第16話 異星散策


四時間後には空が暮れ始めた。

 完全な夜になる前に野営の準備をするべきか、霧香は迷った。

 たとえ無謀さを発揮してサリーたち都会派があとを追ってきたとしても、道もなにも無い未開の大自然を霧香より早く踏破するとは思えない。

 いちおう警戒は怠らなかったが、いまのところ見かけた動物と言えば水辺の虫くらいだ。


 虫のあるものはやたらと大きく10インチにもなり、複雑な構造の足や触手を備えている。だが動きはのろく、完全に陸に這い上がるほど進化していないようだ。空中を漂うクラゲ状の生物も見かけたが、動物か胞子植物か定かではない。見るからに脆そうで、すぐに脅威となるとは思えなかった。サイズは日傘ほどで20フィートほどの高さを滞空しながらクラゲそっくりに収縮を繰り返している。重さは10グラムほどしかないだろう。

 地球にたとえるならカンブリア紀以前……まだ生物が過酷な過当競争で攻撃性や防御力をじゅうぶん発達させるまえだろう。霧香の気配を感じたとしても虫たちはろくに逃げるそぶりも見せなかった。


 なるべく見晴らしのきく高い場所を求めて歩いていると、やがて高さ30フィート程のトーテムポール型サボテンの林の向こうに斜面が見えた。

 崖を背にしている。長いあいだに浸食され崩落した岩土が堆積した斜面を這い上がり、ローバー一台分ほどのわずかな平地に携帯バブルテントを張った。

 テントは特大のビニール製の風船のようだった。表面は救難用らしく目立つ黄色だ。

 テントの材質は地面と背後の壁に吸着するのでちょっとした風に煽られて飛ばされることもないが、どれほど気候変動があるかまだ分からない。

 シャトルのエマージェンシーキットから掘り出した代物だから、どの程度異世界に対応できるのか分からなかった。だが説明書によれば強化軟質樹脂製で反トンの岩が落ちてきても潰れず、自由に色を変えられるため目立たない色にもなる。なかなか本格的だが軍用放出品だろうか?それとも盗品か……。


 林に降りて折り畳みバケツに水を汲んで戻ってくる頃にはすっかり日が暮れていた。

 完全な闇夜だ。

 星空もなく、人工物の灯りももちろん無い。

 霧香は途方に暮れながらあたりを見回したが、眼が慣れるまでしばらくかかった。林の輪郭や山の稜線を見分けられるようになったが、ほとんど真っ黒なシルエットだけだ。

 発光するようなものは見あたらない。あたりの様子が判別できなくなると、異世界にいるという印象が薄れた。どこか故郷の山岳地帯のようだ。

 気がつくとテントの側らに座り込んだまま一時間もぼうっと眺め続けていた。気温はあまり低下していない。摂氏20℃程度だろう。


 立ち上がり、テントのフラップを引き上げて中に潜りこんだ。

 フィルターとバイオ除去剤で濾過したバケツの水を小さな鍋に汲み、テーブル型に変形させた携帯電熱器に載せてお湯を沸かした。

 日の出まで10時間……。着替えの服もなく寝袋もなく、コスモストリングを着けたまま眠る以外にすることはない。

 異世界に来て最初のコーヒーをこさえた。

 (しかも、異星のH₂Oで作るコーヒー……)

 凝縮キューブのインスタントで、あくまでサバイバル用なのであらかじめ糖分が添加されている。たいして美味しくもないが、食料切り詰めのため一日二杯だけだと思うと、味付きの飲み物は貴重だ。ゆっくり味わった。

 テントの一部は透過状態で外の世界を眺められる。だがテントの中の灯りは外に洩れず、真っ暗だ。

 長い夜になりそうだ。


 

 ふと気配を感じて目を覚ました。

 (明るい……)

 テントの外が明るくなっている。(もう朝か……)タコムで時間をあらためると、眠り込んでから4時間、まだ真夜中だった。

 霧香は飛び起きて外に眼を凝らした。

 雨が降っていた。

 大きな雨粒がテントを打つくぐもった音が断続的に続いていた。

 そしてトーテムポール型サボテンのてっぺんが発光していた。音も響いてくる。ドーンドーンという不気味な低い破裂音だった。

 破裂音がひとつするたびに発光体が増えてゆく。どうやら雨とトーテムポールがなんらかの化学反応を起こしているようだ。水分が触媒となり、サボテンのてっぺんが爆発しているのだ。

 種子を飛ばしているのか。

 自然進化の産物、という推測が成り立つといくらか安心した。

 遅ればせながら携帯端末でデータベースを当たると、ちゃんと記載されていた。「トーチスティック」という、極めて独創性豊かな名前がついていた。

 もうすこし事前のデータをあらためるべきだった。ヘンプⅢの生態系については豊富な資料が揃っていたのだ。ただ多すぎて後回しにしていた。


 せっかく溜めこんだ知識も活用できなければ意味がない。そう思うとなんだか惜しくてすっかり眼が冴えてしまった。

 さいわい外の景観はなかなか魅惑的だったので、無理に眠ろうとせず眺めつづけた。青い熾火が揺らめき続けている。なんらかのガス……おそらくメタンか水素を幹に溜めこんでいるのか、雨でも消えない。

 やがて空がパッと光り、鋭い雷光が頭上の雲海を照らした。稲光は地上に達していた。雷鳴が轟いた。本能の深いところに訴える恐ろしい音だが、反面馴染み深く、妙な居心地の良さを感じる音だった。なぜか母親の胎内を連想した。太古の荘厳なリズムに身を委ねているうちに再び眠りに落ちていた。



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