第12話 桜井妃奈子、目を覚ます


 しつこく頼み込んだ甲斐があって、登校時にヒロヤは妃奈子の横に並んで歩くようになった。


「後ろからが一番隙がないんです」


「せめて人通りが多くて、敵が来ないと思われる道では並んでください」


 ヒロヤがしぶしぶ横に来て、妃奈子は笑った。


 最年少。


 その響きに多くの人が熱狂して注目したが、ヒロヤが資格を取得してから三か月経ち六月になった今、騒ぎは収束しつつある。

 人の噂は七十五日とはよく言ったものねと、妃奈子はため息をついた。


 いつもと違い校庭を並んで歩く二人に、窓から数人が顔を出す。

 今まではリング付きの令嬢として、多少目立っていた。

 それを嫌がるのは覚悟が足りないということだと、妃奈子は己を叱咤して生きてきた。

 それが今は、隣のヒロヤの方が目立ってくれる。申し訳ないが、少し有難い。


 ヒロヤは勉強も運動もできる。体育の体力測定で、ヒロヤのシャトルランだけが終わらず、ヒロヤも含め皆が困ったことは、校内の皆の知るところとなった。


 何人かがヒロヤのことを見ているのを、妃奈子は気づいているが、自分は何もしないと決めている。


 護衛の仕事を選んだのがヒロヤ自身だとはいえ、自分はヒロヤの人生の時間を奪っている。時間はお金より大事だ。


 そのヒロヤの恋愛を邪魔したくない。

 ただ、ヒロヤは誰のことも見ていない。

 そのことにほっとしている。

 ヒロヤに恋人ができたら、自分の存在が申し訳なくて、たまらなくなるだろうから。


 教室に入ると、芳樹を含めヒロヤに数人が駆け寄るし、妃奈子にも友達が来てくれる。


 このまま、普通に暮らせたらいいのにと思う。


「ヒロヤ、来なさい!」


 三日に一回、美月が隣のクラスからヒロヤを呼びに来る。毎回お菓子を持ってくる。ヒロヤは嬉しそうにお菓子を受け取るが、


「妃奈子さん、キャラメルです」


妃奈子にも分けてくる。


「せっかく美月さんのお心なんですから、ヒロヤさんが独り占めしてはいかがかと……」


「依頼者に分けるのは当然です」


「しかし」


 ヒロヤが大まじめな顔になった。


「昨日七十六キロになりました。どうかカロリーを分け合ってください」


 妃奈子は作り笑いとともにキャラメルを受け取った。


 ごめんなさい美月さん、と思いつつ包みを開ける。


 ヒロヤと共に家に帰ると、父、亘がスーツに葉っぱモチーフのネックレスをする男性と一緒にいた。


 褐色の肌に、鍛え上げられている体だ。


「やあ、妃奈子お嬢様。久しぶりだね。元気かい?」


「はい、元気です。ありがとうございます」


 妃奈子はヒロヤに手招きする。


「この方はフォリアさんといいます。父と交流のあるアフリカのワ―レブルア国の方です」


「妃奈子さんの護衛者の橘ヒロヤです」


 フォリアが感嘆した。


「護衛者協会は、我がワ―レブルアの人間も知っている。もちろん、ヒロヤさんのことも知られているよ」


 ヒロヤが黙って頭を下げる。妃奈子には、ヒロヤがあまり嬉しそうではないように見える。

 世間に騒がれていたのだから、うんざりしているのかもしれない。


 亘とフォリアは話があるらしく、応接間へ行った。


「妃奈子さん」


 二人がいなくなった後、ヒロヤが険しい顔で妃奈子を見る。


「どうしたのですか?」


 妃奈子まで、不安になった。



「ワーレブルア国はどんな国ですか?」


「アフリカの島国です。地理的な理由で他国から直接的な支配を受けたことはなく、平和を維持しています。……世界有数の宝石の産地でもあります。

 あえて資本主義ではないということが、最大の特徴です」


「どんな経済なんですか?」


「『経済撤退制』といい、高度な物々交換です」


「なるほど。さすがです。よく知っていますね」


 妃奈子は、自分の笑みが固まるのを自覚した。

 ヒロヤが不安そうに見てくるので、正直に言ったほうがいいと思った。


「ワ―レブルアなんですよ。ディザイアモンドがとれたのが」


 ヒロヤの驚きに開かれた目を見て、妃奈子は切なくなる。


「国名は公には伏せられています。父はワ―レブルアに学校を作り、その報酬としてディザイアモンドを得ました」


 ヒロヤが険しい顔をする。


「俺も全て理解しているわけではないですが、確か椎名ロックの研究所が、ディザイアモンドを軍事利用できるとつきとめた……んですよね?」


「ええ」


 妃奈子はわざとスカートを少しめくり、ヒロヤにリングを見せる。


「親のことを悪く言うつもりはありません。ですがお母様の椎名貴美子は、椎名お爺様の四女、しかも愛人の子です。お父様は成り上がりですので、椎名ロックに逆らうことなどできなかったのでしょう」


 ヒロヤの顔が、妃奈子を可哀そうだと思っているみたいだ。


 やはり私は可哀想なのかしらと、妃奈子はぼんやり思う。もう、リングのことで泣く夜もないのだ。


「お父様が得た、たった一つのディザイアモンドは、椎名お爺様の所有物に。それ以来私の左足と共にあります」


「金庫にしまえば犯人が分からない。人前で暮らす人に付ければ、犯人が分かりやすくなる。椎名氏の主張はふざけていますね」


「そうですね」


 ヒロヤが悲しそうな顔をするが、妃奈子はもうこの件に悲しむことができなくなっていた。


「妃奈子さんは、怒らないんですか」


「怒っていますよ」


 自分の言葉が寒々しく聞こえた。ため息を一つついて、俯いたまま歩く。


「妃奈子さん」


 ヒロヤの声に、妃奈子はヒロヤが何か言いたそうだったことを思い出す。


「妃奈子さん……辛いことかもしれませんが……」


 ヒロヤが妃奈子をじっと見る。


 もう、辛いと思うことに疲れましたとヒロヤに言ってもいいのだろうか。


「フォービクティムは、ワ―レブルア国の組織かもしれません」


 妃奈子は息をのむ。


「これからもっと調べます」


 妃奈子は事態が動き始めるのを感じた。『今』が続くわけではないと父も言っていた。


 しかし、それは恐怖とともに始まる。


 肩に熱を感じた。置かれているのは手だ。ヒロヤが妃奈子の両肩に優しく手を置いている。


「俺が守ります」


 この人が、私の固まっていた人生を動かすのだろうかと妃奈子は思う。

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