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 身辺調査の甲斐も虚しく収穫はなかった。いい曲を一つ教えてもらっただけだ。

 とりあえず遥に報告しようと思い翌日の朝、五組の教室に顔を出し収穫がないことを伝えた。この時ついでに自分の里見に対する印象も一緒に伝えると、遥は特に気にする素振りもなく「あら、そうなの」とだけ言った。

「それだけ?」

 俺は拍子抜けした。頼まれたことが出来なかったのだから、もう少しがっかりされるだろうと身構えていたのだ。

「収穫が無いのならまあ、仕方ないわよ。それにもうコソコソ探りを入れるのは終わりよ」

「終わりってじゃあ、いよいよ本の行方を……」

 すると遥は俺の言葉を遮るようにきっぱりと言った。

「いいえ、そんなことはもういいわ。放課後またここに来て」

「そんなことって、おい! そりゃないだろ。ここまでやっといて投げ出すのか?」

 しかし遥はいいわね、と言い一限目の準備を始めてしまった。どうやら話にならないようだ。本捜索の意欲はとうの昔に失せたらしい。いや、最初からその気がないようだ。これ以上口論しても仕方がない。そう思い、俺はクラスに戻った。


 *


 放課後、遥に言われた通り五組の教室に行くと、彼女はいつもの席に座っていた。今日は机に突っ伏して寝てはいない。真っ直ぐ前を見つめている。マイルドカフェオーレも飲んでないようだ。

 教室には遥以外は誰もいない。まるで用意された舞台のようだ。

「あら、来たのね」

「あらって、遥が来いって言ったんだろ」

 俺は抗議しながらも遥の隣に立つ。

「で、探りを入れるのは終わりだって言ったな。今日はどうするんだ……? 

 今朝はすまなかったよ。あんな言い方して。

 なあ、よく考えてみればこれはおそらく、俺たちにとって初めての事件の依頼なんじゃないか? 今までは勝手に盗難車の捜索に乗り出したり、警察の捜査にケチをつけたりしてたが、今回はありがたいことに向こうから来てくれたんだ。俺らも誠意を見せんとな。退屈なのかも知れないが、そろそろ里見さんのために本を探そうぜ。たまには人助けでもしようじゃないか」

 俺は遥に謝罪しつつ、彼女の意識が「初恋」の捜索に向くように穏やかな口調で諭した。

 俺は今朝のことを少し反省していた。事件に興味を無くした遥に対して、つい強い口調になってしまったが、依頼を勝手に引き受けたのは俺だ。責任は俺にある。今まで遥に巻き込まれていたが、今回は俺が巻き込んでしまった形になったわけだ。

 今更謝るなんてと怒っているだろうか? それが気になり遥の顔を見る。

「大丈夫よ。なんとかしてみせるから」

「そりゃ心強いな」

 ハッタリだろうか。しかし、これ以上何も言わない方がいいだろう。俺たちの間に会話はなくひたすら静かな時が流れていた。

 しかし、そんな沈黙も破られる時が訪れる。

 廊下を歩いてくる足音。

「来たわね」

 遥が小さく呟く。入口の方を見るとそこには里見京子がいた。

「柊さん。昼休憩に来てくれてたみたいですね。すみません、図書委員の当番に行ってました」

「いいのよ。手紙を置いておいたけど来てくれたってことは読んでくれたのね」

「ええ、『放課後に五組まで』って書いてありましたから」

 どうやら遥は昼休憩、里見の机にでも手紙を残していたようだ。

「それで本はどうなんでしょうか? 誰かが持っていたなら、私心配で……」

 里見は不安そうに聞いた。この時、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 里見の言動に違和感を覚え、色々と嗅ぎ回った挙句、また手掛かりなしの報告をせねばならないからだ。

「そのことなんですけど、里見さん」

 俺が言いかけた時、遥が片手でそれを制した。

 そして彼女は机の横にかけていたリュックのファスナーをゆっくりと滑らせる。

 リュックの中に手を突っ込み、一瞬里見の方を見てから何かを取り出した。

 遥の緩慢な動作をもどかしく眺めていると、なんと、彼女は一冊の文庫本を持っていた。

 タイトルは「初恋」。著者名は徳川徳次郎だった。

 遥は本を裏返す。裏表紙には「南ケ丘高校図書室」と書いてある文字の下に貸出用のバーコードが印刷されたシールが貼られていた。間違いない。これは正真正銘、図書室から無くなった「初恋」だ。

 俺は呆気に取られていた。まさか、遥はもう見つけてたのか! どうして言ってくれなかったのだろう?

 何にせよ依頼は果たしたのだ。きっと里見も喜んでくれるはずだ。

 そう思い里見の方を見る。しかし、彼女の顔は——青ざめていた。

 長く探し求めていた大切なもの。それが見つかった時の顔ではない。重大な秘密、知られたくない事実。それらが暴かれたような顔だった。

「あの……これ」

 里見の声が震えている。

「吉川さんって本を整理するのが苦手なのね。百科事典の隣に置いてあったの」

 遥はそう言った。

「百科事典……」

 俺は声を出しそうになった。そんなところにあったのか!

 俺たちは必死に小説のコーナーを探していたが通りで見つからないはずだ。

 しかし里見は腑に落ちていないようだった。

「いいえ、柊さん。そんなはずはありません。私はあなたに本の捜索を依頼するまでに図書室の中を隈なく探しました。貸出禁止の書庫もです。もちろん百科事典のコーナーも見ました。でもその時には『初恋』はありませんでした。だからそんなところから見つかるはずはないんです」

「見落としていたんですよ、きっと」

 遥は平然と答える。

「いえ、そんなことは」

「里見さん、よくあるミスですよ。それに見つかったんだからいいじゃないですか。一件落着です」

 でも、と里見は言いそうになってやめた。

 遥は「初恋」を里見に手渡した。里見はそれを慎重に受け取る。

「気になりますか?」

 遥は訊ねる。

「開いてみて下さい」

 そう言われ里見は本を開く。すると彼女の表情は凍りついた。

「柊さん……これを読みましたか?」

 遥は首を横に振った。

「読んでないわ。私そういうの興味ないから。あと、その本たぶん誰も読んでないわよ……安心して」

 最後の方は宥めるようだった。


「……どうも、ありがとうございました」

 里見は本を大事そうに抱え。俺たちにお辞儀すると背中を見せた。なんだか酷く疲れているようだった。

「里見さん」

 遥が里見を呼び止めると、彼女はこちらを振り向いた。

「今日ぐらい当番も部活も休んでもいいんじゃない? 家でゆっくりするのもいいものよ」

「……はい、そうします」

 弱々しく言うと、里見は教室を去ろうとする。

 すると突然、遥は立ち上がり再び里見を呼び止めた。

「京子ちゃん!」

 里見はびっくりしたように振り返る。

「帰ったらそれ、絶対に読んで。いい? あなたの望むことは書いてないかもしれない。でもあなたの居場所は他にもいっぱいあるのよ。図書室の吉川さんだって、吹奏楽部の人たちもきっとあなたの居場所になってくれるはずよ。私たちもそう」

 遥は俺を一瞥する。

「また困ったことがあったら教えてね。京子ちゃん」

 里見の方を見ると、なんと涙を浮かべていた。

 遥が優しく微笑むと彼女は「うん!」と、笑顔で返した。


 *


 里見が帰ると教室は再び俺と遥の二人だけになった。

 俺は呆気にとられていた。

 里見に見つけて欲しいと言われた本を目の前に出すとそんなはずはないと言い、渡すと怯え、最後には泣いたかと思えば笑顔で去って行った。

 それに「初恋」の在処も俺は里見と同じタイミングで知った。

「驚いたな。いつの間に探してたんだよ? まさか百科事典の横にあったなんて」

「そんな訳ないでしょ」

 遥は呆れたように言った。

「だって里見さん——じゃなくて京子ちゃんは隈なく図書室の中を探し回ったのよ。きっと図書室以外もね。だから百科事典の横にあったなんてのは嘘」

「じゃあどこにあったんだよ?」

 俺は聞いた。すると遥はここよと言い自分のリュックをぽんぽんと軽く叩いた。

「は?」

「だから『初恋』はずっとこのリュックの中にあったのよ。まあ一回離れたんだけど。

 つまり四日前、

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