緋色の憧憬はただ燃え消える

「ッ!!」


 怒気を帯びた舌打ちを吐き捨てたのはシルヴィだった。鼻腔を刺激するエストの血の臭いが人ならざる双眸に妖光を灯し牙を濡らす。指輪の付いた手で握り拳を作り、唱える。


「――塗り潰せ!」


 引き金となる言葉。細く漂い揺れる糸の刃が縦横無尽に巡った。ナイフで寸断されようとも伸び迫り、エルクスの皮膚を裂き、肉へ食い込む。致命傷にはなりえない僅かな傷を数多に刻み、報復とばかりに多量の血が糸を伝った。


「過去のことをうじうじと! そういうやつ、大嫌い!!」


 エストは目を見開いた。それがエルクスだけに向けられた言葉とは思えなかった。……考えすぎだろう。だが、未だ握り締める剣は緋に輝き続け、この手を熱し続けている。


「現実と向かい合ってない!? 違う! エストのことなんて全然知らないけど断言できるわ! 私の方が本人よりもずっと、ずーーっと♡ 仮面に隠れてる本性を知ってるの! ……向き合ってなかったらこんなところにいない!」


 ――違う。向き合おうとしなかったのは真実だ。ルドヴィコと対峙したとき、何も言えなかったのも全て事実でしかない。


 言葉は声にならなかった。シルヴィは【緋の糸】を手足よりも自在に振るい、不可避の攻撃を仕掛ける。


 糸が際限なく伸び動き続けるならと、エルクスはいなすことをやめた。身を屈め一気にシルヴィへ距離を詰め二色のナイフを突き伸ばす。


「…………ッ。自衛をしろと言ったはずだ」


 シルヴィの眼前で炎が舞った。茜差す剣が白と黒の斬閃を弾き、エストの背が立ち塞がるように、研ぎ澄まされた連撃を全て打ち流す。


「ふん、偉そうなことを言って。色つきだか【緋刃】だか知らないけど。いいようにしてやられてダッサイの。過去に何もできなかったことを悔いて変わろうとしているなら使えるものは使いなさい。できることを全部やりなさいよ」


「…………」


 エルクスの追撃を許すことなく、レーヴェが割り込み鍔迫り合う。シルヴィは毅然としてエストを見上げた。凛とした眼差しでガスマスクに隠れた瞳を見据える。


「……怖がり。何もしないで後悔するくらいならぁ……デキること、なんでもして? ……ダサかった分、ゾクゾクぅ……って、お腹が疼きそうなぐらい格好いいとこ見せてぇ?」


 エストは沈黙を貫いた。ふんと、自嘲混じりにシルヴィを鼻で笑い、身体から飛び出す白い刃を鷲掴み――引き抜いた。


 罰の刃を投げ捨てる。乾いた音を立てて非科学の剣が霧散していく。


「……出来ることが良いこととは限らない。嗚呼、だが。見くびらないで欲しい。【緋刃】と呼ばれるまでに踏んだ場数をキミは知らないだろう。知ったかぶりもいいとこだ」


「強気ね」


 シルヴィは微笑んだ。目の前の敵を睥睨すると二振りの緋色は共鳴するように血塗れ、燃え上がる。


 色付き……恐るべき便利屋とその弟子。そして怪物。


 三人を目の前にエルクスは笑った。瞳は憧憬を映し、傷のない場所を探すことさえできない身体で臨戦態勢を取り戻した。


「自分は生憎、殺される気はないんですよ。――裁きを与えろ」


 引き金となる言葉に二つの刃が輝く。黒い鎖が物体的な干渉なくエストの身体を貫き縛り付け、罪悪の意識に紐付いて意識を遠ざける。白い刃が身体の内側から肉体を裂いていく。


「このッ――!」


 【緋の糸】を鉄条網のごとく張り伸ばしエルクスの身体を切り裂く。無数の裂傷を押し殺すように言葉にならない雄叫びを響かせた。エストを縛り付けたまま、シルヴィから無力化するように地を蹴り疾走る。


 肉薄し、ナイフで斬りつけるフェイント。シルヴィが身構えた瞬間に、生命線とも言える異界道具を投げ放った。


 レーヴェは咄嗟に手を伸ばし、不意の一刃を掴み止める。そのすぐ真横を焔が横切った。ガスマスクから伝う瞳の光が尾を引き、振り下ろす緋に染まる一閃が灼熱に覆われる。


 致命的な一振りを目の前に、エルクスは防御を放棄した。誰もがそうだったように、緋色の軌跡に見惚れ、ジッと目を見開いた。憧憬を映す双眸が、揺れる輝きを反射して赤く、ただ赤く煌めく。


「…………前見たときよりずっと綺麗だ」


 【緋色の剣】が撫でる。寸断した傷跡から血が流れることはなく、薄暗い地下を灯火が照らした。


「……先を急ぐ。定時連絡があるはずだ。彼の通信が途絶えれば、それで交戦はバレるだろう」


 鎖と白い刃が霧散するように消えた。【緋色の剣】を鞘に収め、彼のナイフを拾う。ジッと一瞥し、ベルトポーチにしまい込んだ。


「エスト、……そいつとは知り合いだったの?」


「…………昔、奴が便利屋で無かった頃に偶然一度助けただけだ。奴‘は’覚えていたらしい」


 淡々と歩き出した。足音もなく、静寂の中下水の水音が響いていく。


「……エストも覚えてるじゃん」


 シルヴィがぼやいても、エストはこれ以上何も語ろうとはしなかった。

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