第6話 メアリーベル

 ブルックスの「家」はすぐ近くだった。〈№28ドッキングチェンバー〉と書かれたエアロックの蓋に赤い塗料でブルックス・デリバティブ&ツアー・カンパニーとステンシルされていた。


 「ここがブルックスさんの家?」

 「まあな」老人はエアロックを解放すると、諦めたように言った。「まあここまで来ちまったんだ、寄ってけ」

 「お言葉に甘えて」


 長さ50フィートほどの狭い蛇腹型エアロックを通って宇宙船に乗り移った。

 途中に窓なんかなかったので宇宙船そのものの姿は見えなかったが、エアロックの先は、容積は小さいがれっきとした船倉だった。シャトルのようなワンフロア構造の短距離艇ではない。


 「すごい、惑星間輸送船ね?」

 「そうじゃ、屑鉄同然の骨董品だが、忌々しいことにまだローンが残っとる」

 「ローンて……まさかこの船、ブルックスさんがオーナーなの?」

 「ああ、軍の年金を残らず突っ込んだよ。頭金にしかならなかったが」

 「すごいじゃない!個人所有の船なんて初めて見た!いいなあ~!」

 老人は片眼で盗み見るように霧香を見た。本気で感心しているのか確かめているのだろう。

 「しょせんボロ船だがね……書類上は組合の持ち物だし、借金のカタにはいっとるし」謙虚に付け加えた。

 「でも飛ぶんでしょう?」

 「飛んでくれんと困る……言っとくが、慣性制御装置は故障したんで切っちまった。仕事はせいぜい3Gだからそんなもん必要ないがな」


 慣性制御システム無しで3G……ぞっとするような乗り心地だろうが、実際の運行は1Gで加減速するのだろう。そうであって欲しいと願った。その程度でも隣の惑星程度の距離なら数日で往還できる。


 ブルックスは隔壁を蹴って船倉を斜めに横切り、船室に向かう通路の端まで飛んだ。霧香もあとに続いた。

 「一人で住んでるの?」

 「もちろん副操縦士もおる」

 やや早口な言いかたは取り繕っているようで、霧香はなんとなく、副操縦士はしばらく不在だったようだと見当をつけた。通常、乗組員が最低三人いなければこのサイズの宇宙船の運航許可は下りない。

 ブルックス老人は長いこと仕事にありついていないのかもしれない。


 がらんとした通路のバイオライトが瞬きながらぼんやり灯った。両側に乗組員生活用区画のドアがある短い通路のすぐ先に操縦室が見えた。

 ブルックスは操縦室の手前にある船長室の開けっ放しのドアに引っ込んだ。

 霧香は直進して操縦室に上がり込んだ。狭い船室は四人座るのがやっとという程度だ。


 操縦室背面の隔壁には通常、船の形式名称と製造元、基本的な諸元が記されたプレートが貼り付けられている。この船にも入口の横に擦り切れた銅製の銘板が貼り付けられていた。クラシカルな書体でデータが彫り込まれていた。

 

コルティナ級GS-LT 322-2 コール

    基準重量 1024トン 全長76メートル

    動力装置 シンヅカ・カーチスライト モーニングスターM7500 重力子変換    陽電子精製炉 出力8.5S/tv

    3046年就役 英国 ルナウイルシャー鉄工所


 霧香は音もなく口笛を吹いた。タウ・ケティからの旅程に利用した〈コロンブス〉よりも年上だ……。


 「それでも立派に現役じゃぞ」ブルックスが戸口から顔を出して言った。霧香は老人に振り返った。

 「太陽系、地球の月で製造されたんだ。ずいぶん遠くまで来たものねぇ……」

 ブルックスはヒッヒと笑った。

「そうさな……このての輸送船はたいがい、製造された星系で一生を終えるものじゃからのう。メアリーベルは特別じゃ」

 「メアリーベルが名前なの?コールではなく?」

 「死んだ女房の名前だよ。船体に書いておる」

 「まあ、奥様の……」

 「ずっと前に亡くなったよ……ところで、勝手に操縦室に入るんじゃない。そこらへんのボタンを押されたら迷惑だ」

 古い船だと言ってもコンソールパネルはバーチャル操作仕様だ。ボタンなどひとつも無かった。


 「あらブルックスさん、わたしはこれでも一級操船免許を持ってるんですからね。駆逐艦だって操縦できるのよ」

 「そうかい?わしと同じじゃな……その資格が有効になるのは五年以上船上勤務経験が必要だ。おまえさんがそれほど年寄りとは思えんが?」

 「バレたか」霧香はいたずらっぽく舌を出した。

 「まあせいぜい乗組員心得くらいはアタマに入ってると期待しよう……正直言っておまえさんいくつなんだ?」

 「17です。……あと二ヶ月で」

 「おったまげた!最近のおまわりは学生を使うのかね?」

 「もう成人式を越えて二年近くですよ!ご存じでしょうけど」

 「まあな、わしの頃も、15で成人じゃった。……何年前だったか忘れたがおかげで無駄に長生きしてる気分じゃが……戦時特例はもう解除されたと思ってたよ」


 老人は言葉を切り、突然用事を思い出したようにきびすを返して船長室に舞い戻った。アルコールを摂取する必要に迫られたのだ。


 彼は何歳くらいなのだろう……。少なくとも90歳以下には思えない。

 霧香は肩を竦めてあとに続いた。まあもっと習慣性の強い悪癖に耽るよりはマシだ。

 先ほどから妙な違和感を感じていたが、霧香はその理由に思い至った。部屋の調度がすべて本来の床ではなく壁に据え付けられている。船の後方に当たる壁が床になっていて、ドアの立て付けがおかしい。ゼロGなのですぐに気付かなかったのだ。

 (なるほど……これでは航行中は操縦席に行くのは至難の業だな……)足を滑らせたら船倉区画まで60フィート落下してしまう。


 無線ラジオのスイッチが入った。恐らく港湾施設の公共連絡回線がオンになっているのだろう。スピーカーから男性の声が響いた。


 『こちらC一コントロールのアーティーだ。港の全船舶に連絡、先ほどから挙動不審の船が一隻、オンタリオステーション管区に接近中だ。作業中の各員は警戒されたし。それによる飛行制限空域が設定される。繰り返す……』


 「何かしら……」

 「海賊なんと違うか?」

 「海賊!?たいへん!」

 「落ち着きな。こんなへんぴなステーションが襲撃されたりせんよ。おおかた補給目的だろう。下手に騒ぐと事態をこじらせるだけだぞ」

 老人が密閉蓋とストロー付きのグラスを寄こしたので受け取り、霧香は緩衝剤を巻いただけのバーに渋々腰を下ろした。

 「慣れてるんですね。こういう事はよくあるの?」

 おざなりにグラスを合わせて乾杯すると、ひとくち啜った。霧香もおそるおそる啜ったが、中身はアルコール抜きのライムソーダのようだった。


 「年に一度か二度。面倒だから誰もいいなりさ。あんたの前の人……ランドール保安官。彼女も積極的に取り締まりはしなかった。だがいちど奴らの頭領のところまで出向いて、このちっぽけなステーションで暴れないようにと話をつけてくれたんじゃ」

 それでも霧香は納得しかねるという顔だった。

 「気にいらんか?」

 「お話は分かります。でもなあなあな気がして」

 「しかしおかげで、ここ数年はたいした被害は出とらん。せいぜい無人待避衛星の備蓄を荒らされる程度で済んでおる。ステーションに上陸されても補給が済んだらさっさと去ってゆくしな。ミサイル一発で御陀仏のステーションなんぞひとりで守りきれないから、現実的な選択じゃ」


 海賊退治は他所でやれということか。

 海賊の取締は管轄が限定される警察機構では難しく、たまたま軍艦が居合わせでもしないかぎり事実上野放し状態になる。

 本来はGPDがその任に当たるのだが、GPDは発足してまだ17年……。慢性的な人手不足が続いており、よって辺境コロニーに常駐できるのはせいぜいひとりかふたり……。そんな数では海賊相手に一戦交えるわけにも行かないから、ランドール中尉は妥協の途を選択したのだ。


 酔った年配者にやんわり諫められて言い返すこともできないとは情けないが、霧香にもきれいさっぱり解決する名案は思い付かない。それに先輩が苦労して築いた状況を掻き回すなど絶対にできない。


 (オーケー、いずれ別の場所で叩いてやるわよ)


 ところが事態はブルックスの見通しを裏切り悪い方向に向かった。


 『こちらC1コントロールのアーティー・チョー、挙動不審船の続報を伝える。当該船舶はアントノフ2430型戦闘輸送艦と思われる。武装商船ではない……いままで見たことがない船だ。各船の乗組員と港湾関係者は警戒態勢に入るよう要請する。作業中の各員は作業を中断せよ。繰り返す……』


 「新手って言ってるけど……」


 「戦闘輸送艦とはね……フム」老人は手の中のグラスを見て顔をしかめた。「おったまげた」

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