『侠侶(五)』

 ————四半刻ほど馬を飛ばしたところで成虎セイコは後ろを振り返った。視線の先には追跡してくる朱雀の姿どころか烏の一羽すら見えない。二人はようやく馬の脚を緩めた。

 

「流石のヤツらも俺たちのお馬さんの脚にゃあ敵わねえようだねえ」

「ああ、だがずっと全速力で走る訳にもいかない。このままでは馬が潰れてしまう」

「そうだな。大分でえぶ引き離したはずだ。ちょいと休憩と行こうかい」

 

 耳をすませばちょうど上手い具合に、近くの林の向こうから小川のせせらぎが聞こえる。馬を引いて林に分け入ると、やはり澄んだ水が流れる小川が姿を現し、二人と二頭は喜んで喉を潤す。

 

「————ふう、生き返ったなあ。おめえらもたっぷり飲んでくれよ」

 

 成虎は労をねぎらうように二頭の馬の背中を撫でてやる。

 

「それで志龍シリュウよう。月餅湖げっぺいこまでは後どのくれえなんでえ?」

「そうだな、後半分ほど————」

 

 志龍が口を開いたと同時に、上空から鳥の鳴き声のような澄んだ音が響いてきた。

 

 二人が一斉に顔を上げると、木々の隙間から赤い衣装の女がひとり滑空している姿が眼に入った。

 

「ゲッ! ありゃあ朱雀派すざくはの! もう追い付かれちまったのかい⁉︎」

「いや、あれは先ほどの四人とは別人だ。今の音色は恐らく応援を呼ぶ合図だろうな」

「んな落ち着いてる場合かい! さっさと馬に乗って逃げんだよぉ!」

「————もう遅い」

 

 次の瞬間には八人の女たちが急降下して二人を取り囲むように着地した。

 

「……あらら、八卦はっけを占められちまったねえ……」

「これは生半なまなかには脱出できそうにないな」

 

 二人が陰陽のように背中合わせになってそれぞれ感想を言うと、八卦の『ケン』の位置に立つ女が口を開いた。

 

「隣の男は見逃してやる。白虎派びゃっこはの男、大人しく着いて来い」

「嬉しいねえ。太鳳タイホウ姐さんほどじゃあねえにしても、こんな美女八人に相手してもらえるなんてよう」

 

 成虎の減らず口に朱雀派の女たちが一瞬殺気を帯びた。しかし、成虎は気付く風もなく背中越しに志龍へ声を掛ける。

 

「————だってよ。ここまで案内してくれてホントに助かったぜ。こいつぁ礼金だ、謝謝ありがとうよ

「…………」

 

 成虎は志龍をカネで雇った道案内と装って別れようと、その手に銀子ぎんすを押し込んだ。当初の目論見もくろみではいざとなれば志龍も巻き込んで盾にしようと考えていた成虎だったが、共に目的地に向かっている内にこの寡黙な男が気に入ってしまったのである。

 

 しかし志龍は返事の代わりに銀を成虎に突き返すと、右手に光り輝く剣を出現させた。この光景に朱雀派の女たちが眼の色を変える。

 

「————貴様っ、青龍派せいりゅうはの門人か!」

「何故、白虎派と青龍派の門人が一緒にいる⁉︎」

「他に仲間はいるのか⁉︎」

 

 女たちが口々に唾を飛ばす中、成虎も血相を変えて詰め寄った。

 

「お、おい、おめえ何考えてんだ⁉︎ いいから行けっての!」

「……見損なうな」

「あ?」

 

 志龍は剣を構えて静かに口を開く。

 

「一度口にした以上、私は必ず貴殿をあの場所へ案内する。たとえ貴殿が死体になろうともな」

「……へっ、縁起でもねえこと言ってんな。後悔しても知らねえぞ」

 

 成虎はどこか嬉しそうに言うと、再び前方へと眼を向けた。

 

「————こうなっちまった以上、やり合うしか突破できそうにねえが、朱雀派の姐さん方は半端じゃあねえぞ」

「貴殿が言うのは『軽氣功けいきこう』だろう」

「何? なんで知ってんでえ⁉︎」

 

 しかし志龍はそれには答えず自らの髪を数本切ってみせた。その様子に『乾』の女が鼻を鳴らした。

 

「……フン。青龍派の門人はいずれもかなりの使い手だと聞いたが、斬れるのは自分の髪の毛だけか?」

「いいや、他にも朱雀の羽も斬れる」

 

 言い様、志龍は髪の毛を宙へ放った。続けて左手にも剣を握ると、眼にも止まらぬ速さで双剣を交差させる。この雷光のような剣捌きによって志龍の長髪が粉状と化し、成虎と朱雀派の女たちは思わず息を飲んだ。取り分け、朱雀派の女たちの顔色は真っ青である。

 

 両端を握ってピンっと張られた髪の毛を斬ることは容易たやすいだろうが、宙に舞うそれを微塵切りにするなど神業と言える腕前である。身体を羽の如く軽くする軽氣功も、この若き青龍にとっては恐らく問題とならないだろう。

 

「……女子おなごを斬りたくはない。ここは退いてくれないだろうか?」

『…………‼︎』

 

 志龍の言葉に女たちは青ざめた顔を見合わせた。

 

「き、金烏キンウ姉さま。ど、どうしましょう……⁉︎」

 

コン』の位置を占める女が『乾』の位置を占める女————シュ金烏に助けを求めた。八人の首領格と思われる金烏は忌々し気に舌打ちをする。

 

「……青龍派のご門人、先ほどは失礼しました。しかし我らはその白虎派の大男に用があるだけです。これは拙派と白虎派の門人との問題。貴派とは関わりの無いことですので、そちらこそ退いていただけないでしょうか?」

 

 金烏は丁重ではあるが殊更ことさらに門派の名を強調した物言いをした。これはあくまでも朱雀派と白虎派の問題であり、無関係の青龍派は引っ込んでいろと言っているのである。

 

「申し訳ないがそれは出来ぬ。一応この男は私の道連れなので、用件があると言われるのなら私も聞こう。腕ずくでと言うのであれば、気は進まぬがこの剣で応えよう」

「…………ッ」

 

 志龍の鋭い返答に金烏は歯を剥き出しにして表情を歪めた。


「き、金烏姉さま……」


 再び妹弟子いもうとでしに不安な表情を向けられた金烏は幾分か落ち着きを取り戻したように口を開く。


「……あの忌々しい太鳳に一杯食わしたという男を捕らえて、あの女に吠え面をかかせてやろうと思ったけど、命を懸けるのは割りに合わないね」


 金烏はここまで話すと、成虎と志龍へ顔を向けた。


「白虎派と青龍派の門人ども。ここは退いてあげるけど、せいぜい背中には気をつけることだね……‼︎」

 

 鬼のような顔で捨て台詞を吐いた金烏が跳躍すると、残りの七人の女たちもその後を追い、八羽の朱雀は南の方角へ飛んで行ってしまった。

 

 朱雀派が遠ざかっていくのを確認した志龍は両腕の剣を消失させる。

 

「……なんとかやり合うことなく追い払うことが出来たな」

「————志龍」

 

 肩をポンと叩かれ振り向くと、感動したような表情を浮かべる成虎の姿が眼に入った。

 

「ちょっくら抱きしめても良いかい……?」

「…………やめろ」

 

 志龍は眉根を寄せて、静かに成虎から距離を取った。


  ———— 第十二章に続く ———— 

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