こんな世界の些細な願いは、誰に届くこともなく

「二人きりだね?」


 ……自販機はすぐそこだったが。


「エストはやっぱり、私みたいなちんちくりんよりレーヴェみたいに……その、胸とか身長とか大きいほうが好きなの?」


 分かっていたが当然のようにエストは無視を貫いた。パタパタとわざとらしく服を仰いで腹部を垣間見せようが上目遣いをしようが、微動だにだってしない。


「でもレーヴェさんに対しての感情も見てる限り違うよね。あっちは保護欲? 私より純粋っていうか……危なっかしい感じ?」


 ――沈黙。エストが黙っているだけならと、シルヴィは無視し返すように話し続けた。キッと、隠すことなく眉間に皺を寄せる。


「ルドヴィコが好き? 殺されそうになっても、手も足も出ないくらいには」


「お前に答える義務はない。関係のない話だろう」


「アハ♡ 図星で怒っちゃった? 私に知られたくないんでしょ。思い出したくもないんでしょ。でもそのガスマスクみたいに、臭い物に蓋をし続けてぇ……解決するの?」


 刺すような苛立ちがシルヴィの背を凍り付かせる。ビクンと、反射的に小さな肩が強く跳ねた。驚異的な力を持った種族が弱々しく縮こまる。


 エストは無自覚のうちに【緋色の剣】の柄を握っていたことに、遅れて気が付いた。自分の手を睨み据え、ゆっくりと、長く嘆息をついた。


「……怖がらせるつもりはなかった。否定をするつもりもない。嗚呼、解決しないだろう。それはずっと心に残り続けて取れることはない。だが、だからなんだ? お前に話す理由にはならない」


「自分勝手なのは分かってるけど。知りたかったの。関係ないとか、言いたくないとか、黙ってろとか。沢山言われた気もするけれど」


 ――多分、緊張してるのは私だけだ。


 シルヴィは苦い薬を飲み干すみたいに険しい表情を呑み込もうとする。顔が熱っぽくって、バクバクと心臓が嫌に鳴り響く。生意気で扇情的でいたいのに、頭のなかにそんな語彙を並べる余裕もない。


「…………色々言われたって。知りたいものは知りたいんだもん」


「何故知りたがる」


 淡々と抑揚の欠片もない声で聞き返される。カチンと来た。ぎゅっと、


「なぜって――わかんないの?」


 思わずぷるぷると震えるつま先で背伸びした。エストの肩を引き寄せるみたいに手を乗せて、目と鼻の距離で彼の視線をジイっと……覗き込んだ。


「メスガキらしくないことを言うけど、好きなんだもん。だからルドヴィコのやつが羨ましくって、知りたくて、超えたくて……。こんな風に思ったのは初めてだよ? メスガキとしても、――我としてもな。初恋ってやつだな」


「初めてなのになぜ好きだとか恋だとか言い切れる」


 シルヴィはふにゃついた口元に力を込め直した。凛とした表情を取り繕うと、不満げに睨みながらガバリと服の裾をめくりあげる。


 ――お色気なんて一ミリだって無意味なのはわかってる。けど、こういう表現が私の方法だった。


「ここが温かいんだ。ゾクゾクってしちゃってる♡ だから一緒にいたいって思ったし、ルドヴィコとかの話でずーっと蚊帳の外なのが不満で、私以外がエストを傷つけてるのが許せないの」


 腹部をなでた。種族が違うのだ。叶うことはない。エストはこんな身体に微塵も興味はない。わかっている。分かり切った失恋を見せつけているんだ。


 エストがあれほど嫌がっていた、感傷を、思い出を刻みつけてやってる。……つもりだったのに。


「そうか」


 適当な相槌を打ったわけでもない。納得したように一言だけ。予想外にエストは呆れも、苛立ちもしなかった。


 ……翻弄するはずが翻弄されている。自覚すると瞳孔が細く、目が見開く。顔を真っ赤にしながらシルヴィはそっと服を戻した。気まずいように背を向けると、見ていたかのようにタイミングよくレーヴェが戻ってくる。


「結局携帯食しかなかったけど私のお店で扱ってるやつより美味しそうだよ」


 一人一箱。ぽいと投げ渡される。天使のロゴの横には可愛げ無く『栄養調整固形食』などと仰々しく描かれていた。塩バター味とフルーツ味の二種類。シルヴィは窺うようにエストへ視線を向けたが。


「……あとで食べる」


 顔を見せたくないのだろう。言い訳のようにぼやかれた。苦笑いを浮かべながらペリペリと包装紙を剥がすと、粉っぽい穀物の匂いと人工的でやや薬品混じりの甘味が香る。


 シルヴィは小動物みたいに大きな一口に頬張ってから。脳を打つような違和感に気づいた。血を啜るための牙で咀嚼を繰り返す。


 ぼろぼろとブロック状の生地が崩れて甘みが広がる。……飲み込めない。嫌な予感が脳裏に過ぎった。冷や汗が出て、さっきまでとは違う動悸が激しく胸を打つ。


「…………っ」


 舌が食べ物だと認識しない。力を思い出すまでは平然と食べられたはずの物が食べられない。人間と同じものが、エストと同じものが食べられない。どれだけ小さく噛み砕いてすり潰しても、喉を通ろうとしない。


「エストのとこでぇ、食べた賞味期限切れの合成食糧よりよーっぽどいい味ね」


 取り繕った笑みを浮かべる。バレないように一瞬、顔を背けた際に包装紙に吐き包む。ぎゅっと手で握り隠した。


 ――私は愛玩用の造り物じゃなかった。けどそんな造り物よりも……よっぽど人間離れしていた。


「本当に……美味しいとおもう」


 自分に言い聞かせるみたいにそんな言葉を繰り返す。エストは何も言わないまま、確かにずっと見据え続けていた。

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