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「さて、コードリールが後頭部を直撃したことにより鈴木先生は気絶します。そして、この時先生は倒れ込むのではなく、おそらくベランダの柵に向かってもたれる形になったと思われます」

「うーん」

 桜木警部は唸る。なかなか遥の推理が受け入れられないようだ。

「降って来たコードリールを掴んだベランダの人物は、鈴木先生の首にコードを巻き付けます。そして、準備が整うと、山下さん——ごめんなさい。推理をするうえでの仮定です。どうか許してください。——屋上でプラグ部分を握っていた彼女に、手でサインを送ったのか、コードを引っ張ったのかして合図を送ります。そして二人はコードの端同士を綱引きの要領で思い切り引っ張ります。この時、桜木警部。首に巻き付けられたコードはどうなっていると思いますか?」

 遥は桜木警部に聞いた。

「なるほどな。上の人物が握っている方が被害者の後頭部から見て右側から伸び、下のベランダの人物が握っている方が左側に伸びていたんだな。そしてそのまま引っ張ると、あの右上から左下にかけての斜めの索条痕が出来る訳だ」

 この推理に関しては桜木警部も納得しているようだ。

「そうです。索条痕の状態から、女性の力では難しいと思われていましたが、それは犯人が一人だった場合です。二人で思い切り首を絞めれば二人が女性であっても、あの程度の索条痕は出来るはずです。

 そして、鈴木先生の息が止まったのを確認してコードを解くと先生はベランダに倒れ込みます。私たちが見つけた先生はこの格好です。

 あとはコードリールの回収です。屋上の山下さんがコードを引っ張って回収するのですが、流石に六キログラムの物体をコードを手繰って持ち上げるのは難しいでしょう。そこでベランダの人物はコードリールのストッパーを外します。こうすればコードを手繰るとリールは回りいずれ、軽くなった本体が屋上に上がっていき、凶器が回収出来ます。

 しかし、ベランダから屋上に上がっていく途中で引っかかる可能性もあります。三十メートルのコードを手繰るのも時間が掛かるでしょう。いざとなれば、下から手助けしなければなりません。ベランダの人物はコードリールが無事回収されるまで見守っていたと考えられます」

「それに思いの外、時間が掛かった」

 桜木警部が言う。

「そうです。屋上の彼女も重さ六キロの物体を持って狙いを定めていた上、全力で綱引きした後です。体力を消耗していてコードを手繰るのに想定以上に時間が掛かったと考えられます。

 そして、無事コードリールが回収されるとベランダにいた人物は大急ぎで偽装工作です。これは二人の女性による計画殺人ですが、犯人はその反対に見せかければ捜査が撹乱出来ると思ったのでしょう。一人の男性による衝動的犯行に見せかけるため、広辞苑の角を床に叩きつけて潰します。この時、広辞苑は鈴木先生の遺体のそばにでも投げておけば良かったのですが、焦りからか、気が動転していたのか、もう一人の犯人はわざわざ本棚に戻してしまいます。これだけでも十分なミスです。

 そして、首を絞めた凶器に見せかけるためツルを、用意したハサミで切ります。これもミスといえるでしょう。桜木警部の言う通り、衝動的犯行ならハサミなんて用意していません。ツルを引きちぎっているはずです。しかし、この人物は女性で力が弱かったのでそれは無理だったのでしょう。どのみちハサミを使うしかありません」

「そして、持ち去ったんだな? 広辞苑を本棚に戻した時と同じだ。殺害後、興奮状態にあったのと、思いの外犯行に時間が掛かった焦りで支離滅裂な行動を取った」

 桜木警部の言葉に、遥は首を横に振る。

「それについては私の中では二通りの推理があります。一つ目は桜木警部が仰ったような心理状態にあったため、持ち去ったというパターン。そしてもう一つはツルだと凶器にそぐわなかったからです」

「どういうことだ?」

「犯人は切ったツルを持って鈴木先生の元へ行き、首にそれを巻き付けます。しかし、鈴木先生は大柄で首周りも太いです。ツルを巻いても長さが足りなかったのでしょう。巻けたとしても、首を絞めるために引っ張る部分が圧倒的に足りなかった。単純にコードの太さとツルの太さが全く違っていたのかもしれません。そういった理由のため、ツルを持ち去ったのです。ツルは思いの外短かったため、服の中にでも隠したのでしょう——スカートの内側にガムテープで貼り付けて」

 そう言うと、遥は山下成海の隣にいる人物に目を向ける。

「犯人は思いがけず犯行に時間が掛かったため、図書室から出てくるところを休憩から戻ったばかりの浅井くんに目撃されたのです」

 皆が、遥と同じ人物に視線を向ける。

「鈴木先生を殺害した犯人は二人。一人は山下成海さん。そしてもう一人は加藤愛梨さんです」


 *


「柊さん、それは本気で言ってるの?」

 この場で初めて加藤が口を開く。

「ええ、本気です」

 加藤と遥の視線がぶつかる。

 こう着状態に陥ったのを見かねたのか、桜木が立ち上がった。

「ありがとう、柊くん。とても興味深く聞いたよ。素晴らしい発想力だな。だか、残念ながら北川くんの無実を証明するのは難しい。我々もそんな探偵小説のような話を聞いて納得することは出来ない。それに彼にはアリバイがないからね。皆、犯行時刻に図書室付近以外で北川くんを見たと明確に発言はしていない」

 その時間、北川はトイレの個室にこもっていた。誰にも見られていない。そして、俺を探し回って一度図書室まで来てしまったのだ。最悪のタイミングで。

「さあ、発表会は終わりだ。約束通り北川くん、来てもらうよ」

 二人の部下も立ち上がり北川の肩に手を添える。北川は力無く立ち上がった。

 その様子を見て、俺は悔しくて唇を噛んだ。見ると、遥も握った拳を震わせている。

 北川が行ってしまう。考えてみれば警察の見解は酷いものだ。彼らは遥の推理を素人ホームズの妄想だと評するだろうが、警察だって同じようなものだ。世間やマスコミへ何かしらの発表をするため、犯人逮捕を急ぐあまり、乏しい証拠と拙い妄想で一人の罪の無い少年の自尊心を破壊しようとしているのだ。もし彼の無実が証明されても、きっとこれは彼の名誉を深く傷つけるだろう。恩師殺害という濡れ衣を着せられようとしている。なんて酷い世の中なんだろう。

 やがて北川が図書室の扉まで行き、こちらを振り返る。何か言おうとして、刑事におい、行くぞと肩を押される。待ってくれ。そう思った時だった。

「待って下さい!」

 山下成海が立ち上がり、警部たちに向かって叫んだ。

「成海……?」

 加藤愛梨が不安そうに見つめる。

「桜木さん。柊さんの言う通りです。北川くんは犯人じゃありません」

「成海、いいから」

 加藤も立ち上がり冷たく言う。

「全部話します。ごめんなさい」

「山下くん、それはどういう……」

 桜木が図書室の中に戻る。

「成海! 柊さんの推理はもう終わったのよ」

 加藤は苛つきを隠せないようだ。口調に棘がある。

「ごめんなさい、私……」

 加藤が山下の胸ぐらに手を伸ばす。

「あんた、これ以上余計なこというと、」

「黙りなさい‼︎」

 火山が噴火した。

 遥の怒声が響き、鋭い眼光が加藤を貫く。

「今は山下さんが話してるのよ。静かにして」

「……だって」

 加藤はなおも、物言いたげだった。すると桜木警部も加藤に対し、

「俺も山下くんの話に興味がある。加藤くん、君の話は後で聞こう」

 鋭い視線を飛ばし、牽制した。

 図書室は再び静寂に包まれる。やがて山下の嗚咽が小さく聞こえてきた。少し落ち着くと彼女は涙ながらに告白した。

「本当に……本当に申し訳ありませんでした。全てお話しします。私は加藤愛梨さんと共に鈴木先生を殺しました」

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