とうてきようの暗器がいくつも仕込まれていた。それを見られたということは、<シグル>内のおきてでは殺していいことになっているのだ。

 しかし、このルビアという女は訓練を受けたことがあるようで、動きに無駄がなかった。とはいえ、九十六号がその気になれば始末できぬ存在ではない。レーゼというか細い少女にいたっては、片手で首をへし折れるだろう。

「なら今すぐ出ていく。返せ」

 身なりを整えた九十六号が前に出るが、レーゼが割って入った。

「え? 一緒にご飯を食べないの? せっかくのウサギのシチューなのに? ごちそうなのよ」

「……」

「ねぇ、私もうお腹ぺこぺこ、早く食べましょうよ」

「そうですね。あんたもこの椅子に座りなさい。出ていくのは、食べてからでも遅くはないでしょう? お腹空いてるはずよ」

「……」

 九十六号はしばらくレーゼとルビア、そして鍋の中のシチューを見ていたが、黙って示された椅子に座った。

 見えなくてもわかるのか、レーゼはまめまめしく九十六号に、木のスプーンと水の入ったコップを渡してくれた。確かにこの少女なら、それほど警戒しなくてもよさそうだ。

 食卓の中央には湯気を放つ鍋と器。そして小さなパンが三つ置かれた皿がある。

「こんな熱湯のようなものを食わすのか?」

 何かの拷問かもしれないと、再び九十六号は身構えた。分厚い土器の中身は盛んにぐつぐつ言っている。

「熱湯? これはシチューよ」

「……しちゅー?」

 九十六号は、そんな食べ物など聞いたことがなかった。

 食事といえば酸っぱい干し肉と硬いパン。鍛錬中は数粒含めば腹が膨れる丸薬を飲むだけだったのだ。

「美味しいのよ。私を信じて?」

 レーゼが小首を傾げた。

「さぁ、いただきますよ」

 そう言ってまずルビアが食べ始め、レーゼもスプーンに山盛りにしたシチューを唇を尖らせて冷ましている。毒などは入っていないようだ。

「わぁ! 今日のはたくさんお肉が入っているのね。一昨日ルビアがったものでしょ?」

「はい。男の子がいるので、奮発してみました」

「そういえば、あなた男の子だったわね?」

 もちろんレーゼは性別に男と女があることは知っている。

 父や祖父、それに城の衛兵達がそうだったからだ。しかしその記憶は遠く、ましてや自分と同じ年頃の少年などレーゼは見たことがなかった。

「あなたなの?」

 その男の子は、スプーンを口に突っ込んだまま呆然としている。


 なんだこれ。ものすごく美味いじゃないか。

 これが食い物の味なのか? やっぱり毒じゃないのか?


「美味しい?」

 九十六号がふと見ると、レーゼが自分をのぞきこんでいた。

 顔の上半分が覆われているのに、嬉しそうな様子が伝わるのはどうしてだろう?

「……熱い」

 それだけを言うのがやっとだった。

「ね? あなた男の子どもなの?」

 レーゼは辛抱強く尋ねた。

「そうだ」

「わぁ、男の子に会うのは初めてよ! 私は女の子なの。体が少し違うのね。足の間にやわらかい棒のようなものがくっついてたわ」

 シチューを吹き出したのは、レーゼ以外の二人だ。二人とも、すごい勢いて口を拭いたり咳き込んだりしている。

「ねぇ、どうしたの?」

「レーゼ様、そのことは今は置いておきましょう。後でお話ししてあげます。今はご飯を食べて」

「……」

 後で何を話すのか絶対に知りたくないと思いながら、九十六号はひたすら食べ続けた。耳まで真っ赤になっているのに、やはり本人はわかっていない。

「あなたの名前はなぁに?」

 空気を少しも読まないでレーゼは尋ねる。この少女は本当に何も知らないようだと、九十六号は考えた。それでかえって気が楽になり、名乗る気になった。

 九十六号はただの呼び名で、自分には名前などない。呼び名など知られたところで何も支障はないと思ったのだ。

「……九十六号と呼ばれてる」

 シチューをかき込みながら九十六号は答えた。

「きゅうじゅうろくごう? それって名前なの? へんてこな感じね……あ、ごめんなさい。私、ずっとルビアと二人で暮らしてるから、外のことをあまり知らないの」

「二人だけでここに?」

 今度は九十六号が尋ねる番だった。

「うん。小さい頃は、お爺さまやお父さま、お母さまがいて、ジュリア……妹よ、もいたけど……ゾルーディアとエニグマが来てみんな死んじゃった」

「ゾルーディアとエニグマ?」

「そう……知ってる?」

「……お前」

 九十六号は驚いた。

 知っているどころか、このアルトア大陸では、名前を出すのも恐ろしい存在なのだ。それは<シグル>の大人達でさえそうなのだ。

 彼女達は自分達の名を呼ばれると、どこからでも耳を澄まして話を聞く。そして、名を呼んだ者には死よりも酷い運命をもたらす。

 だから、誰もその名を呼んではいけない。この大陸ではそう信じられているのだ。

 九十六号は答えた。

「知っている。双子の魔女たちだ」



   ***



レーゼと九十六号で、視点が変わって読みづらくはないですか?

おかしな点があれば、お聞かせくださいね。


連載二日め、いまだこの先続けていいものか、ドキドキしてます。



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