13 帰る日です

「来ましたよ」


 ベルンハルトの言葉に、「何が」と書類に目を通しながらアルトゥールは言った。


「ええ。まあ、色々来てますが、今あなたにとって一番重要なのはこれでしょ」


 ベルンハルトは、いくつかある封筒や書類から一つを抜き出し、アルトゥールと、アルトゥールが見ていた書類の間に差し込むようにしてそれを、その差出人が読める方向にして、見せた。


「なんだ? 急用などあっ……た……」


 アルトゥールの涼やかさを感じさせる目が徐々に開いていき、


「ありがとうベルンハルト!」


 と、書類とペンを放り投げそうな勢いで置いて、その手紙を受け取った。


「はい。読んで満足したら仕事を再開させてくださいね。速やかに」

「それは内容による!」

「……王妃殿下に告げ口しますよ」

「分かったやめてくれ」


 言いながらもアルトゥールは、宛名が自分であること、差出人が自分の妻であることを何度も確認する。そして、やっとペーパーナイフを取り出したと思ったら、それらを置いて深呼吸を数回繰り返し、ゆっくりペーパーナイフをフラップ部分に差し入れ、切り開き、ペーパーナイフを置くと、中の便箋を恐る恐る抜き出し──


「複数枚ある……」


 早くしてくんないかなぁと思いながらも、「良かったですね」とベルンハルトは一応反応しておく。


「……」


 そして、アルトゥールはやっと、内容に目を通し始めた。

 一枚目に目を通し、二枚目に目を通し、最後と思われる、三枚目に目を通し終わると、


「……」


 また一枚目に戻る。


「アルトゥール様」

「なんだ」

「読んだら仕事に戻ってください、と言いましたよね」

「読んで満足したら、だ」

「……」


 ベルンハルトは心の中で舌打ちをすると、


「一体何が書いてあるんです」


 と、席を立って後ろから覗き込もうとして、


「駄目だ」


 便箋は素早く裏面を上にして机の上に置かれてしまった。しかも、アルトゥールの手がそれを上から押さえつけているので、手に取ることもできない。


「なんです。言えないようなことでも書かれてましたか?」

「いや、私からの手紙への礼と、体調への気遣いが書かれていた」

「そうですか。良かったですね」

「……返事が来るなんて思わなかった……」

「そうですね」


 最悪、引かれて心が離れる可能性がありましたしね。と、言いたいのを、ベルンハルトは堪える。

 そもそも、アルトゥールがリリアに手紙を送った経緯は、初めてちゃんとした手紙を貰った衝撃という名の夢心地からアルトゥールが復活せず、仕事に支障を来し始めていたので、『こちらからも手紙を送ったら如何です?』とベルンハルトが提案したからだった。


『でも、何も用がないのに手紙を送ったら不審がられないか?』

『あなた方は夫婦なのですから、手紙のやり取りくらい何も問題はないでしょう。しかも、停戦と言ってきた奥様の方から手紙を下さったのですよ? その返事は出しましたが、別に、これっきりと言われたわけではないのですから』

『そ、そうか……? 本当に書いても良いのか……?』

『……なんだか嫌な予感がするので、出す前に中身は見せてくださいね』


 で、ベルンハルトの嫌な予感は当たった。お前は詩人か、と言いたくなるような、中てられて花でも吐き出しそうな愛の言葉の数々。しかも枚数は十を超えている。

 流石にこれを出すのはマズイと判断したベルンハルトは、アルトゥールの手紙を『奥様に嫌われたくなかったら従ってください』と言って添削した。十回くらい添削した。そして、やっと、ちょっとはっちゃけちゃった、くらいに思える程度になった手紙を出す許可を出し、それがリリアの所へ届いたのだった。


「嬉しい……家宝にしたい……」

「家宝は別にあるでしょうが。ご先祖様に泣かれますよ」

「自分だけの家宝にする……」

「言葉がめちゃくちゃですね」


 アルトゥールは五回くらい手紙を読み返すと、便箋を大切に封筒にしまい、その封筒もとても大切に──そこは重要書類を入れる引き出しなはずなんだけどなぁとベルンハルトに思われながら──しまい、仕事を再開させた。が、その手が止まる。


「……ベルンハルト」

「今度はなんですか」

「返事の返事を書いても良いだろうか」

「……。明日には奥様に会えるのですから、その言葉は明日に取っておけばいいのでは?」


 その言葉に、アルトゥールは動きを止め、


「……そうか……もう、明日には会えるのか……」

「仕事がちゃんと終わったらですからね。追加が来たのは頭に入っているでしょう? モタモタしている暇はありませんよ」

「そうだな」


 そうしてやっと、思考を切り替えたのか愛の力か分からないが、アルトゥールは書類の処理を、今度こそ再開させた。


 ☆


「ば、バウムガルテン公爵様がお着きになりました!」


 玄関ホールに、外の確認をしていた使用人の震え声が響く。瞬間、その場に緊張が走った。

 みんな、そんなに怯えなくても大丈夫だと思うんだけど。そりゃ公爵だけどさ。

 そして、バウムガルテンの馬車が入ってくる。

 4頭立てで、装飾は少ないけれど、どこを見ても一級品と分かる、立派な造りの馬車。私は見慣れているので特に何も思わないけど、余裕を保つ母以外は皆それを見て緊張が増したようだった。

 ってか父よ。なぜあなたも緊張を顔に出してんだ。

 そして扉が開かれ、最初にベルンハルトが降りてきて、


「……」


 堂々と、それでいて威圧感をあまり感じさせないような空気を纏い、夫が降りてきた。

 四日ぶりに会う夫の姿は、特に変わったところは見られない。けれど、私を認めると、


「……」


 嬉しそうに微笑まれたんだがどうしようか。……ここは体裁を取って微笑み返しておくか。母に怒られそうだし。

 で、ほんの少しばかり、微笑んでいるようないないような、微妙な顔を向けてみた。すると夫は僅かに目を見開き、口を開きかけ、


「──、──」


 後ろに控えるベルンハルトになにか言われ、その口を閉じた。たぶん、抑えてくださいとかなんとか言われたんだろう。

 その後、夫は余裕のある笑みに切り替え、父と母に挨拶し、私、と隣にいるディートに顔を向け、まず、私に、


「迎えに来たよ。リリア」


 と、私の左手を取ってキスを落とす。……接触禁止令はどうしたこら。


「お手間をかけさせてしまって申し訳ありません」


 家族と使用人の手前、その手を振りほどくこともできない。


「手間などではない。君の顔が見れない日がどれだけ辛かったか」


 涼し気な顔でスラスラと言ってのける夫。バウムガルテン邸で見ていた夫とは、人が違うようだ。

 そして夫はやっと私から手を離し、ディートに顔を向けると、


「ディートヘルムくんだったね。会うのは二度目になるけれど、あの時より少し背が伸びたかな?」

「えっ、本当ですか?!」


 ああ、そういえば伸びた気がする。ディートはもう私の背を越しているから、そこまで気にしてなかったな。でもそうかー、伸びたかー、良かったなー。ディートは成長期が平均より遅めなようだから、本人はずっと気にしてるんだよね。

 けど、ちょっと、私より先にディートのことに気付いた夫に嫉妬してしまう。


「僕、公爵様くらいになれるでしょうか」


 えっ。夫はだいぶ背が高いぞ。父より高いぞ。それを目標にするのはどうだろう。


「それは分からないけど、可能性は未知数だからね。私の友人にも、背が伸びなくて悩んでいたけれど、十八になったら急に背が伸びたやつがいるよ」


 苦笑しながら、爽やかな声で言う夫。……本当に本人だよね? 影武者とかじゃないよね? 社交界ではいつもこんな感じなの?


「アルトゥール様、そろそろ」

「ああ、すまないベルンハルト」


 ベルンハルトはいつも通りに見えるけど、そのベルンハルトになんでもないように答える夫に違和感を覚えずにいられない。

 あ。そうそう、大事な本題が。


「ディート、旦那様に言いたいことがあるんでしょう?」

「? そうなのかい?」

「あ、えと」


 ディートは顔をちょっと下げたあと、顔を上げ、夫の顔を緊張気味に見ながら、


「……あの、に、義兄様と、……お呼びしても、いいでしょうか……?」


 夫は今度こそ目を見開いて、けれどすぐに、それは柔らかい笑顔に変わり、


「ああ、もちろん。君に義兄と呼んでもらえるなんて、とても光栄なことだ」

「え、あ、ありがとうございます! 義兄様!」

「良かったわね、ディート」

「はい!」


 あー、満面の笑顔の弟が可愛い。帰りたくなくなってきた。でも、そんなワガママは通らない。


「では、私は帰りますね。お母様」

「ええ、元気でね」


 母としっかりと抱き合って、


「お父様」

「体に気をつけるんだよ」


 父とも抱き合って、


「ディートも、勉強頑張ってね」

「はい!」


 ディートともぎゅうっと抱きしめ合って、私は夫とともに馬車に乗り、そこにベルンハルトも加わって、実家をあとにした。

 で、馬車が実家から出ると、夫が私の知ってる夫に戻った。



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