第七部 見せること、見られること

第27話 トライアル

 息を殺してしまうような緊張感が、その場を支配していた。


 肩をほぐす様に腕を振るときの、かすかな衣擦きぬずれ。落ち着かない上履きの音。武者震いのような深いため息。


 この部屋の中にいる全員が、一様に張り詰めた空気を吸っている。その中には、体操着姿でストレッチをする私とツバサの姿もあった。




 時は九月。新学期も始まり、ようやく皆が、毎日学校へ通う日常を思い出してきたその頃。


 放課後の多目的室に集められた生徒たちは、皆、妙な風貌をしていた。


 ワイシャツ姿にエレキギターやエレキベースを肩掛けにしているバンドマン。

 二人揃いのスーツに身を包み、紅白の蝶ネクタイでオールドスタイルな格好の漫才師。

 フリルで飾られた衣装と頭のリボンを色違いで揃えているアイドル。

 何故か一人だけ和服の、謎の男子生徒。


――――そして、学校指定の体操着で半袖ショートパンツに身を包んだ私とツバサ。


「……ねえ、やっぱり何かそれっぽい衣装を用意したほうが良かったんじゃないの」


 ツバサが声を潜ませて話しかけてくる。私も顔を寄せて、ひそひそと返す。


「いまさら。それに、衣装なんて用意したって絶対着たがらないでしょ、ツバサ」


「それは……そうかも」


 ちらっと他の人たちを見て、うなずくツバサ。


 パフォーマンスに使うヨーヨーを入れたバッグの他に持ち込む物もない私達は、この異色な見た目の集団の中では、むしろ浮いて目立っていた。


 心なしか、周囲のライバルたちからは「やる気あんの?」「舐めてる?」「ああ、こいつらは落ちるだろうから、気にしなくて大丈夫」みたいな、攻撃的でギラついた視線を感じる。


「大丈夫。ツバサの本気なら、こんなやつらまとめて吹っ飛ばせるよ」


「ほんとうかな……」


 私は自信を持って親指を立てるけど、ツバサはどこまでも不安そうだ。


「ここで落ちたら、文化祭に出るも何も無くなっちゃうんだよ?」


 そう、この場所でこれから開かれるのは、文化祭のステージ残り一枠をけたトライアル。生徒会の各務桜子副会長曰くところの『事前オーディションのようなもの』だ。


 集まった五組に対して、空いている枠はたった一つ。四組はステージに上る資格を手に入れ損なうのだ。


 教室のドアが開いて、制服を着た数人の生徒と先生たちが入ってくる。トライアルの審査をする、文化祭実行委員と生徒会役員の生徒と、その顧問の先生たちだ。中には、あの各務桜子副会長と大垣先生もいた。


「では、始めましょうか。皆さん、今日はお越しくださいましてありがとうございます。これより文化祭のステージ出演権を決めるためのトライアルを開催します」


 審査員の面々が長机に腰掛けたのを見計らって、各務さんが声を上げる。ずらりと並んだ審査員は、十人ほどいる。「では、まず会長からご挨拶を」と促され、真ん中に座っている男子生徒がうなずいて立ち上がった。


「皆さん、お集まり頂きありがとう。生徒会長の大塚大堂です」


 堂々と落ち着いた物腰で話し始めた大塚会長は、長身とは言わないもののがっしりした上背のある体形の三年生だ。目力のある、自信に満ちた表情が印象的で、スキっとした短髪と綺麗に着こなした制服姿には嫌味のない清潔感がある。


 これが、うちの高校の生徒会長か。


 確か入学式のときは会長じゃなく副会長の各務さんが挨拶をしていた覚えがあるから、ちゃんと見るのはこれが初めてかもしれない。


 大塚会長は、挑戦者の私達をぐるり見回して、口を開く。


「ここに集まってくれた君たちは、残り一枠という狭き門にも関わらず、ステージという舞台に出るために手を挙げてくれた、意欲ある者たちだと思う。生徒を代表する身として、その積極性を非常に頼もしく感じます。まずは参加してくれたことに感謝します」


 よく通る低い声。そして堂に入った喋り方は、思わず耳を傾けてしまう、不思議な魅力があった。


 大塚会長は、長机に手をついて身を乗り出し、熱い眼差しを私達一人ひとりに向けた。


「意欲ある者たちよ、その盛んな衝動を思う存分ぶちまけて欲しい。そして是非、文化祭を熱く彩る名花のひとつになってくれ。私からのお願いは、それだけだ」


 以上、と歯切れよく語り終え、大塚会長は席についた。横で各務さんがぼそっと「会長、名花は美人の形容句です」と訂正する。豪快に、わっはっは、と笑い、「そうかそうか、男子諸君、失礼した」と片手を挙げて謝る大塚会長。


「まあ、とにかくわが校の文化祭を盛り上げて欲しい、というわけだ。さて、誰から挑戦する?」


 席についてもなお迫力のある眼差しで、ずい、と身を乗り出して問いかけてくる。否が応でも緊張感がいや増すのが分かった。でも、窮屈きゅうくつな緊張じゃない。ギラギラした場の熱量が確実に高まっているのを感じる。


 なんか、すごい存在感のある人だな。表情と語りだけで、こちらの気持ちを引っ張っていってしまう力がある。そして、なんならこの人がこの場で一番熱意があるんじゃないかと思ってしまうような眼力。


「じゃあ、僕らから行きます!」


 勢いよく手を上げたのは、スーツ姿の二人組だ。格好から漫才師だと分かる彼らは、二年生の色の上履きを履いている。髪型も整髪料で七三に分け、黒縁メガネで揃えている姿は、昭和から平成初期の漫才師のような恰好だ。オールドスクールなキャラを狙っているんだろう。


 うむ、と大塚会長が頷くと、各務さんを見て促す。各務さんは事前に順番を決めていたようで、ちょっと困った表情を見せたが、諦めたようにうなずいて他の審査員たちに目配せをすると、「それでは、漫才コンビ『ちんとんしゃん』のお二人からお願いします」と呼びこんだ。


「明転、飛び出しでお願いします!」


と片方が言い、二人組の漫才師は部屋の端に待機した。各務副会長がストップウォッチ片手に、「それでは、どうぞ」と言うと、先程の倍ぐらいの声で勢いよく、


「どうも〜〜!『ちんとんしゃん』で〜〜す!!」


とコンビ名を名乗りながら中央に飛び出して、勢いそのままに漫才が始まった。


 いよいよトライアルが幕を開けた。


〈続く〉

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