第14話 二人だけで


 さそわれて私はペンギン水そうの前に撫子と並んで立った。たくさんのペンギンがうれしそうにこちらを見ながら飛びまわっている。


「行こ」

「……うん」


 私の手をにぎる撫子は、迷いなく水そうのアクリルガラスに入っていった。引かれて私も続こうとする。その時駆け寄ってきたレイくんが、黙って撫子とは反対の腕を取った。え、と思う間もなく体をぴったり私に寄せて、レイくんは一緒にガラスをくぐる。

 ズズ、とあの不思議な感覚があって、私たちは水そうにもぐり込んでいた。見上げると水面がキラキラしている。ちゃんと水の中。でもやっぱりしゃべることはできるみたいだ。


「きれい――」

「なんであなたも来るの?」


 撫子は私を振り向いて、ついてきたレイくんをとがめた。にくたらしそうににらみつける。どうしてそんなに嫌うんだろう。


「ナデシコ、べつにいいでしょ」

「私ハコベちゃんと二人でいたい!」


 私の腕にしがみつく撫子に、私はくらくらした。

 すこしつらいよ、撫子。さっきからあの日のことばかり思い出す。




『ずっとこうしていたい。こうしてはこべちゃんとおしゃべりしてるのがいい』

『そうだね、こんな放課後っていいよね』

『二人だけって落ち着くんだもん』


 ただなんの予定もない放課後の過ごし方の話だと思っていた。でも撫子にとってはそうじゃなかったんだろうか。

 ずっと二人で。その意味は。

 そうなの、撫子? 他の誰もいない世界で、二人だけ?


『私だけじゃなくて、撫子のこと気にしてる人なんていっぱいいるじゃない。平子先輩とかさ』

『だから、そういうのよくわからないんだってば』


 くちびるをとがらせてすねる撫子がかわいくて、私は笑ったんだ。

 私だって、まだそんなことよくわからない。女の子同士、気楽にしている方が楽しいのは同じだった。だけどそんな時間は変わっていくものだとも知っている。


『撫子かわいいし、この先モテるかもよ。あーあ、私もおとなになったら、そーゆー気持ちわかるかな』

『うーん。わからない、かナ』

『ひどーい!』


 ぶつフリをする私にコロコロと笑いながら、撫子は窓の方を見た。

 空はうっすらと夕方の色になりかけている。透きとおる空に、撫子はつぶやいた。


『おとなになんてならなくてもいいの、私』

『――どうして?』

『なんだか、嫌』


 私を見ようともせずに言いつのる撫子のほほ。そうだ、冷たい風にあたるより前からもう、ほんのり赤かったんだ。何かの熱に浮かされているように。





 私たちが立つ岩場には水を通して降りそそぐ光がゆらゆらと映っていた。夏のプールのような、でもそれよりもやわらかくて心地よい、不思議な水底。

 上や横ではペンギンたちが人間を遠巻きにして泳いでいる。私の腕を取ったままの撫子に挑戦的に笑い返して、レイくんは言った。


「こいつ、ドンくさいからさ。あぶないだろ。もあるかもしれないし」


 それは通路から落ちかけたことだろうか。でもここは水の中、もうそんなことはないはず。


「ハコベと二人になってどうするんだよ? 俺がついてこれないようにガラスを通さないつもりだった? おまえとハコベだけにするなんて、あぶなくてしょうがねえや」

「……え、何言ってるのレイくん」


 きょとんとした私を引きずって、撫子はレイくんから離れた。レイくんは私ではなく撫子から目をそらさない。監視するように。


「ここはおまえの心の中なんだろ。おまえの自由になる世界だ。なんだってできる。さっきのだっておまえがやったんだ!」

「うるさい!」


 撫子が叫んだとたん、一羽のイワトビペンギンがレイくんめがけて突っ込んだ。レイくんはギリギリでよける。


「ナデシコ!?」


 悲鳴のように言った私を撫子は放さなかった。撫子はぶるぶるとふるえ、息が荒い。


「いくらハコベがまぬけでも、何もないところでなんで転ぶんだよ。しかも手すりの向こうにむかって。足を持ち上げられるみたいな感じがしたろ、ハコベ」

「え、うん……」


 そう、なぜか足を取られたんだった。レイくんは断言する。


「ナデシコがやったんだよ」

「私はハコベちゃんを助けたでしょ!」

「ハコベに恩を売りたかったんだろ、もっと好きになってほしくて、自分のものにしたくて!」

「やめてよ!」


 またペンギンがレイくんに飛び込んだ。顔をかばったレイくんの腕に一羽が当たる。


「レイくん!」

「ほらな。ペンギンだってこいつの思う通りに動くんだ。だから勝手に行進してくるし、カピバラのプールだってお湯になる。なんでもできる、ここはナデシコの世界なんだよ」


 そうなの?

 私が青ざめて撫子を見つめるのに、撫子は私を見ない。私をつかまえたまま泣きそうな顔でレイくんをにらんでいた。


「――あなたのせいで、ハコベちゃんと離ればなれになっちゃったのよ」


 そう言われて、レイくんは撫子をにらみ返した。


「ああ、そうだな」

「なんてことしてくれたの。せっかくずっと一緒のはずだったのに!」

「そんなことさせるかよ!」


 二人が何を言い争っているのか私にはわからない。おろおろするのを無視されて、私は必死で割って入った。


「何? どういうことなの? レイくんのせいでって、ナデシコはレイくんを知ってるの?」

「いいんだハコベ、今その話はできない!」

「そうよハコベちゃん、もうそんなのいい。言うとおり、ここは私の世界だもん、思うようにするんだから! ハコベちゃん、私と一緒に行こう! 私と来て!」


 大声で争う三人の人間の周りを、ペンギンたちがグルグルと群れ飛んでいる。

 降りそそぐ光が揺らぐ水そうの底に立って、私はどうすればいいのかわからなくなっていた。



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