第19話 約束したよね


『ここの窓、きれいだよねえ』

『はこべはキレイなもの、すきだなあ』

『うん、だいすき!』


 幼稚園にたどり着いた私の耳に、かん高い子どもの声が聞こえた。どこから聞こえてくるんだろう。

 あれはたぶん、私とレイくん。姿は見えないけどきっとそう。

 園庭を過ぎ、心ひかれるままに小さな聖堂の入り口に行く。開いた扉の中から幼い私たちの声がした。

 のぞくと、ステンドグラスのはまった窓から色とりどりの光が降っていた。飾られた白いユリが強く香る。


『わたし、おはなもすき! かわいいもん』

『ふーん。これ、なんてはな?』

『ゆり!』


 私たちの姿は見えない。声だけがどこかから響く。

 ああそうだった、幼稚園の〈お祈りのお部屋〉にもぐりこんだこと、あったね。お迎えの時間になってもお母さんが来なくって、帰りじたくのまま先生の目をぬすんで抜け出したの。


『わたしヒマワリならもってるよ。ほら』

『これ、あたまにつけるやつ?』


 そうそう、かわいくて大好きなヘアピンやヘアゴム、お気に入りキャラクターのハンカチとマスコット。私いつもカバンに入れていた。これはたぶんヒマワリの花のついたヘアピンのこと――あれはどこにいっちゃったんだっけ。今はもうないなあ。


『かみのけにパチンてするの。やってあげる!』

『え……おれ、いらない』

『えー』


 えー、じゃないよ。男の子に何してんの私!

 でもやったわ、これ。『せりくんもかわいくする!』って頭に無理やり――え?


 せり、くん。


 うそ。

 ううん、ほんと。くん。

 それが彼の名前。

 何も考えず、あふれる記憶にまかせたらスルリと出てきた。そうだよ、あの子はせりくん。どうして忘れてたの。


 私はおそるおそる聖堂に入った。誰もいない。奥の祭壇前に、二人分の幼稚園カバンと帽子がそっと置かれていた。

 真ん中の通路にゆっくり足を進めて、私は呼んでみた。


「――『セリくん』」


 帽子の上でステンドグラスの光が揺れる。そして――そこになつかしげな表情で現れたのは、やっぱりレイくんだった。


「やっと思い出したか」


 レイくん――せりくんはニヤ、と笑う。

 何よ、私すごく考えたんだからね。ずっとずっと離れていた友だちのこと、思い出すだけえらいでしょ?


「卒園ぶりなんだよ。大きくなってるし、むずかしかったの」


 言い返しながら歩みよる私を見て、せりくんが照れたみたいにそっぽを向いた。


「……なあに、どしたの」

「えーと、さ。このシチュエーションはちょっと」


 は?

 ……ああまあ、このね。教会でやる結婚式みたいな形になってるけど、しょうがないじゃない、せりくんが祭壇前に現れたんだから。

 だけどせりくんの隣に来ると、私の思い出がまた一つよみがえった。


『なあ、おれらケッコンしようよ』

『ケッコン?』

『おとことおんなのなかよしの、やくそくだぞ。おれ、ひっこしちゃうけどさ、はこべとはずっとなかよしだから』

『ふーん。いいよー!』


 ――うわ。

 私は頭を抱えてしゃがみこんだ。


「……覚えてるか?」


 ものすごく気まずそうにせりくんが言った。私はしゃがんだまましぶしぶ顔を上げる。


「俺、ケッコンしようって言ったよな」

「いいよって、私言ったよね」


 私たちは声をそろえて叫んだ。


「はっず!」

「はずかし!」


 せりくんは天井をあおぎ、私は両手でほほを押さえた。

 あれってプロポーズじゃない! もう、幼稚園児とはいえありえないって!


「言い訳させろ! 俺、ほんとに意味わかってなかった。男同士のマブダチと同じぐらいの感じに思ってたの!」

「私、ケッコンてお父さんとお母さんのじゃないかなあとは知ってたんだけど」

「んじゃ言えよ!」

「だって自信満々に『なかよしのやくそくだ』って言い切ったじゃない! そんなもんならいいかなって」


 私たちはムスッと黙り合った。

 不思議。一度思い出してみると、あの頃のせりくんとのことが鮮やかによみがえる。せりくんとは久しぶりだからなのか、ここが魂揺たまゆらの夢の中だからなのか。


「――ぷっ」


 なんだかおかしくなって、私は吹き出した。


「ふへへっ、あはは、やだもう」

「……悪かったよ。なんも知らなくてごめん」


 せりくんがボソボソとあやまる。たぶんすごく照れてるんだと思う。笑ってちゃかわいそうかなと思って、私はクスクス笑いを飲み込んだ。


「もういいって。婚約破棄しようか」

「……その言い方、なんか嫌なんだけど」


 せりくんは情けない顔のまま椅子に座った。私も床から隣に移る。

 あらためて、せりくんを見た。小さい頃の顔はおぼろげだけど、確かに印象は重なる。


「……なんだよ」


 居心地悪そうに言われた。


「だってなんか。えー、あらためて、お久しぶりです」

「何を今さら」

「セリくんに言ってるの! レイくんじゃなくて」

「おんなじだって」

 

 笑われたけど、やっぱりちがうよ。謎の男の子レイくんが、幼稚園の頃の仲間せりくんになった。なんだか、うれしい。

 だけど不思議で仕方なかった。せりくんは私にどんな想いを残したんだろう。

 何年も会っていなかった昔の友だちだよ? ちびっこの時のうっかり婚約なんかで魂はしばられたりしないでしょ。


「ねえ、セリくんは私になんの用があるの? こんなに久しぶりなのに――私、何かしたっけ」

「――ハコベは何もしてないよ。俺が、さ」


 せりくんはすこし迷うように考えていた。



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