第24話 【邪竜帝】

「ああ……もしも剣に心というものがあるのならば。お前は随分と苦しい思いを重ねてきたことだろう」



「何年も、何十年も、何百年も――オレ様が不甲斐ないばかりに、お前の価値を理解しない人間に使い潰されるという屈辱を味わわせてしまったこと、本当に済まない」



「だがそのような日々もこれで終わり。そして永遠に訪れないと誓おう」






 階段の上に立ったは、階下に縮こまる人間に見向きもせず、右手で剣を掲げて眺めている。左腕は背中に抱えた誰かを支えたままだ。




 人間の服装を着ていたが、徐々にそれは破れ、下から出てきた鱗に置き換わる。角も尻尾も爪もみるみるうちに大きくなっていき、身長や体格も成長しているように見えるのは錯覚ではないだろう。





 辺りに広がる光景を、人間達の無惨な姿をも収めている、その翡翠色の瞳には一体何を宿しているのか? 




 少なくともと、彼の一部始終を見つめていた誰もが予感した――








「ぐっ!!!!!」






 その瞬間、突然彼は苦しみ出す。余裕を見せていた態度は霧のように還った。




 あまりに突然だったので、誰もが一瞬嘘だと疑った。だが瞬きを何度も繰り返し、彼が胸部を抑えて苦しんでいる光景が、現実だと理解できた。




 無礼なことにと思える――だがその次に止まっていた本能が動き出す。ここで彼を始末しなければ、我々の命はないのだと。






「効いたか!? 効いているようだな!!」

「これは『フォスフォラ』仕込みの魔術!! 邪悪な物を祓う聖なる光なのだ!!」





 どうやら人がいなくなっていたのは、体調不良によるものだけではなかったらしい。




 恐るべき邪な気配に対抗しようと、兵力を集めに行っていた者がいたのだ。そしてそれが間に合ったのだ。






「撃てーっ!!! 態勢を崩している今が好機だ、ここで叩き込めーっ!!!」

「うおおおお!!! 消えろおおおおお!!!」




 効果があるとわかると、人間は一気に士気が向上する生物だ。それしか手段が残されていない現状、人間達は魔術を次々と撃ち込む。






 帝は抵抗することができず、ただ光線を受け続けているだけだった。このまま押し切れる、と誰かが確信した瞬間――






「グオオオオオオオッ!!!」





 思い出すことになる。帝はまだということを。







「はは、くははははは……!!! そうだったなぁ人間共!!! あの時もこうして、凱旋したばかりのオレ様の不意を突くという、卑怯な真似に及んだ!!!」



「『恐ろしいもの』に対抗することができたのは、オレ様の助力あってこそだと言うのに! にも関わらず、オレ様の存在が邪悪と呼ばれるだけで、話を一切聞かず貴様等は刃を向けた!!!」






 魔力の壁が現れ、それが光線を吸収していく。人間達は攻撃が一転して効かなくなったという事実を受け止められず、また彼がどのような反撃に出るかを、恐怖のあまり動けない身体と共に凝視し続けている。




 せっかく帝が人間達に話をしているというのに、誰もそれに耳を貸さないどころか、あまつさえと断じてしまっているのだ。






「うっ……!」





 そして、更なる怒りを人間達は注いだ。不意の事故だったのかもしれないが、帝の前でそのような区分なぞ無意味。



 彼が背中におぶっていた、黒いドレスの従者に、人間が放った魔術が命中したのである。一瞬悶えた彼女の肩には、光線で射抜かれた穴が空き――






「グルアアアアアアアアアアッ!!!」





 もはや帝に人間達を赦す道理がなかった。短命で脆弱であるにも関わらず、小賢しい知恵をかき集めて、彼の尊厳を踏み躙ったのだから。








「来るぞっ!!! 総員構えろ!!!」

「はい! 魔力障壁展開――」





 攻撃を仕掛けた人間達は、一転して防御に転ずるが、




 帝が放った炎はそれを喰い破り、籠っていた人間達を焼き尽くした。





「ぎゃあああああああ……!!! 熱いっ、熱いっ……!!!」

「ひ、ひ、怯むなぁっ!!! すぐに水魔法を使うんだ!!!」




 現状を打開してくれるであろう戦力が、自分達と同じようにたじろいでいる。それを受けて他の者は、やはり逃げることしか手段が残されていないと再び実感した。




「に、逃げろおおおおおおお!!! 殺される!!!」

「――!!!」




 誰もがまだ震えて立ち上がれない中、我先にと動き出す者がいた。だがそうした行動は、逆に目立ってしまい帝の目につく。






「グルァ!!! 貴様、何故まだ罰を受けんと考えている……!!!」

「あがっ、がああああああ!!!」





 瞬間移動にも思えたが、帝がそのようなちゃちな魔術に頼る必要はなかった。ただ人間には目視できない速度で迫ってきただけである。



 意思さえあれば、彼が人間を殺すのは容易い。ただ骨や皮膚の壁を貫き、心臓や脳を潰せばいいだけのことなのだから。



 そうしてこの場から逃げる――相応の裁きを受けずに立ち去ろうとする者から、帝は順に屠っていく。





「うおおおおおおお!!! こうなりゃヤケだくたばれー!!!」

「……!!!」





 一周回って気が狂ったのか、剣や魔術を振りかざし、襲いかかってくる者もいた。精神が不安定な状態での攻撃故、帝は軽くいなすことができるのだが――



 彼にとって重要なのはそこではない。攻撃を、即ち反逆罪。



 故に攻撃が命中せず、何もない空間に落ちていこうとも、そこに一切の躊躇はなく。





「ゆゆゆゆゆ許してぇぇぇぇぇーーーーー!!! 何でもします!!! 何でもしますから!!!」

「……」




 つい最近見たばかりの、ひたすらに懇願してくる人間。もはや怒りに身を置く帝にとっては、弱点を晒しているのと同義。





 頭を下げる者の頭蓋を踏み抜き、襲い来る者の肉体を貫き、逃げる者は炎で燃やす。



 この場において帝に敵う者は存在しなかったが――






「ぐっ……はあっ、はあ……!!!」




 それでも彼は苦しそうに胸を抑えた。左腕で従者を支える腕も、限界が来ているのか震え出している。






「結界か……人間共め、わざわざ国の境までやってきた理由がこれか……」



「己の力では、不慮の事態に対応が難しい故に、外部からの魔力を取り込み防護策を作ると――散々偉そうにしておいて、非常時だけ他者の力を借りると?」



「マクシミリアン――を封印した時点で、威張り散らすことだけが取り柄の、無能の衆だったが――人間性までも救いようがないとは――」






「益々滅ぼさない理由がないな……逆に生かしておいたら、他の人間共も食い荒らされることだろう」






 帝は攻撃の反動から、屋敷の外に出ていた。既に半分が炎によって焼け崩れており、料理の残骸が臓物と混ざって凄惨な光景と化している。



 食事を取って談笑して終わり、となればどれ程良かっただろうか。竜の怒りを買ったことを忘れていた故の、罰を受けた結果がこれだ。






「だがしかし……ぐっ!! まだ力が足りないか……!! しかしこれ以上は、幾ら戻らない……」




「ともすると、抜かれているか……!! ならば国のどこかにあるはずだ、探しに行かなければ……!!!」






 刻一刻と弱っていく身体。帝はその身に鞭を強く打ち――




 翼を一気に巨大化させ、従者を背にしたまま、屋敷を飛び立っていった――








「……行った? 行ったんだな? もう姿が見えない……」




「ということはつまり……僕達の勝ちだ!! ははは、僕の素晴らしさに恐れをなして――」






 現状を楽観することしかできないルーファウス。その花しか詰まっていない頭を壊すかのように――




 彼の胸倉を掴む者がいた。肩掛け付きのローブを着用した男である。彼は先程、魔術を調達して帝に攻撃を仕掛けた筆頭であった。






「貴様っ!!! ルーファウス陛下に何をされる!!!」

「黙っとれセオドア!!! この阿呆の狼狽を見過ごしていた時点で、貴様も同罪だ!!!」

「は……え?」




 執事セオドアは何を言われているのか、さっぱり理解できていなかった。主君たるルーファウスも同様だ。




「マクシミリアンの王子よ……仮にも次に王になる者が、何故あれを野放しにしていた!!! 防護魔術は機能していなかったのか!!!」

「……えっ、えっと……」




 唯一理解できたのは、自分達めちゃくちゃ怒られているということだけで――






「……どういうこと? 僕何も知らないよ?」



「……は」





 ルーファウスの誤魔化そうとした態度を見て、男はもはや言葉を失った。




 ふっとルーファウスから手を離したかと思うと、安心感から気が抜けてしまい、床に倒れ込んでしまった彼を、




 絶望に染まり切った目で盛大に踏み潰す――






「うげえ゛っ……!!!」

「……なんてことだ。マクシミリアンの没落がこれほどまでだったとは……」





 そのまま彼をクッション代わりに座りながら、ぶつぶつ独り言を呟く。





「世界創世後、遍く生命を喰らい尽くそうとした『恐ろしいもの』。それは十柱の『竜帝』によって打ち倒された――」



「あれはその『竜帝』の一柱だ――世界の存続を願う邪な心から生まれた、『邪竜帝』――」

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