第4話 おいつめ

 彼女が手をかざすと、胸の痛みがフッと、うそのように消えた。

 ろくは顔をあげる。

 呪詛をかけたのは、目の前にいる言子ことこ


「……どうして?」

「邪魔だから。以上」


 ぶっきらぼうに去ろうとする言子を、録は追おうとする。


「言子さん、俺のこと心配してくれてるの?」

「……」

「前に言ったじゃないか。天国の姉さんみたいな人を増やさないために、俺は姉さんを……」

「あなたはあの男と一緒なの?」


 呪詛をかけられるよりも、痛みを覚える言葉だった。


「わかったよ」


 録はおとなしく神社から去った。



 言子は彼の後ろ姿をふりかえる。切ない気持ちでいっぱいなのは、認めたくない。

 録は親友の弟で、友達で、理解者だった。

 この1年自分のそばにいてくれた彼を、無意識に心の支えにしてしまっていた。


「もっと早くこうしておくべきだったのよ」


 自分は呪詛師なのだから、独りで戦わなくては。


 

 木の幹に乗っかり、猫師匠は下の様子をながめていた。


「ゲホ。今日の一発でのどもつぶれてしまったわい。言子、どうするつもりじゃ?」



 

 西日が差す病院の廊下。点滴を腕にさし、紫園しおんはゆっくり廊下を歩く。うっとりとつきそう女性と一緒に。


「よかった。シオンくんの体調がよくなって」

「ふーん」


 紫園は興味がない。どうせこの人は、自分の能力を理解してやくれないのだから。

 ヒタヒタ。

 誰もいない廊下から、裸足で誰かが歩くような静かな足音がした。

 女性は周囲を見渡すが、近くに歩いている人はいない。

 ヒタヒタヒタヒタ。

 足音と一緒に、黒い足跡が近づいてくる。

 女性は怖くて動けなくなる。

 一方、紫園の胸にはよろこびがあふれた。


「あの人が僕を呼んでる」


 両手を広げ、足跡を迎えようとした。

 足跡は紫園のわきを通りすぎる。


「待ちなよ」


 嬉々として追いかけた。

 



 夢中で足跡を追い、病院の外の道路まで出る。

 けたたましいクラックションが鳴らされたとき、ようやく車がつっこんでくるのに気づいた。





 深夜の学校、2階の廊下を、言子は師匠と歩いて回った。

 誰もいない教室の扉から、生徒のヒソヒソ声がする。


『あいつマジキモいよねー』


 ギャハハと笑い声。


「あれね。校長先生から依頼のあった呪詛じゅそ


 言子は扉の前に立つ。呪力を込めて怒鳴った。


「てめえのほうがキモいんだよっ!!」


 笑い声がフッと消える。

 師匠が鼻をクンクンさせた。


「そこらじゅうに呪詛がこびりついておる」

「日中の悪口や陰口が呪詛としてこびりついたんでしょうね。ま、依頼完了です。帰ったらパフェ食べ放題の会です」


 言子はあえて元気にふるまった。

 ヒタヒタヒタヒタ。

 階段を誰かが登る気配がする。電気がチカチカした。

 ボソボソ声。


『……してる。……愛してる』


 言子の首が、ひもで絞められたように痛みだす。


「うっ」


 息が苦しく、のどがつぶれそうだ。


「呪詛じゃ。ここから離れろ。効力がうすくなるじゃろう」


 うなずき、師匠と廊下を逃げた。

 ヒタヒタも早足でついてくる。


「ついてくるなっ!!」


 呪力を込めて怒鳴っても、足音は止まない。

 のどが痛くて全力が出せない。そうでなくても、相手の呪詛は強い。相当強い。

 おそらく言子の張った呪詛の網を、あいつが破って直接やってきたのだ。


「どこかに隠れるぞ」


 見かねた師匠が提案する。

 足音が角を曲がる前に、言子は師匠とトイレに逃げこんだ。



 

 個室のドアを閉じ、ふたりで息をひそめた。

 離れたおかげか、言子の首の痛みは消えている。

 ヒタヒタ。ヒタヒタ。

 足音が近づいてくる。

 心臓が早鐘を打った。居場所がわかっているのか。

 ヒタヒタ、ヒタ。

 足音は個室の前で止まった。

 ヒタヒタヒタヒタ。

 段々小さくなっていく。

 去ったのか。

 ほっと息をついた。

 言子はスマホのライトでドアを照らし、鍵を外してドアを開けようとする。

 鍵はびきったように固かった。ちっとも開かない。

 師匠がうなる。

 スマホのライトの光により照らされたドアの表面。

 『愛』の一文字が彫られている。

 ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ。

 早足の足音が、段々近づいてくる。

 言子は覚悟を決めた。


「師匠。今から私が最大出力であいつの呪詛を返します。そのすきに逃げてください」

「わしも戦う。わしの力不足によって呪詛で死んだおまえの両親に顔がたたぬ」

「お願いです師匠。ろくに伝えてください。ごめんねって」


 言子はスマホを床に置いた。ぶつぶつと呪文をつぶやく。

 最後にすぅっと息を吸った。


「消えろーーーーっ!!!!」 


 ビリビリと空気が振動した。ドアが勢いよく開き、窓ガラスや鏡が割れる。

 ヒタヒタ足音も一瞬止まった。

 言子はトイレから飛び出、割れた窓から飛び降りる。


「言子!」




 樹木に引っかかってから、言子は校庭に落ちた。


「……く」


 起きあがろうにも、全身を打ちつけた痛みで身体からだが言うことを聞かない。

 ざっざっと足音が寄ってくる。

 全身に包帯を巻いた若い男が、言子の前に立ちはだかった。


「僕の勝ちだ言子。愛しているよ」


 笑みを浮かべた紫園しおん

 言子の心臓が、しめあげられたように痛む。


「あ……」


 内側からの激痛に、ますます動けなくなった。

 紫園は倒れた言子の上に立ち、ナイフを取りだす。


「きみはここで完全に僕のモノになる」

「やめろ……」


 言うが、呪力もろくに込められない。


「一緒に行こう。完全なる愛に」


 空中に浮かぶ『愛』の文字が、いばらのように言子にからみつく。

 紫園がナイフをふりあげた。

 こんなところで死ぬなんて。

 目をつむったら、まぶたをピカッと白い光がおおった。

 紫園はまぶしさに目をそらす。


「くっ」

「言子さん!」


 光の向こうに録がいる。

 言子を捕らえる『愛』の文字の束縛がゆるんだ。

 逃げだすには今しかない。

 言子は精一杯の力をふりしぼり、録のほうに駆け寄った。


「録!」


 録と抱き合った。


「危ないじゃない」

「だって、俺は言子さんといたいから」


 サイレンの音とともに、警察が学校に入る。

 2階の割れた窓から師匠が顔を出した。言子のスマホをくわえている。


「イチイチゼロをしておいたぞ」


 紫崎は逃げようとするも、警察に捕まった。





 後日。

 言子は神社で正座し、ひたすら瞑想めいそうにふけっていた。

 後ろから肩を叩かれる。


『言子』


 あの男の声。

 ゾッとしてふりかえった。録と師匠がきょとんとしている。


「言子さん、新しい依頼来たよ」

「あ、ええ」

「ねえ。これからも、一緒にいていいよね」

「……好きにしたら」


 とてもとても、安心してしまった。

 言子は前向きな気持ちで立ち上がる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る