緋の軌跡

 一人が壁に掛けられていた写真を手に取った。私と、パパと、研究者の皆が映った写真。


「……この女を誰か見たか?」


「いえ、処理した人間も、捕縛した研究者のなかにもいません。誰かの子供でしょうか」


「隠れている可能性がある。ベッドの下まで探せ」


 ドキリと、強く心臓が脈打った。隠す様子もない明確な敵意。殺意。


 ベッドの下、ダクト、ロッカーの中。私が隠れられそうな場所を一斉に探し始める。


「……大丈夫、ここは見つからない」


 必死になって自分に言い聞かせたけれど、頭のなかは真っ白になりそうだった。震えがとまらない。見つかったらどうなる? 私も殺される?


 ずっと愛玩動物として生かされて、外に出ることもなく。訳も分からないまま!?


「……おぇえッ」


 想像が巡って嗚咽が込み上げる。――聞かれた? 不意に一人が顔をあげると、私が隠れている壁のほうに近づいてくる。バクン、バクンと。胸が締め付ける。頬が引き攣っていく。嫌な汗が流れて歯が噛み鳴る。


 男は壁をノックした。くぐもった空洞音が響く。


「おい。この壁なにか変だぞ。奥に何かある」


 振り返った直後、窓から黒い影が転がり込んだ。部屋にいた治安維持隊がまず一人、勢いのままに蹴り飛ばされ、緋色の刃が斬撃の軌跡を描いた。


「……ッ襲撃!?」


 部屋にいた奴らが動揺しながら銃を向ける。瞬間、部屋中を包み込む白い煙幕。視界が途絶え無秩序な銃声が轟くなか、緋色の斬撃が一人、また一人と仕留めていくのがわかった。


「くそ、なにも見えな――ガぁ……ッ!」


「便利屋か!? すぐにルド――!?」


 揺れ煌めく一閃。呻き声のように響く断末魔。崩れ落ちる物音。


 白一色の視界のなか、鋭利な斬撃の円弧だけが目視できた。緋色の軌跡。命が漏れる音。煙のなかで行われる虐殺が、どうしてか私には――。


「……綺麗」


 誰にも聞こえない声で、そう、素直に呟いた。


 部屋が再び静寂に包まれる。段々と白い煙が晴れていったとき、部屋に生きている人間は一人しかいなかった。血の一滴すら流さず、どこが致命傷かも分からない数多の死体の中心、彼はいた。


 私よりずっと背が高くて。パパや研究者の皆と違う、ヒリつくような威圧感を纏った人間だった。顔はガスマスクに隠れ、黒いスーツ。手袋……。素肌は見えない。


 握られた一本の刀が淡く茜差す。ガスマスクの男は生存者を探すように周囲を見渡して、迷いなく私のところへ近づいてくる。壁に手を伸ばし、ノックした。空洞音が響く。


「中に誰かいるな。すぐに出てこい。五秒数える。出ないなら殺す。五」


「ま、待って! 殺さないで!!」


 慌てて隠し扉を開けて飛び出す。私は初めてパパの言いつけを破った。だってもう、死んでたから。ガスマスクの男は私をジッと見据える。同情とか憐れみとも違う。


 面倒なものを見つけたような視線。咄嗟に見上げて睨み返した。彼は脅威などないと判断したのかゆっくりと溜息をつく。


「アレッシオ博士は生きているか?」


 私はすぐに首を横に振った。今も緊張で身体は強張って、心臓が強く鼓動している。パパが雇った便利屋が……もう来てくれた? でも私以外、警備員も研究者も死んだ。


「……おじさんはどうするわけ?」


「おじさんではない。……依頼主が死んだならどうしようもない。このまま帰る」


 そう言って彼は興味なさげに背を向けて離れていく。一瞬、頭が真っ白になって。すぐに背筋が凍った。ここで置いてかれたら私も同じになる。この部屋の皆みたいに。


「待って! パパが雇った便利屋なんでしょ……! と、とっとと助けてよ……。ヘンテコ仮面!」


 悪癖が出た。もっと言い方があるはずなのに、そういう言葉遣いで喋ってばかりだったから。これ以上何も出てこない。


「報酬が入らない。助ける義理がない。ついでに口が悪い」


 私なんて飼い主が死んだらどうしようもないの? 口も悪いまま、金がないからってどうしようもない? でも、この人じゃないと。少なくともパパが依頼をする人じゃないと信じられない。


「こ、こんな状況でおいていくわけ……!? 見殺しじゃないの!? 武器もない女の子が抵抗もできずに殺されたり誘拐されるのが好きな変態? そういう性癖でも持ってるわけぇ?」


 な、ん、で。お願いしなきゃいけないのに。言葉を考えれば考えるほど目の前の奴の神経を逆撫でそうなことしか出てこない。


 自分が馬鹿で、無力で。笑えて来る。泣けてきた。嗚咽を飲み込みながら、潤んだ目を拭う。私は、見ることしかできなかった。


「見殺しは趣味ではない。嗜虐趣味もない。が、得体のしれないクソガキを連れ去る趣味もない」


 どうしよう。本気でこの人は私を見殺しにするつもりだ。なんとか、しがみ付かないと。また愛玩動物みたいな扱いになったっていい。なんでもしたって、生き残らないと……何も始まらない。


「わかった。なんでもするって言わせたいんでしょ。ロリコン♡ むっつりスケベ♡ こんな身体のやつにそーいう弱みを……」


 彼はスタスタと歩き去ろうとする。声にならない悲鳴が出た。なんとか脚にしがみ付いたら無遠慮に数メートル引きずられた。伸びていく私の小さな体。ガスマスク越しに、虫でも見るみたいな眼差しがくべられる。


「……ごめんなさ、ごめんなさい。行かないで。私、まだ何もできてない。外にだって出たことない。こんな何にもわからないまま、使われるだけのまま死にたくない」


 ようやくまともに出た言葉は、我ながら消えてしまいそうなくらいへなちょこで、小さな声だった。それでも、生きている人間のほうが少ないこの部屋では嫌になるくらい大きく響いていた。


「…………胸糞が悪い」


 彼はそう言って私を睨むと、荷物でも持つみたいに片手で担いだ。視界がふわりと高くなる。


「うひゃ!? どこ触ってるわけぇ? 自分で歩けるって……」


「そうか。その窓を飛び降りるが平気か?」


 戻りかけた嘲笑はすぐに凍り付く。砕けた窓を踏む音。遥か下に映る街並み。


「もしかして平気だと思うわけ? バカじゃないの? バァカ♡ あっ、待って。やめて。離さないで…………。ぎゅってするから」


「しなくていい。されなくても別に離さない。ただ喋るな。舌が千切れる」


 私が慌てふためくと、彼は鼻で笑ってから――――飛び降りた。

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