15 昼食は、ピクニックで

 早馬で伝えてあった甲斐あって、帰ってきてすぐに夫はバウムガルテンの侍医にぶつけた頭を診てもらえた。本人は、「このくらい……」とか言ってたけど。で、ただの打撲だと診断されて、適切な処置もされて、一息ついた。


「それで、旦那様」

「なんだ?」

「お城に戻らなくて良いのですか? まだ昼過ぎですし、お仕事があるのでは?」

「今日の分の仕事は昨日中に片付けてきた。城に行く必要はない」


 それ、だいぶ無茶をしたのでは。と、言いたいが、言ってもはぐらかされるのだろう。


「そうですか。それはお疲れ様でした。では、ゆっくりお休みくださいませ」

「えっ、あ、」


 何を呆けたような顔をしている。


「えっ、と、待ってくれ」

「何かご用が?」


 見上げれば、夫はもう何度目か、頬を染めながら目を彷徨わせ、


「……よ、う、というか……君さえ良ければ、なんだが……」

「はい」

「い、一緒に……昼を食べれないかと……」


 私から顔を背けつつ、けれどチラチラと見てくる夫。そのカオからは、期待と不安がありありと読み取れた。


「……」


 まあ、正直お腹は空いてるし、食堂なら距離もあるし、いいか。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂こうかと思います」


 と、軽く考えていた私は、若干面食らうことになった。


「……旦那様。一応伺ってもよろしいでしょうか」


 バウムガルテン邸の庭の一つ、シロツメクサが一面に広がるその場所に、侍女達の手で厚手かつ大きな敷物が敷かれる。


「? なにを」


 その上に足を崩して座り、私へ──後ろへ振り向く夫。


「これは、世に聞くピクニックとやらですか……?」

「そうだが。……ああ、一般的な貴族はあまりこういったことはしないか。……椅子とテーブルを持ってこさせようか?」

「……いえ、大丈夫です。見慣れないものに少し驚いてしまっただけで。失礼しました。……私はどこに座ればいいのでしょうか?」


 庶民がするというのは聞いたことがある。が、初めて見るピクニックというこれの、礼儀作法が、さっぱり分からない。


「どこでも構わない。……隣りに座ってくれると、嬉しいが」


 ……魂のためだ。しょうがない。


「……では、失礼いたします」


 私は敷物の上を歩き、夫の隣に……少し距離を開けて座った。せめてもの抵抗である。

 そして侍女達が、主に手で掴める軽食のような、けれど昼食として成り立つボリュームの食事を目の前に並べていく。

 風が気持ちいい。シロツメクサの白と緑が綺麗。けど、視線がいつもよりだいぶ低いので、子供の頃に戻ったような感覚になって不思議な感じ。


「さあ、食べようか」


 ワインがグラスに注がれたのを合図に、夫が言う。その顔は今まで一番見た中で、柔らかいものだった。


「……旦那様は、お休みの日はよくこうしていらっしゃるのですか?」


 料理を半分ほど食べた頃、私は聞いてみた。貴族が、しかも公爵がピクニックなんて、聞いたこともない。


「……いや、もう何年もしていなかったな。これは母が教えてくれたんだ。母の領地ではよく、家族でこうして食べていたと」


 夫は、空を──どこか遠くを見ながら、そう言った。


「けど、母が死んでからは全くしなくなった。父はこれを少し疎むようになった。……思い知らされてしまうからだろうな。もう、母とこれができないということを。母が死んだという事実を」


 じゃあ、どうして今、私と。


「……」


 聞こうとして、けれど離婚の話を切り出している私なんかが聞いていいのか迷ってしまって、結局「そうですか」としか、言えなかった。

 そして、次の日。


「うー……んー……」


 私は今、夫に出す手紙の内容について、何を書けばいいか悩んでいる。ただの連絡事項でもないわけだし、最低二枚は書かないといけない。少なくとも昨日のピクニックの話は盛り込めるが、それだけでは文章量が少なすぎる。


「……よし、開き直ろう」


 夫を夫としてじゃなく、文通相手だと思おう。そうすれば変に気負わず、好きなものの話や流行だとか、色々と書けることが増える。

 そうして出来上がった手紙を、城に届けてもらった。

 ら、昼過ぎに返事が届いた。おい、出したのは昼前だぞ。早すぎやしないか。


「……」


 そして中身を読んで、どう反応すればいいか迷った。

 愛の言葉が書き連ねられているのはもういいとして、君を絶対振り向かせて見せるとか、この一週間を糧に仕事を頑張るだとか、なんとかかんとか。

 ねえ、本当に魂安定してる? 大丈夫?


「……次書く時はそれも聞こう……あ」


 私はあることを思いつき、バウムガルテンの図書室へと向かった。

 目的は一つ。精神を──魂を安定させるにはどうしたら良いかを調べること。

 あっちで検査を受けて専門家から指導も受けているんだろうけど、私だって知っておかなきゃ、何かあった時に対応ができない。

 ……まあ、命のためとはいえ、夫のことを気遣ってこういう行動を取る、というのがなんだか負けた気分になるけど。

 で、侍女と司書に相談しながら本を選び、それを読んでみる。

 まず、精神を安定させるものについて。


『精神を安定させるには、休息が大事』

『気分転換としていつもと違うことをしてみるという手がある』

『気分が落ち込んでいる時は、家族や友人などに頼ることも大事』


 まあ、大体このような、どれも似たようなことが書かれていた。だろうな、という気持ちが強い。

 で、魂についての本だけど。


『魂は、精神と肉体に密接に関わっており、この三つは相互作用を及ぼしている。すなわち、肉体に不調が現れればそれは精神と魂に。精神に支障を来せばそれは肉体と魂に。そして魂が不安定になれば、肉体と精神に多大な影響を及ぼす』

『魂は、この三つの中でも特に気をつけて制御しなければならないものである。目には見えないものなのであまり深く考えない者も多いが、魂に傷一つでも付けば、それは肉体に激痛や麻痺などを起こし、精神では記憶の欠落や混濁などといった症状が現れる。最悪、生死の境を彷徨い、死に至ることになる。魂は、肉体と精神と合わせた中で、一番に気を使わなければならないと言っても過言でない』

『魂を治癒し、回復させる根本的な解決法は未だ見いだせていない。しかし、強く信頼し合う者との交流が少なからず魂に影響していることは確認されており、今現在、魂の治療についてはその方法が多く実践されている』


 ……本人も、『最悪命を落とすと言われた』と言っていた。けれど、それでも私に愛してると伝えたかった。だから死ぬかもしれない解呪を受けたのだ、と。


「命を懸けてまで、ね」


 今さらそれを、どうしてか心を包み込むように柔く、実感させられる。……なんだろう、イライラする。


「ねえ、一つ聞いても良いかしら」


 後ろの侍女に、振り向きながら言う。


「なんでしょう」

「旦那様が信頼している……そして旦那様を信頼している人って、誰だか分かる?」


 それが私じゃないことくらい分かってる。私達は、信頼という絆を作ってすらいない。私はそれを、作る努力すらしていない。


「そうですね……ご友人方も信頼していらっしゃると思いますが、やはり、王妃殿下とベルンハルト様でしょうか」

「そう。ありがとう」


 ベルンハルトはまあ、想定内として。


 王妃殿下──クラウディア殿下、か。前バウムガルテン公爵──ツェーザル・バウムガルテン様の姉で、国王であるエアハルト陛下のいとこでもある。

 夫のお母様であるアレクサンドラ様が亡くなられた時、アレクサンドラ様の実家であるグヴィナー侯爵家とバウムガルテン家で──私はその経緯をよく知らないけど、一悶着あったらしい。なので、グヴィナー侯爵家は今でもバウムガルテンと距離を置いている。

 そして、夫は呪われ、父であるツェーザル様も亡くなられ、夫はバウムガルテンの一族からも距離を置かれた。つまり、天涯孤独の状態になった。

 けれど、王族──特にクラウディア殿下は夫との繋がりを絶たなかったらしい。呪いがあるというのに、どうやってか、どうしてか、それは誰にも分からなかった。王家が抱える呪術師集団が関わっているのではないかと、噂が流れたこともあったらしい。

 まあ、私が知ってるこの情報も、親同伴での子供の茶会と、この前の友人との茶会で得た内容だけど。


「……」


 どちらにしろ、王妃殿下は夫の味方であり続けた。侍女の話からするに、今もそうなんだろう。

 なら、側近としていつも側にいるベルンハルトはそのままでいいとして、王妃殿下と交流を深めれば、夫の魂も少しは安定するんじゃないだろうか。

 素人考えに過ぎないけど。

 他の使用人にも話を聞きつつ、今度はその内容を書こうかな。



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