ペンギンが飛ぶ空

第11話 歩きたくて飛びたくて


「ナデシコ――私だって会いたかったよ」


 私たちはゆっくり近づいた。本当に撫子なの。はにかむように笑う撫子は、おずおずと私に抱きつく。

 ああ、撫子だ。

 私の肩に顔を伏せて撫子は声をふるわせた。


「ハコベちゃん――ごめんね、ハコベちゃんにまで怪我させちゃった」


 何言ってるのよ、自分は死んじゃったくせに。


「ばかナデシコ。私もごめん、ナデシコを引き上げられればよかった」

「えー、無理だよお。私、そこそこ重たいよ?」


 顔を上げた撫子はぷくぅと頬をふくらませる。私たちはおでこをくっつけるようにして笑い合った。

 ひとしきり笑うと撫子は両腕で周りを示してみせる。


「私ね、ハコベちゃんと水族館に来たかったの」

「そう言ってたね。ペンギンとカピバラと」

「だからね、今日は遊ぼ!」


 撫子はクルリと身をひるがえし、そこにいるカピバラに駆けよった。私もついていくと、柵の向こうのカピバラたちがのそのそと飼育エリアの端にあるプールに向かう。撫子はそれをわくわくながめた。


「ほんとにお風呂に入るのかなあ」

「ていうかあれ、お湯なの?」

「――あ、そうか」


 急にプールから湯気が立つ。え、と後ろの方でレイくんが小さく声を上げた。

 カピバラはトポン、とプールに突っ込んだ。鼻すれすれまでお湯につかって気持ちよさそうにする。私たちは吹き出した。


「かわいい!」

「頭にてぬぐい乗せたら似あうねえ」


 そこで後ろからレイくんが口をはさんだ。


「風呂入ってると、なんかオッサンぽいな」


 撫子がびく、とした。レイくんを振り向いてにらみつける。


「……この人、だれ?」


 ものすごく警戒する目だった。私の腕にぎゅっとつかまる。そうだよね、撫子はレイくんに会ったことないんだった。


「えーとね、レイくんは……」


 紹介しようとして私も首をひねってしまった。なんて言えばいいんだろう。


「うーん俺は……ハコベの知り合い、なんだけど……」


 本人も考え込む。そうか、私が思い出すまで名乗れないし、どんな関係だったかも言えないんだっけ。


「あの、あのね、とにかく変な人じゃないから。私をここに連れてきてくれたの」

「おーい、変な人じゃないって、その言い方だとむしろヘンな人っぽくね?」

「しょうがないじゃない。あやしいのは変わらないし」

「どこがあやしいんだよ!」


 言い合う私とレイくんに、撫子は不満そうだった。私の腕をグイと引っ張る。


「悪い人じゃないのは、なんかわかったけど……ハコベちゃんと遊ぶのは私なんだから、じゃましないで」

「ナデシコ……」


 知らない男の子に、ううん、誰に対してでも、こんなにはっきり物を言う撫子は初めて見た。

 私に向かってニッコリ笑うのに、撫子の目は泣きそうになっている。私は空いてる方の手で撫子の頬をムニムニした。


「だいじょうぶ、レイくんはいい人だよ、じゃまなんてしない。でも私、レイくんのことも知らなきゃいけないの。だから一緒に行かせてよ」

「……ハコベちゃんが言うなら」


 仕方なさそうに撫子はうなずいた。そしてプイと顔をそむけてレイくんを視界から外し、私の肩にもたれる。


「ね、もうすぐペンギンパレードがあるよ。外の広場に行こう」


 甘えるような撫子の伏せたまつげが、ふる、とふるえていた。


 ――平子先輩とは付き合わないの? と撫子に訊いた時のことを思い出した。あの時も撫子は泣きそうで――まつげに一滴の涙をくっつけて、私にぎゅっとしがみついたんだ。


『はこべちゃんがいれば、それでいい』

『え、私はカレシとは違うし』

『はこべちゃんは、カレなんかよりもっといいものだよ』

『……そうなの?』


 そうなんですぅ、とふざけて答える撫子の目はなんだか遠くを見ているようだった。


 今の撫子も、同じ目だ。まばたきした撫子のまつげから、小さなしぶきが飛んだような気がした。


「――やっとハコベちゃんとデートできる」

「デート……」


 さっきもそんなこと、レイくんに言われたなあ。どういうこと? 私モテ期なんだろうか。


「さ、行こ!」


 撫子は私を引っ張って駆け出す。その軽やかな足どりに私は考えるのをやめた。

 今、撫子がうれしそうならそれでいい。




 屋外の広場には柔らかい光がそそいでいた。周りにはヤシの木が並んでいて、おみやげ物屋さんの建物もある。他のお客さんがいないのが変な感じだ。

 見上げると、ふんわりぼやけた空。とりとめのない雲が流れていく。


「もう来るはずなんだけどな」


 撫子がツイと背伸びしてあたりを見まわした。レイくんは私たちから何歩も離れて、すこし後ろに立っていてくれる。


「あ、来た!」


 視線の先に、よちよち歩いてくる集団がいた。わりと小さめのペンギン。

 十何羽かいるだろうか、ひっきりなしに誰かが列を離れそうになるのに、チョロチョロとまた戻ってくる。


「飼育員さん、いないんだね」


 私は目を丸くしてしまった。勝手に行進してくるなんて、えらすぎるでしょ。


「そうね。私がここの飼育員さんになろうかな」

「あ、ペンギンと歩くナデシコなんてきっとかわいい!」


 作業服に帽子に長靴で。女の子っぽい撫子にはむしろ似あいそうだ。うふふ、と撫子はうれしそうにした。

 撫子はペンギンパレードに合流し、後ろについて歩き始めた。私はその横を追いかける。


「ペンギンは歩くのが得意じゃなくて、鳥なのに空も飛べない。でも海を飛ぶ」


 撫子は夢のようにつぶやいた。


「私も世界をうまく歩けないの。私もペンギンならよかった。そうしたら、飛べる海があったのに――ね、ハコベちゃん」


 私を振り向いた撫子のほほは、あの日の窓辺で振り向いた時のように上気していた。



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