第52話【最期の戦い】


戦場の片隅で、地面に横になったドラゴンにもたれかかり体を休めるヘイゼルの姿があった。

武器も持たずにぐったりと肩を落としたその無気力な様は、それまでの尊厳ある騎士の振る舞いとはまるで別人のようだ。


そんな彼のもとに片足を引きずりながら真っ直ぐ歩いてくる者がいた。


「アスレイか…」


「…逃げることも戦うことも止めて、ここでただ死を待つつもりかヘイゼル?」


語りかけてくるアスレイの方を見もせず、ヘイゼルは力なく呟く。


「王女は死んだ。護るべきものを失った騎士に、もはや存在価値などない…」


「だからこそ、もう俺達は自由だ」


アスレイは折れた雷光剣の柄から雷の魔石を抜き取ると、剣を地面に落とした。


「これからは忠義も使命もなく、自分の意志で運命や護るべきものを決められる。そして、この世界にはまだ多くの人々が救いを求めている」


「…勝ち目は無いぞ。あれはこの世界そのものだ」


「戦わずして結果は見えない。だから俺はその先を見に行く。…あんたはどうしたい?」


「………」


ヘイゼルは何も答えない。

代わりにドラゴンの体を優しく撫で、瞼を下ろして深く息を吸った。







世界樹の怪物と化したクレイスを倒すことができるのは、魔王ヴァルガスの炎のみ。

早速救出に向かうべくトラックは走り出したが、無論、彼を狙うのは昌也達だけではない。


誰よりもその脅威を感じていたのはクレイス自身だ。

クレイスは自らの足下で這いつくばるヴァルガスを持ち上げると、眼前で睨む。


『魔王ヴァルガス…。お前を殺せばもはやこの僕に太刀打ちできる者はいない』


重傷を負い、生殺与奪を握られたこの絶望的な状況に瀕しても、何故かヴァルガスはクックックと笑みをこぼしていた。


『何がおかしい!?』


「…あまり他の連中を見くびらない方がいい」


『?』


次の瞬間、突然付近の地盤がボコボコと隆起したかと思うと、それに合わせて跳び上がったダイタスが巨大な戦鎚でクレイスの腕を叩き折ったではないか。


千切れた腕と共に落下するヴァルガス。

しかし真下にいた魔獣が受け止め、そのまま背中に乗せた。


『!』


それに気を取られていたクレイスを、背後から出現した巨大なゴーレムがガッチリと押さえつけて動きを封じる。


「…魔界一の落ちこぼれが今や世界の支配者とは、随分と出世したものですね」


ゴーレムの肩の上からモアが挑発する。


「クレイス…儂の孫よ。ガレディアが死んだ後、もっとお前と向き合うべきだった。こうなる前にな」


足下のダイタスを見て、クレイスは怒りを剥き出しにした。


『じいさん…あんたは森にこもりきってばかりで何もしてくれなかった!』


折れた腕の根元からみるみる植物のつるが伸びて再生を始める。

蔓はゴーレムの脚に巻き付いて縛り上げると、強い力を込めて脚を砕いた。


バランスを崩したモアは瞬時に岩を分解して自らの全身を強化する装甲へと変える。

そして落下の勢いそのままにクレイスへと殴りかかった。


『!』


岩の拳がめり込んでよろめくクレイスは、その時遠くを走るトラックを見つける。

真っ直ぐこちらに向かってくるそのフロントガラス越しにリセの存在を確認し、すぐに目的がヴァルガスだと気付いた。

リセには治癒能力があると聞いたことがある。

ヴァルガスの傷が癒えればこちらの身が危うい。


『…どいつもこいつも僕の邪魔を!』


クレイスは周囲一帯に張り巡らせた根を、戦場のいたるところに転がっている兵士やドラゴン、トロール達の死体に突き刺す。


するとあろうことか、死体が次々に起き上がって動き始めたではないか。

だがその瞳は虚ろで、どう見ても意識があるようには見えない。

まるで見えない糸に操られ、無理矢理行動をコントロールされている生身の人形である。




「あれ見て!?」


あちこちで屍が甦る地獄絵図を目撃し、トラックを運転する康は驚愕する。


「嘘だろ…」


「みんなずっと死んだふりしてたのかな?」


「そんなわけない。あいつが死体を操ってるのよ!」


コルアの疑問をエリエスが否定する。

その証拠に、生ける屍達はクレイスを守るかのように続々とトラックの前に立ち塞がった。


「これってね飛ばしていいのかな!?」


ブレーキとアクセルの上で足を迷わせながらオロオロと問い掛ける康。


「いいに決まってる!あいつらゾンビだぞ!?」


「ほんとに?ほんとに!?」


「やっちゃえヤスシ!」


昌也とコルアが急かす。

目の前に立ちはだかる兵士達を見て、ふと康はアルマーナで王の剣と対峙した時のことを思い出した。

あの時、人を殺すのを恐れてアクセルを踏むことができなかったせいで皆を危険に晒し、昌也に手を汚させてしまった。

でももう二度と仲間をそんな目には合わせたくない。

康は覚悟を決めてハンドルを強く握り締め、アクセルを踏み込んだ。


ドッ!と鈍い音を立て、ゾンビ兵士と衝突するトラック。


車内にもその衝撃が伝わり、皆はシートベルトを握る手に力が入る。

その後も迫り来る敵をぎ倒しながら強引に突き進むも、人の壁に阻まれてトラックの速度は徐々に落ちていく。


直後、何かに乗り上げたかの如く突然トラックの動きが止まった。


「!?」


いつの間にか後ろに回り込んでいた巨大なトロールがトラックの荷台を掴んで持ち上げていたのだ。

体が前のめりになってシートベルトが食い込み、地面から浮き上がった後輪はキュルキュルと空回りする。


絶体絶命と思われたその矢先、どこからともなくドラゴンの鳴き声が響いた。


「…あれは!!」


見ると、アスレイとヘイゼルがドラゴンに乗ってこの窮地に駆け付けてきたのだった。

ドラゴンの吐く炎により燃え上がったトロールは堪らずトラックから手を放して倒れる。


アスレイ達はそのまま上空を旋回しながら、怪物と化したクレイスや戦場全体を見渡す。


「…俺達二人ではあの化け物は倒せない。あいつらの援護に徹するぞ」


「よもや魔族に手を貸すことになるとはな…」


「世界が滅ぶよりはずっといい」




上空にアスレイ達の姿を捉え、モアがニヤリと微笑む。


「…ふっ、人間も少しは気が利くようですね」


一瞬、意識が逸れたその隙を狙ってクレイスの振った腕がモアを襲う。


「っ!」


体を打ち付けながら地面を転がるモア。

追撃を防ぐ壁を作ろうととっさに杖をかざすも、大地の砂粒が僅かに動くばかりで土を操ることができない。

再びクレイスの一撃を受け、岩の装甲が完全に砕け散った。


「ぐ…!」


昌也達と戦い、ヘイゼルを足止めし、休みなく連戦が続いたモアの魔力がとうとう限界を迎えたのだ。

こうなってしまっては魔石の埋まった杖も、ただ体を支える為の棒切れ同然。


隣に立つダイタスや二匹の魔獣も傷を負い、息を切らして肩を大きく上下させていた。


「まったく…歳には勝てんな…」


「私も、どうやら魔力が尽きたようです…」


二人は大きく溜息を吐き、走るトラックを見つめる。


(…頼みましたよ。世界を救えるのはあなた方だけです)


クレイスの巨大な手が、二人を押し潰すべく振り上げられる。

ゴロゴロと上空を包む雷雲が不穏な音を響かせ、嵐の到来を予感させた。

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