『白虎派入門(二)』

 枯れ木を通り抜けた先は曇天や岩肌で構成される灰色ではなく、雲一つない快晴の青や生命みなぎる新緑、そして鮮やかな花々が咲き乱れる七色の世界であった。

 

「…………!」

 

 先ほどまでと余りに違う風景に圧倒され呼吸を忘れていた成虎セイコは大きく息を吸い込んだ。すると、桃の花の良い香りに鼻腔をくすぐられ、成虎は思わず独りごちる。

 

「…………すっげえな、ここが噂の桃源郷とうげんきょうってワケかい……!」

「成虎」

 

 声にハッとして顔を向けると、いつもと変わらぬ表情でたたず将角ショウカクの姿が見えた。

 

「ホントに仙境みてえだな、ここは。外界と気候まで違うじゃねえの」

「ここは『龍穴りゅうけつ』の一つなのだ」

「————龍穴?」

 

 キョトンとする成虎に将角が説明する。

 

「龍穴とは大地に流れている氣が溢れ出ている地点のことだ。氣の力で龍穴は気温も安定していて動植物も育ちやすい」

「へーえ。道理で見たこともねえ花や鳥がいるワケだ。つうか、氣ってのぁ大地にも流れてんだな」

「ああ、『龍脈りゅうみゃく』と言って血管のように縦横無尽に走っていて、絶えず氣が流れているらしい」

「ほお……てぇこたぁ、待てよ? ここで修行すりゃあ…………」

 

 アゴに手を当てて成虎が考え込むと、将角は満足そうにうなずいた。

 

「流石だ、成虎。龍穴で修行を積めば内功の修練が数倍早く進むぞ」

「やっぱりそうかい! そいつを聞いて俄然やる気が出て来たぜ、俺ぁ!」

『————それは重畳ちょうじょう。成虎とやら、ここ桃源郷で存分に励むが良いぞ』

 

 突如、何処からともなくなまめかしい女性にょしょうの声が響いて来た。

 

「な、何でえ、今の声は⁉︎」

『驚かせてすまぬのう。わらわ西王母セイオウボと申す者。白虎派びゃっこはの掌門を務めておる』

「西王母? この声が……?」

 

 成虎は確認するように将角へ顔を向けた。

 

「これは西王母さまの『千里響音せんりきょうおん』の術だ。離れていても声を届かせることが出来る」

「ちょいと待ちな。声を届かせるのはいいが、なんでコッチの声が聞こえてるんでえ?」

『それは『順風耳じゅんぷうじ』という術じゃ。そなたたちの声、よく聞こえておるぞ。成虎や、将角より上背のある者は初めて眼にしたぞえ?』

「……そいつぁ『千里眼せんりがん』ってえワケかい……!」

 

 冷や汗を浮かべながら成虎は再び将角へ顔を向ける。

 

「おめえの言ってた意味がよーっく分かったぜ、将角」

『将角は妾のことを何と申しておったのじゃ?』

「なーに、絵の中の仙女が現れたかのような美しさだって言ってただけでさあ!」

 

 成虎の返答に将角は幾分かバツの悪い顔をして軽く咳払いをする。

 

『ホホ。将角や、そなたも世辞が言えたとはのう』

「いーやいや、将角がお世辞なんて言えるかい。俺も早く仙女さまのご尊顔を拝見してみてえモンだぜ!」

「無礼だぞ! 成虎!」

 

 将角に一喝された成虎は片眼をつむってペロリと舌を出して見せる。

 

『よいよい。将角や、その若虎を妾の宮殿へ連れて参れ』

「————はっ!」

 

 将角が包拳礼を返すと、それきり西王母の声は聞こえなくなった。

 

「さあて、西王母さまのお許しも出たことだし、早えトコ案内してくれよ。将角!」

「……全くお前という奴は、本当に…………」

 

 ウキウキ顔の成虎とは対照的に将角は頭を抱えた。

 

 

 

 ————将角に案内され西王母の住まう宮殿に辿り着いた成虎だったが、門扉は固く閉められており、門番の姿も見えない。

 

 なにごとか成虎が口を開きかけた時、呼応するように門が一人でに開け放たれた。

 

「へへっ、おいでおいでってワケかい」

 

 喜び勇んで足を踏み入れると、内部は迷宮のように入り組んでおり無数の扉が見えた。外観に比べて明らかに内部は広く感じられ、空間が歪められているかのようである。

 

「将角よお、正解の道順は知ってるかい?」

「いや…………」

 

 将角が答え掛けた時、やはり何処からともなく西王母の声が響いてくる。

 

『妾の申す通りに進んで来るがよい』

 

 声の通りにいくつもの廊下の角を曲がり、いくつもの扉を開けて進んでいくと、ようやく掌門のと思われる大きな扉へと行き着いた。

 

「よくぞここまで参った。さあ、中へ入るがよい」

 

 先ほどまでのように耳元からではなく、部屋の中から西王母の声が聞こえて来た。この中に仙女のように美しいという西王母がいるのだ。成虎は期待に胸を膨らませて扉を開いた。

 

 部屋の中はさほど広いものではないが、こうが焚きめられており、おごそかな雰囲気であった。奥には貴人が控えていそうな御簾みすが掛かっていて、その中には女性と思われる柔らかな影が見える。成虎はひざまずいて声を張り上げた。

 

「————姓はガク、名は成虎! 白虎派掌門・西王母さまにご挨拶を申し上げます!」

「うむ、顔を上げるがよい」

 

 脳内に絡みつくようなつややかな声と共に御簾が上がり、一人の女性の姿があらわになった。

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