第42話【おっさん参戦】


とっさに振り上げた康の剣が土人形を斬り裂いた。

それは人形の攻撃を完全に見切った上での反撃の一撃。


聖剣を手にするなり急激に変わった康の動きに最も驚いたのは、モアやコルアよりも康自身だった。

今までの人生で剣はおろか拳すら握ったことのないような男である。

自分の放った一刀が敵を倒したことが、まるで信じられないといった顔をしていた。


「…ガレディア!」


モアが怒りに顔を歪める。


「何だ…今の」


自らの体に起きた異変に戸惑いを隠せない中、康の脳内に数多の人間の声が響く。

例えるならそれは、燃え盛るビルの中に閉じ込められた何百人もの人間達が放つような、身の毛もよだつ阿鼻叫喚。


あまりのおぞましさに反射的に手を離そうとした康だったが、掴んだ指が硬直して剣と一体化しているような感覚に陥った。


(う…吐きそう…)


自分の思考の中に誰のものかも分からぬ魂がいくつも流れ込んでぐちゃぐちゃに掻き回される。


(昌也君はこんな状態で戦ってたの…?)


気分の悪さに剣を構えるどころではなく、思わず剣を地面に立てて寄りかかった。


「…ヤスシ?」


聖剣を握ったままよろめく康をコルアが不安そうに見守る。


「…ふっ。どうやら彼には使いこなせないようですね」


モアはしめたとばかりに口角を上げ、すかさず人形を一斉に操って康のことを殺しにかかった。


(駄目だ…ぼくが戦わないとみんな殺される…)


自分の後ろには弱りきった昌也やコルア、エリエスがいる。

皆を守る為に、いかなる理由があろうと立ち止まるわけにはいかない。


康は腕に力を込めて剣を強く握ると、一心不乱に聖剣を振るった。

ほとんどやけくそに近い動きにも関わらず、その刃は見事に人形達を捉えて土へと還していく。


モアにとって、先程までずっと非力だった中年男に自らの魔力が圧倒される様は悪夢そのものであった。


「お前如きに…」


人形が全て消滅させられたのを見て、モアの怒りが頂点に達した。


「お前如きに私の計画を崩されてたまるかっ!!」


モアは持てる魔力の全てを使い、自らの肉体に大地からかき集めた土を集束させた。

その姿はみるみる内に砂や石などあらゆる鉱物を纏って膨れ上がり、やがて彼自身が全長5m程のゴーレムへと変貌した。


昌也達が先程倒した巨大ゴーレムよりは小さいものの、その分装甲が凝縮されており、その強度はこれまでの人形達とは比べ物にならないほどの硬さを誇る。


モアが繰り出してきた拳を康は剣で迎え撃ったが、まるで刃が立たずに弾かれてしまった。


(硬い…!)


岩よりも重い拳がめり込み、康の体が地面を勢いよく転がる。


だが体勢を整える暇も無く、モアはその巨体に似つかわしくないくらい機敏な動きで追撃をかけてきた。

康の上に巨大な影が覆い被さる。


「!!」


とっさに身をよじる康。

直後に上空から落下してきたモアの体が真横の地面をえぐった。

もしも回避があと一秒でも遅れていたら押し潰されて死んでいただろう。


冷や汗が康の背中を湿らせる。


再び斬りかかる康だったが、聖剣の力をもってしてもモアの外殻を僅かに削るばかりで、切っ先が本体まで届かない。


「人間風情が魔族に敵うとでも思ったか!?」


こちらの斬撃に怯みもせず、憎しみのこもったモアの攻撃を避けるのに精一杯な康。


(駄目だ、勝てない…)


もはやできることは一つ。

康は攻撃を諦め、剣を下げてモアから距離を取る。


「?」


どれだけ攻め込んでも反撃をせずに逃げ回る康にモアは違和感を覚え、すぐにその意図に気が付いた。


「…なるほど、時間稼ぎというわけか」


「!」


モアは康から視線を外し、昌也達の方を向く。

そして瀕死の昌也を救うのに手一杯な様子のエリエスを見て、狙いをそちらへと変えた。


「やめろ!」


焦って斬りかかる康だったが、モアはそれをものともせずにエリエスへと突っ込む。


「マサヤに手を出すな!」


「こざかしい!」


コルアと3匹の魔獣も足止めに入ったが、強靭なモアの前では飛ぶはえに等しく、成す術もなく弾き飛ばされてしまった。


怒涛の勢いで昌也とエリエスの目前まで迫るモア。


もはや誰も止める者などいないと思われた、まさにその時。

突如として現れた何者かが戦鎚せんついを振りかぶり、モアの右腕の装甲を粉砕したではないか。


「っ!?」


その場にいた誰もが驚き振り向くと、そこに立っていたのは鍛冶屋のダイタスであった。


小柄な体に不釣り合いなほど巨大な戦鎚を携え、昌也達を守るようにしてモアの前に立ちはだかる。


「あまり儂の犬達を虐めんでくれ、モアよ」


「ダイタス…!」


想定外の人物の登場に、モアの表情が凍りつく。


「森が騒がしいと思って来てみたら、随分と荒らしてくれたな…」


チラリと瀕死の昌也や傷だらけの一行に目を配り、ダイタスは大きな溜め息をこぼした。

一方モアは装甲を砕かれて露出した右腕をかばいながら不愉快そうに眉間に皺を寄せる。


「…そこをどいて頂きましょうか。その蛙を捕らえることが魔王のご命令なのでね」


「ふん、どうせ戦争に利用する魂胆だろう。くだらん真似はよせ。もう殺し合いには疲れた」


「森に籠りきりのあなたは何もご存知ないでしょうが、近々人間どもが世界樹を狙って攻め込んでくるのです。戦争は避けられない」


「その時はその時で思い知らせてやればいい。だがこやつらは戦争と無関係だ」


「今は無関係でも、これほど強大な力を人間どもが放っておくはずがない。奴らに利用されるくらいならいっそここで始末しておかなくては」


一度ラノウメルン襲撃を失敗していることもあり、モアはどうあっても退くわけにはいかなかった。

エリエス達を狙ってジリジリと距離を詰めようとするが、ダイタスから発せられる圧に怯んで踏み込むことができない。

そんなモアの葛藤を察して、ダイタスは気だるそうにぼやく。


「…分かっとらんな。儂はこやつらを守っとるんじゃない。お前を守っとるんだ」


「は…?」


一瞬眉をひそめたモアだったが、すぐにその意味に気が付いた。


既に昌也の治療が終わり、エリエスが魔石を光らせてこちらを睨んでいたからだ。

水の精霊が出現し、ダイタスの隣に立つ。


それだけではない。


康やコルア、魔獣達。

皆が皆、昌也の前に壁として立ち塞がり、モアに対して鋭い視線を浴びせた。


エリエスの力が解放された以上、もしも手を出せばやられるのは自分であることが理解できないほどモアは愚かな男ではない。


「ふ…」


怒りを堪えているのか、声を震わせるモア。


「…ははははは!」


否。

彼の口から漏れたのは笑い声であった。

怒りや悔しさを通り越し、もはや開き直って笑いが込み上げてくる。


全身の装甲がパラパラと崩れ落ち、モアは肩に残った砂を手で払いのけた。


「…今まで計画をしくじったことなど一度も無かったというのに、あなた達が絡むと顔に泥を塗られてばかりです」


モアはそう言って苦笑いを浮かべ、昌也達の方へと歩み寄る。

そのまま一行の間をすり抜けて横たわる昌也の前で立ち止まると、いきなり杖をかざした。


「何を…!?」


警戒して武器を構える康やエリエスだったが、ダイタスが手でそれを制する。


皆の前で杖が小さな輝きを放ったかと思うと、昌也の体の上に土が集まって固まり、傷口を塞いだではないか。

出血が完全に止まって容態が安定したのを見て、一同は目をパチクリさせる。


「…どういうつもり?」


エリエスが目を細めてモアに問う。


「脅して駄目なら、恩を売ろうかと」


まるで悪意の感じられない笑顔を向けられ、拍子抜けした皆の肩から力が抜けた。


「元はといえばあなたがやったくせに。…でも一応感謝はしておくわ」


緊張の糸を緩めながらも唇をつんと尖らせるエリエスに、モアは何も言わず背中を向ける。

そのまま立ち去るかと思われたが、不意に振り向いて一言付け足した。


「…そうそう、カトリシアに着いたらガルマとクレイスに伝えておいてください」


「?」


「…戦争を起こせば命は無いと」


穏やかな表情から一転、急激に冷酷な一面を覗かせるモア。

それだけ言い残すとやがて森の中へと消えていった。


「誰ですか?そのガルマとクレイスって…」


言葉の意味が分からずに首を傾げるコルア。

それに答えたのはエリエスではなくダイタスであった。


「ガルマは水を操る魔界最強の戦士。そしてクレイスは………儂の孫だ」


「孫?」


ダイタスはどことなく暗い顔をしながら3匹の魔獣達の頭を撫でる。

それ以上何も語ろうとしないのを見てエリエスが口を挟んだ。


「詳しい話は後。今は昌也を安全な場所に連れていかないと」


「そ、そうだね。早くここから出よう」


康はそう言うとあっさり聖剣を鞘へと納め、額の汗を拭ったのだった。

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