第6話

 伊織は竜二を連れて烏鵲堂の隣にある中華料理店「百花繚乱」にやってきた。店長の周玉健は食の都四川省成都で修行した経歴を持つ。本格的な中華料理をリーズナブルな価格で提供してくれる。

「このお店は烏鵲堂に出入りする連中と打ち上げでよく来るんですよ」

 伊織は冷えた青島ビールを竜二のグラスに注ぐ。竜二も伊織の顔を見据えて返杯をする。


「はい、乾杯」

 伊織は努めて明るく振る舞う。広告代理店時代、営業をしていたときに無理にでも場を盛り上げるという悲しいスキルを身につけたが、その経験が役に立つ。

 竜二はまだ伊織を警戒している。こちらを値踏みするような鋭い目線をビリビリ感じて胃がキリリと悲鳴を上げる。実のところ身震いするほどに緊張しているが、それを悟られないようビールを一気に飲み干した。


 榊に聞いた竜二の経歴が本当なら、恐ろしい男に違いない。しかし、曹瑛と縁があること、それだけで微かな安心感はあった。


「若い頃の瑛さんってどんな感じだったんですか」

 伊織は話題を慎重に選びながら尋ねる。純粋な興味もあった。

「そうだな、無愛想で生意気だが、真っ直ぐで純粋だ。それに頭も良い。俺は普段誰とも組まないが、ある依頼にアシストが必要で三ヶ月程行動を共にした」

 短い間だったが鮮明に印象に残っている、と竜二は感慨深げに言う。


 曹瑛という共通の話題から空気が打ち解け始めた。普段は気さくな男なのだろう、剛気な笑顔で饒舌に語り始める。

「しかし、あいつに友達ができるなんてなぁ」

 竜二はいたく驚いている。酔いもあってか何度もそう口にした。ビールでは物足りないらしく、茅台酒を注文した。茅台酒は白酒の一種だ。アルコール度数53%の酒をショットグラスで煽る。


「スカイツリーのてっぺんに行った時、瑛さんは高いところが苦手でガラス床の上に立てなくて怖い顔されて、思わず笑ったよ」

 伊織は熱々の麻婆豆腐に咳き込む。山椒の強烈なパンチに額から汗が流れ落ちる。

「料理も上手なんですよ。本場の水餃子、あんな美味しい餃子初めて食べました。それからお店のスイーツも全部手作りで、評判が良いんです」

 竜二は伊織の話を遠い目をしながら聞いている。


「あの目つきの鋭い男は同業者か」

 竜二が言うのは榊のことに違いない。

「榊さんは昔は極道の組に所属していたけど、いまは個人実業家として活躍していますよ。烏鵲堂をプロデュースしたのも榊さんなんです」

 良き友人だ、と聞いて竜二は拍子抜けしている。榊のような男が出入りしていることからまだ裏社会と繋がりがあると思っているのだろう。


「竜二さんは今も中国なんですか」

 伊織は今ならいけるタイミングだと竜二について切り込んでみた。

「いや、今は北海道で小さな畑をして暮らしている」

「北海道、いいですね。俺は北は長野県までしか行ったことがないですよ。一度は行ってみたいです」

「ああ、大平原に高い空、いいところだ。食い物も美味いぞ」

 竜二は故郷に愛着を持っている、そう感じた。


「ご家族はいるんですか」

 伊織は竜二の瞳に微かな陰りが揺らいだことに気が付いた。家族の話はデリケートだったかもしれない。

「ああ、中国で出会った妻と息子がいる。俺の故郷で暮らしたいってな、それで連れてきたんだ」

 竜二はショットグラスの茅台酒を飲み干す。赤く染まる顔に柔和な笑みを浮かべているが、不調和な憂いを帯びているように思えた。


「写真ありますか、見せてくださいよ」

 気恥ずかしいな、と言いながら竜二はスマートフォンを取り出して画像を表示させる。

 透けるような真っ青な空には羊雲、広大な畑をバックに灰色のつなぎを着た竜二とピンク色のジャージ姿の妻、そして小学校高学年だろうか、ピースサインをしたやんちゃな少年が映っていた。三人とも曇りのない笑顔をこちらに向けている。


「仲の良い家族ですね」

「ああ、こいつは元気が有り余って困ってる。休みの日は畑の手伝いをさせてるよ」

 竜二は写真を慈しむような表情で見つめている。伊織の視線を感じて恥じらいながらスマートフォンをポケットにしまった。


「あのう、俺からこんなことを言うのは筋違いかもしれません。だけど、瑛さんを助けてくれませんか」

 ひとしきり互いの故郷自慢で盛り上がったあと、伊織は思い切って話を切り出した。竜二は曹瑛を狙う暗殺者がいると忠告にやってきた。何か情報を知っているのではないか、と踏んでいた。竜二を酒の席に誘ったのもそれが目的だった。


 竜二の眼光が剣呑な鋭い光を放つ。伊織はその目にたじろぐ。

「それはできない」

 竜二は低い声で、しかし明瞭に答える。揺るぎない意志にどうして、と聞き返す隙もなかった。

「宮野くん、君はどうやら善良な一般人のようだ。これ以上、曹瑛あいつに関わるな。俺が言えるのはそれだけだ」


 鉛を飲み込むような重苦しい雰囲気に、伊織は口ごもる。竜二はさきほどまでのほろ酔い気分はすっかり抜け、険しい表情を浮かべている。

「君と話せて楽しかった」

 竜二は伝票を掴んで立ち上がる。財布を出そうとする伊織を制し、足早に会計を済ませて店の外へ出る。湿った夜風がすずらん通りを吹き抜けていく。

 伊織も酔いがすっかり冷めてしまった。


「瑛さんは過去と向き合いながら人生を取り戻し始めたところなんだ。それを応援したい」

 伊織は立ち去ろうとする竜二の背中に叫ぶ。

「あいつはいい友を持ったな」

 竜二は誰にともなく呟き、ポケットから七星を取り出し火を点ける。夜空に一筋の煙を吹かし、振り返らずに歩き出した。伊織はただ呆然と立ち尽くし、その背を眺めることしかできなかった。

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