柊遥の挨拶

カフェオレ

初恋消失事件

1

 六月中旬のじめじめとした放課後のことだった。

 コンビニで買って来た飲み物を持って教室に入ると、柊遥ひいらぎはるかは机に突っ伏して寝ていた。教室にいるのは彼女一人だけのようだ。

「おい、カフェオレ買って来たぞ」

 俺は彼女に頼まれて買ってきたグリコのマイルドカフェオーレ500mlパックを机に置いた。すると遥はガバッと起き上がる。

「あら、気が利くじゃない」

「お前が頼んだんだろ」

 遥はストローを刺して美味しそうにカフェオレを飲み始めた。

 俺、津田敬介つだけいすけの父親と柊遥の母親は兄妹だ。俺と彼女は従兄妹ということになる。

 それまで親戚の集まりで遥と顔を合わせる機会は何度かあったがそれほど親しくはなかった。しかし、同じ高校に進学し一年生の時にクラスが一緒になると、やはり血の繋がりか割と気が合い、お互い部活動をしていないこともあり、二年生になってクラスが別になっても放課後はこうやって雑談をすることが多かった。

 黙々とカフェオレを啜っている遥だが、目がぱっちりしており、笑うとえくぼが出る。黒いロングの髪もサラサラで一見するととても清楚で可愛らしい印象を抱くだろう。

 しかし、その実少し癖のある人間だ。興味のあることはとことん追求するが、そうでないのなら全くの無関心であった。授業も上の空で聞いておりテストは地頭の良さでなんとか追試を回避しているような有様だ。

 だが、そんな一面が周囲にはカリスマ的な人間に映るようで、そこが彼女の魅力でもあり、とにかく他の女子生徒とは別格であった。

 最初は遥と一緒にいるところを同級生たちに冷やかされたが、俺たちが従兄妹であること、付き合う素振りが全くないこと、それが二年生になっても変わらないことを見るや以前のような目では見られなくなった。

 要するに俺たちのこの光景は皆にとっても、つまらない日常となっていた。


「退屈ね」

 遥の最近の口癖だ。

「前みたいに高橋先生の車が盗まれたりしないかしら」

「ああ、そんなこともあったな」

 遥の興味を引くのは事件だ。自称探偵であり、小説やドラマに出てくる名探偵の真似事を彼女はしたがった。

 実際、凶悪事件などがあると新聞や雑誌、ネットなどから情報を集め、真相を推理して放課後の教室で披露することが多々ある。

 今年の初め頃、高橋という教師の車が盗まれた際も、手遅れの状態ではあったがその在処を突き止めたことがあり、学校内でちょっとした騒ぎになったことがある。

「無理言うなよ。そう何度も車が盗まれるような街に暮らしたくはないよ」

 ここは地方都市といわれるような街だが、東京や大阪なんかと比べるとかなり田舎だ。電車もバスも一時間に一本あればいい。

「退屈ね」

「退屈だな」

 そうして、しばらく他愛もない話をしていると、遥が突然「どうしたの?」と教室の外に呼びかけた。見ると一人の女子生徒が廊下からこちらを覗いていた。教室に入るのを躊躇ためらっているようだ。

「あ、あの柊さんっていうのは」

「私が柊遥よ」

 遥はまるで大物であるかのように堂々と自己紹介した。だが一瞬、彼女の表情に緊張が走ったようにも見えた。

「私に用があるのね。どうぞこちらへ」

 遥は自分の前の席を指し示すと、少女はそこへ座った。

「初めまして。私三組の里見京子さとみきょうこっていいます」

 里見の目線は遥に釘付けになっていた。遥の容姿に見惚れているのか、俺の方には一瞥もくれない。

 しかし、よく見ると里見もなかなかに美人だった。やや控えめな喋り方が却ってお淑やかな感じで好印象だった。

「柊さんは物探しが得意だと聞いています。高橋先生の盗まれた車を見つけたとか」

 どうやら遥は「探偵」ではなく、「物探しの人」で通っているらしい。

「ええ、あれは簡単な事件でした。ただパーツ類や車内に残ってた貴重品はもう返って来なかったみたいだけど」

「でも犯人も特定できたんだし上出来だったんじゃないか? それに高橋先生、最初は絶望的な顔だったけど終いには笑って済ませてたじゃないか。図書室で借りた本は無事だったって」

 俺はこの場で初めて口を開いた。

「あの人よく貸出処理せずに勝手に本持って行っちゃいます。あ、私図書委員やってるんです。今日は当番じゃないんですけど」

 里見は慌てて付け加えた。

「それで里見さん。私に何か頼み事でもあるんですか?」

 遥はそう言うと、里見は居住まいを正した。

「はい。実は柊さんにお願いがありまして。本を探して欲しいんです。うちの図書室にあった『初恋』っていう小説なんですが」

「『初恋』ですか。ありがちなタイトルですね」

徳川徳次郎とくがわとくじろうっていう作家の代表作なんですが、知りませんか?」

「聞いたことないですね」

 徳川徳次郎という作家の「初恋」という小説。俺も全く聞いたことがなかった。

「昔の作品です。一応直之賞の候補にもなった恋愛小説で結構気に入ってます」

「そうなんですか。じゃあもう図書室でしか読めないんですか?」

「いえ書店にはほとんど置いてないけど、まだネットで買えます。寡作な作家でもう亡くなってるし、今でこそ名前を聞かないですがそれでも代表作ですから」

「変わったペンネームですね。徳川家康から取ったんですかね」

「どうですかね。あまり情報の多くない作家なので」

「あらあら、それは」

「でその本がどうしたのですか?」

 俺は先を促した。徳川徳次郎のことはもういい。

「はい。一昨日棚から無くなったんです」

 里見は深刻そうに言った。

「貸出履歴はどうなんですか?」

 これは遥の質問だ。

「ありません。だから不安で。誰かが持って行っちゃったのかも」

 すると、遥は自称探偵らしからぬことを言った。

「そうですね。誰かがうっかりそのまま持って行っちゃったんでしょう。まあそのうち戻って来ますよ」

 里見とは対照的に遥はあっけらかんとしていた。

「いや、そうかもしれませんが探してもらえないでしょうか? 柊さんは常に事件を求めているような話を聞いたのですが」

「借りパクが心配ですか。その時は図書委員の予算で新しいのを買いましょう。大丈夫、図書室の司書の先生も分かってくれますよ」

 里見は不満そうだった。実際俺も遥の態度には思うところがあった。

「そういう問題じゃないんです!」

「絶版ではないんでしょう? 買った方が早いです」

「だからそういう問題ではなくてですね。あの本にはこの学校と共に時を過ごした歴史があるんです。同じ本でも図書室の棚に戻るのはあの本じゃなきゃ駄目なんです」

 里見の声には熱がこもっていた。

「はあ、そんなもんですか」

 相変わらず遥は冷めている。堪らず俺は口を出した。

「まあまあ、里見さん落ち着いてください。今、遥はこんなですけど暑さのせいです。そろそろ梅雨入りしますからね。そのうちやる気が出ますから。安心してください、全力をかけて探し出しますよ」

 俺は無責任だと思いながらも言い切ってしまった。

「いいんですか? あの、あなたは……」

「津田です。津田敬介」

「じゃあ津田くん、柊さんお願いします。見つけたら私に教えてください」


 *


 里見は改めて依頼を告げると、部活に行かなきゃと言い逃げるように去ってしまった。

「引き受けちゃったわね」

「そんなことより、ちょっと失礼だったぞ。それにさっきまであれだけ退屈だって言ってたじゃないか」

「うーん、なんかねぇ。可愛いけど変な人ね」

 相変わらず本を探す気はないようだ。

「そうか? 俺は真面目そうな人だと思ったよ」

 遥は首を横に振る。

「だって本が無くなったのは一昨日でしょ? ないないって騒ぐのはちょっと早いんじゃないかしら」

「お気に入りの本だって言ってたぜ」

「あの口振りだと毎日所在を気にしてるような感じだっわね。やっぱり変よ。それに不安っていうのもねぇ、大袈裟じゃないかしら」

 遥は右手の人差し指を顔の横に持っていき、やがてこめかみに到達する。推理をする時の彼女の癖だ。

「確かに大袈裟と言われればそうかもしれないな」

「でしょ? お気に入りの本が無くなっただけであそこまで思い詰めたりしないわよ。それに学校と共に時を過ごした歴史なんて気にするなら全部の本の行方を気にする必要があるわ。実際貸し出されたまま、もしくはその処理もされないまま、無くなった本なんていくらでもあるわよ。

 あと、本を見つけたら自分に言えといってたわね。なんで図書室に戻すのじゃ駄目なのかしら。図書室にではなく自分の手元に置いておきたいみたいな言い方だったわ。

 それもこれも全部、お気に入りの本だからで済むと思う? 私は思わない」

 推理に熱が入り始めたようだ。

「それはつまり、どういうことなんだ?」

 一向に話が見えてこないので俺は聞いた。すると遥は確信めいた表情でこう言った。

「里見さんは何か隠してるのよ。図書室に置いてあった『初恋』っていう本に」

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