香取なぎさの手記

はじまり。

 あの日から私の生活は大きく変わった。

 傍から見れば何が変わったかなど分からないだろう。

 ただ私の目が映す世界は以前のとは別物になった。


 視界の端にがちらついている。

 異質な黒さの煙のような、今となっては日常の一部になったが。

 あの時あんなところに踏み入ってしまったのが間違いだったのだろう。

 ただ一つだけ感謝していることもある。



 私はあの日あの時、あそこに入ったから今もあの人の助手として隣にいられるのだと。


 ❖ ❖ ❖


 大学一年の夏。

 高校時代の同級生に誘われて私は山奥のキャンプ場に来ていた。


 なんでも大学で知り合った友人の祖父母が経営していたキャンプ場らしく、年齢的にも引退するから最後に自由に使っていいとのことらしい。

 果てしなく胡散臭い話ではあるのだが、丁度バイトも予定も入っていなかったので参加することにした。

 その同級生とは特別仲の良いわけではなかったが、会えば話をする。そんな仲だった。

 そんな彼、ここでは山田(仮)と呼ぶことにするが、その山田は顔が広く高校、大学関わらず多くの友人を誘ったらしい。全員あわせて二十人ほどか。知ってる人も、見たことすらない人もいる。

 不幸なことに私の友達は来なかったらしく、私は話しかけてくる人と適当に話ながら時間を潰していた。


 夕方あたりから楽しく騒ぎ、夜も遅くなって来た頃、山田があることを言い出したのだった。


「なあ、この上の山にさ、廃神社があるらしいんだよ

 そこがさ、結構有名な心スポらしくてよ

 だから、みんなで肝試ししようぜ」


 廃神社での肝試しなど、怖がり、怖気づく人の方が多い気がするのだが、このときは違った。

 皆騒いでいたせいか、はたまたアルコールが入っている人もいたせいか。

 私を含めた数人の反対意見はあったのだが、賛成者のほうが圧倒的に多く肝試しは実行へと移されることになった。


 山道を三、四十分も登ると、ボロボロになり崩れかけた鳥居が見えてきた。

「おお〜雰囲気あるな」

「ちょっとこわくない〜??」

 それをみた数人からそんな声があがる。


「ここの神社ってさ、なんか山の神様(?)みたいなのを祀ってたらしいんだけどよ

 後継者がいなくて神主の人が亡くなってからは手入れされなくなって、荒れちまったらしいぜ」


 山田がネットで仕入れたのであろう解説を交えながら鳥居をくぐり、境内に入る。

 正面には小さな拝殿。その両脇にはひび割れ、苔むした狛犬が鎮座している。


「やっぱ懐中電灯の光が弱いな」

「その辺にあったの持ってきたからな」


 斜めに崩れかけた拝殿を懐中電灯の光が照らす。


「こりゃだいぶ荒れ果てるな」

「心霊スポットとしてそれなりに有名らしいからね」


 自然に荒れたというよりは、荒らされたという表現のほうが近いのだろう。崩れ果てた祭壇の奥に豪華に彩られた扉がうっすらと見える。

 経年劣化とは思えないほどに壁が剥がれている。内部の支柱がむき出しになり、あちらこちらがスプレー缶で落書きされている。

「入ってみるか」そう言った山田を先頭に恐る恐る拝殿に入ってみる。


 足を踏み入れたその瞬間、明らかに空気が変わった。


 その場の空気が、暗く、とてつもなく重い。

「これ…やべーかも……」

「ちょっと外出ようぜ」

 皆、口々にそう呟き始めたその時だった。


「うわっ!?」


 なんの前触れも無く、先頭にいた山田が声をあげる。

 ぎょっとして、その場の全員の視線が集中する。


 拝殿の最奥。入ったときは閉ざされていた扉が開いていた。


 拝殿の奥にあるもの。それは本殿以外にあり得ないだろう。

 通常の神社の造りなど知らない私たちにも、その扉が開いているべきものでないことはなんとなく分かった。


 見てはいけない。逃げなければ。

 本能がそう言っている。

 それなのに視線はその扉に吸い寄せられ、足はその場に根が生えたように動かない。


「おい!何だあれ!?」

「近付いて来てるぞ!!」


 開いた扉の奥から、夜闇の中でもはっきりと分かるほどの黒い靄が、まるで意思を持っているかのように向かってくる。

 あれはだ。生存本能が逃げろと悲鳴をあげる。

 そして、それはやがて蛇のような形をとって、そして………意識は暗転した。





 最初に視界に入ったのは柔らかい青空に東雲色に染まった雲が浮かぶ、美しい夜明けの空だった。


「あ、れ?」


 理由は分からないが、身体の節々がひどく痛む。それに物凄い違和感を感じる。

「っ……!」

 瞬間、気を失う直前の光景を思い出し、思わず飛び起きる。

 すると全身に痛みが走り、呻きながらも辺りを見回す。


「……え?」


 思わずそんな声が出た。

 辺りにはキャンプのメンバーが倒れている。皆、意識は無いが、時折身じろぎしていることから生きてはいるようだ。

 それは大した問題ではない。いや、問題なのかもしれないが、目の前の光景からすると些細なことに感じてしまう。


 廃神社が、崩れていた。

 いや、これを崩れていたという簡単な表現で済ませていいのかは分からない。

 屋根が無いのだ。

 私たちがいた拝殿から本殿までのその全ての屋根が、更に言えば例の扉すら無い。拝殿、本殿含めて、かろうじて残っている外壁以外が全て無くなっている。かつて内装であったであろう残骸が床に散らばり、破壊の凄まじさを物語る。

 さながら、竜巻が通り過ぎていった後のような光景だ。

 そして、目覚めた時の違和感の正体が、「空が見えること」だったのだと今更ながらに気付く。


「やあ、もう起きたのかい?」


 聞き覚えのない男の声。

 慌てて声のしたほうを見るとそこには、真っ二つに割れた大岩に腰掛ける中性的な顔に少し長めの黒髪の男がいた。

 夜の気配を色濃く残す空を背に、濃紺の着物に星空を模した羽織を着ているその人は、まるで人でないかよのうな、そんな神々しい気配をまとっていた。


「えっ…あなたは……?」

「まさかこんなところにが転がっているとは思ってなかったよ」


 私の質問とは明らかに違うことを呟いたその人は、大岩の上から軽々と飛び降りるとゆっくり近付いて、一枚の名刺を渡してきた。

 なにかも分からず、流れで受け取った私に彼はこう言ったのだ。


「そう遠くないうちにまた会おう

 名も知らぬさん」と。



 これが私、香取なぎさと彼の出会いだった。

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