罪の鎖

 エストは一歩、踏み込むと共に斬撃を振るった。緋に煌めく円弧の軌跡。じめついた空気を焼き斬る猛攻。便利屋は白と黒の双刃で受け止めた。目で確認するよりも早く斬撃に斬撃を合わせ耐える。


「…………ッ」


 レーヴェは理解していた。【緋色の剣】の間合いに近づけば邪魔になると。


 シルヴィは理解できていた。エストの方が実力も実戦経験も上回っているはずなのに、精神的に明らかに摩耗していた。


 便利屋は防戦を強いられていた。力強く、大振りでありながら絶え間なく致命傷しか存在しない一瞬の連撃を二つのナイフで弾き、押し飛ばしていく。


 衝撃で後退していく脚。数多の火花を散らして無数の金属音が劈いた。


 【緋刃】は密着するように距離を詰め、敵の腕を蹴り上げる。衝撃によって舞う一本のナイフ。敵が仰け反ったと同時、勢いのまま体を捻り、緋色の軌跡を振り下ろす。


 剣の切っ先が便利屋を掠めた。傷は見えることはなく、血の一滴さえ流さないままピタリと便利屋の動きが止まる。


 遅れて、両断した肉体がバラけるように崩れ落ち――無数の羽根を舞い上げて消滅した。数メートル、間合いを取り直して便利屋の肉体が非科学的な力によって再構成される。


 宙を飛んだ武器までもが手元へ戻っていた。ただ一つ、ベルトポーチに付いた羽根の装身具だけが両断され、燃え尽きていく。


「同じ手はもう使えない。……降伏しろ。武器を捨ててここから消え失せろ。二度と関わらないならばこれ以上戦う意味もないだろう」


「それはできない。自分は金以外の目的で、薬品臭い依頼ではなく、ルドヴィコから個人として仕事を引き受けたんです。あなたに、【緋刃】と会うために。初めましてではないんです。覚えていないでしょうけど」


 便利屋は儚いような笑みを浮かべて名刺を首元へ投じた。エストはそれを掴み取り、握り潰すと懐に収める。


 ――八咫護衛事務所……無数に存在する便利屋達組織の一つだろう。その一課、階級は支部長。名前はエルクス。男性。……垣間見えた情報が脳に入り込んでいく。


「お前のような知り合いがいた記憶はない」


「ええ、でも自分は覚えています。緋色の輝き、鋭さ。……貴方に憧れて便利屋になって事務所を築くまでに至りました。貴方を目指して刃を振るい続けました」


 淡々と剣戟を交わした。幾度となく刃が交錯するたびに皮膚を焼く熱が舞い上がり、エストは一歩ずつ踏み込んでいく。エルクスに攻撃の機会を与えるず、防戦を強いた。


「……同胞がいるなら、なぜ死にに行くような仕事を受けた。組織を建てながら大切なものは築けなかったのか? お前を失ったら部下はどうなる? そんなことも考慮さえできないのか?」


「他人の心配をしてくれるんですね。あなたはやっぱり優しい人のはずだ。見ず知らずの子供を助け、殺し合っている相手の話に耳を傾ける。それが不利になるとわかっていながらその悪癖をやめない」


 振るわれる斬撃。エルクスは異界道具のナイフで受け止め弾くも、緋色に揺れる刀身は鞭のようにしなる錯覚を感じさせるほどの加速する。


 距離を取り上体を反らし剣先を寸でのところで避けるも、突き放たれた蹴りを受け止めきれずに鈍い殴打を響かせた。


「誰かと関わるべきではない。便利屋にとって大切なものを持つべきではない。……あなたが一番理解しているでしょうに」


 エルクスはナイフの一本を頭上へ投じた。数瞬の間、空いた手で拳銃を握り締める。シルヴィへ向かう銃口。華奢な腕へ引き金が振り絞られる。


「そんな対人用の道具でどうにかなるって思ってるのぉ?」


 嘲笑。シルヴィは頬を吊り上げながら右手を振るう。指輪を始点に無数に下水道を張り巡る【緋の糸】が障壁のように弾丸を止め、寸断してみせる。


 だがその僅かな攻防の間、エストは攻撃の手を緩めた。シルヴィへ意識を割いてすぐに彼女の身を守れるように軸足が動く。


「貴方は悪癖を理解しながらやめることはできません。危険を承知で守ることを優先する」


 エルクスは宙へ投じた白刃を握り直し、振るい薙ぐ。鋭利な軌跡がエストの腕を僅かに掠めた。血飛沫が跳ねる。


 血に呼応するようにシルヴィは目を見開いた。自責以上に、エストに対しての怒りが双眸を強く光輝させる。


「自衛しろって言ったのはエストでしょ? なのに信じてくれないから痛い目見るの。庇いたがりのおバカさん♡ ……前も言ったと思うけど。こんなことしないで」


 エストはシルヴィにこれ以上視線を向けようとはしなかった。一転して二つの刃による連撃を仕掛けるエルクスをたった一振りで打ち流し、蹴り飛ばす。


「ガホッ。……ッッ! これが【緋色の剣】と同じような力を持っていたら? これで全ておしまいでしたね」


「……何が言いたい」


「許せないんですよ。どうしてその優しさをアーヴェに、ルドヴィコ・アーヴェに向けることができなかったんですか? 現実を直視することに耐えられなかったんですか? ……貴方が作り出した罪でしょう」


 ――僕は、師匠の事が好きかもしれないですよ。家族のようになりたいと思っています。


 思い出したくない言葉が今も鮮明に蘇る。恥じるような言葉遣い。俯いた横顔。……便利屋は大切なものをつくるべきではなかった。


 その相貌を斬り裂いた瞬間を忘れることができるはずもない。飛び散る血。命を燃やし煌々と照らす炎の熱、眩いほど赤い光。


 ――ルドヴィコ・アーヴェを抱きかかえたとき、手から解けるように落ちた刃の音が耳を離れてくれない。カラン、と。乾いた金属音が脳を軋ませる。


 その身体から熱が無くなっていく感触、記憶の奥底に押し込んだ思い出が、どうしようもなくエストの身体を硬直させた。軋むように痛む頭を押さえる。


「――罪の重さを知るがいい。縛り付けろ。【八咫黒鴉】」


 エルクスが異界道具の引き金となる言葉を唱える。彼の持つ黒いナイフが鈍く光を滲ませると、罪悪感に作用してエストの四肢へ黒い鎖が重く纏い付いた。

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