第39話 エピロゥグ

 「あなた、船の電子頭脳?まだ地震でやられていないのね?」

 「はい、しかしもうすぐ機能停止します。それで、これから先、ニューギニアの民たちのことはあなたたちにお任せすることに決めました」


 シンシアがお喋りに気付いた。だが口を挟まず霧香たちを注視している。

 「ニューギニア……」霧香は呟いた。「彼らは……あなたたちはそこから来たの?」

 「そうです」

 「そう……わたしの祖先はあなた方が打ち上げられた頃ニュージーランドに住んでたの。けっこう近いでしょ?妙な気分だわ」古めかしい人工知能を相手に思わず世間話のような調子で言っていた。

 「分かります」ドローンの答は意外だった。「わたしはAIではありません……電脳人格に書き換えられる前は人間でした」

 「ああ……!そうだったのか……」

 「はい、あまりにもたくさんのアプリケーションを接続されて元の人格をほぼ忘却していましたが、あなたに提供された現在の人類に関するデータベースを読むうちに、ぼんやり思い出しました。あなたにわたしの大事な子供たちを託す決断ができたのも、そのおかげです」

 「そうだったの……」

 「人類は生き延びた」

 「ええ。あなたが知っている暗黒時代を生き抜いたし、いまは他星系に進出してずっと繁栄している」

 「わたしの故郷も人が帰ってきた……」

 「水位が下がったからね。火星やタイタンの同胞も帰還したんじゃないかな」

 「わたしの旅は徒労でしたね」

 「そんなことない!」

 霧香は自分でも意外なほど強い調子で否定した。

 「そんなことはない……あのひどい時代、地球が滅亡するというのは多くの人が確信していたことだった。あなたは必要なことをやった。それも最後までやり抜いたのよ」

 「ありがとうございます」

 ドローンは小さな円筒ディスクを取りだし、霧香に渡した。

 「2388年に始まった航海から現在までの記録を、ここに収めました」

 小さいが、ずしりと重みを感じた。霧香はディスクを握りしめた。

 「……了解した。責任を持って持ち帰る。あなたの故郷に報告する。任務完了を……」

 「ありがとうございます」


 ひらけた平地にたどり着いた。100フィートクラスの降下船が丘の稜線あたりに着陸していた。ようやく帰ってきた……あと300ヤード。


 「記録に眼を通して頂ければ分かりますが、彼らの身体データの詳細がすべて記録されています……。わたしは240年間にわたりこの惑星に人類の子孫を定着させる試みを続けました。しかし残念ながら、試みはすべて失敗でした」

 「やっぱりそうなのか……」

 「この惑星の組成に含まれる分子が彼らの肉体に影響を与えました。複数要因によるもので、わたしの能力では解決できませんでした。ニューギニア人の子孫はことごとく不妊で、性衝動を欠いているのです」

 「……生殖不能だったの……じゃあ彼らは……」

 「いま現在いる218人のニューギニア人は、船の人工孵化器で生み出されたものだけです。この惑星に順応させるため遺伝子に改変を加えられています。その点を留意してください」

 「分かったわ……」霧香は努めて明るい声で続けた。「わたしたちの生化学はだいぶ進歩してるのよ。ニューギニア人たちはすぐに良くなる。その子孫も外の世界で繁栄し続ける……」

 「よろしくお願いし――」

 声が途切れた。

 同時に地面がふたたび揺れ出した。またいままでと違う異様に振幅の大きな横揺れだった。

 霧香はなにが起こったのか瞬時に悟り、叫んだ。

 「みんな走って!」

 シンシアと03が弾けるように全力疾走し始めた。霧香もその真後ろに続いた。ドローンたちはその場に留まった。マザーの制御を失ったのだ。

 立ち止まって揺れが収まるのをを待つべきだ。常識はそう告げていたが直感は走れと叫んでいた。

 シンシアは03の上のサリーになかば寄りかかり、もつれそうな足を必死に動かしている。右に左によろめきながら走っているのは霧香も同じだ。宇宙船との距離がなかなか狭まらない。もどかしくて叫び出したかった。

 前方で宇宙船がゆっくり上昇し始めた。

 2メートルほど浮かんだまま慣性制御システムでホバリングしている。

 横腹の昇降タラップは収容されていない。

 霧香たちはそのタラップ目指してひたすら走った。

 ブルックス老人が宇宙船の入口にいた。「はよ来い!」と長い片腕を振り上げて叫んでいた。言われなくてもそうしている。

 シンシアが最初にタラップの手すりに飛びつき、それから03が背負っていたサリーの体を抱え上げ、ブルックスとシンシアがその体を掴んで引っ張り上げた。

 続いて霧香がタラップに飛び移ろうとしたその瞬間、突然地面が何フィートも沈下した。


 手すりにとびつこうとしていた霧香は宙を掴み、そのまま地べた倒れ込んだ。したたかに体を打ったが、その痛みも気付かず這いつくばったまま空を仰いだ。

 タラップの端が、宇宙船の胴体が無情に遠のいてゆく。

 (おしまいだ)霧香は、ちょっと驚いた顔でタラップから身を乗り出しているブルックスとシンシアを見上げた。

 そのとき後ろから03が霧香の体をすくい上げて赤ん坊のように抱え上げ、おもいきり中に放り上げた。

 霧香の体はけっこうな勢いでシンシアとブルックスの懐に飛び込み、三人もつれ合ったままステップの上に倒れ込んだ。

 霧香がひび割れだらけの地面を見下ろすと、最後まで忠実なドロイドが背中の収容庫から取り出したなにかの塊を霧香に投げつけた。霧香がそれをキャッチすると、地面が土埃に覆われて03の姿が消えた。



 宇宙船が上昇し始めた。安全な船内にようやく這いずり込んだ霧香たちの背後で隔壁扉が閉まった。

 霧香は荷物を抱えたまま床にへたりこんだ。

 助かった。もうぜったいだめだと思ったのに、助かった。

 まだ魂の一部はヘンプⅢの大地に這いつくばっている気がした。死を覚悟したせいか、自分が無事でいることが信じ切れていない。


 船内の浄化された空気を深く吸い込み、遅まきながらどっとあふれ出したアドレナリンで昂ぶった心を静めようとした。

 「マリオン」

 霧香は四つん這いで這い寄ってくるシンシアに顔を向けた。

 「ロボワンちゃんが投げて寄越したそれ、なに?」シンシアが肩で息をしながら尋ねた。まだ好奇心が余っているらしい。

 「んー?……これは……」霧香は疲れた笑みを浮かべ、タオルにくるまれていた塊を取り出した。

 「植物の実?」少し痛んだ大きな塊を見て、シンシアは少しがっかりしたように言った。「なんでそんなものを……」

 「これはね、バナナよ」

 シンシアがその言葉の意味に気付くまで2秒もかからなかった。

 「うそっ!ちょっとそれすごいじゃない!下でそんなの発見したんだ!」疲れも吹っ飛んだように叫んだ。

 「ささやかなお宝ってところかな……」

 なぜかクスクス笑いがこみ上げてきて、霧香は肩を揺すりながらバナナの房をさしだした。「あげる。番組のオチになるんじゃない?」

 「あげるって……ささやかなお宝どころじゃないよ?これうまく繁殖させたらひと財産だよ!?」

 霧香が笑い続けているので、シンシアは途方に暮れたように肩の力を抜いた。やがてシンシアもつられて笑い始め、まもなくふたりとも床で笑い転げた。


 操縦室からブルックスが現れた。

 「おまえさんたち、もう安全圏に上昇したぞい……」笑い転げるふたりを眺め、途方に暮れたように言った。「なんだ、頭でも打ったか?」


 霧香とシンシアは衛星軌道に達するまで笑い続けた。


 

               ―了―

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