第19話【小さな救世主】


真夜中、町に響く人々のうめき声が時間と共に小さくなっていく。

毒が回るにつれて高熱が襲い、声を上げる気力や体力すらも奪われていたのだ。


根本的な治療には薬草が必要不可欠で、それまでにできることと言えば水を飲ませたり、頭に濡れた布を置いて少しでも熱を逃がすことくらい。

だが症状は悪化の一途を辿り、人々からは希望が失われようとしていた。


「…!」


ふと、広場で懸命に昌也の看病をしていたコルアの耳がピクリと立った。


音が聴こえたのだ。

耳を澄ませてみると、それはトラックのエンジン音に他ならない。

間もなくしてトラックが広場に姿を現し、昌也達の前へと停車した。


「みんな!!」


絶望に沈んでいたコルアの表情がパアッと明るく輝く。


「お待たせ!薬草取ってきたよ!!」


康達がトラックから降りると、自警団の男もすぐに駆け寄ってきた。


「待ってたよ!それで、その薬草というのは?」


ヒスタが抱えていた植物の束を広げて見せる。


「…これは、ルコの実!?」


しかしそれを見た男の口から出たのは歓喜の声ではなく、疑心と戸惑いであった。


「どういうことだ!?これは猛毒の植物じゃないか!」


「猛毒!?」


何も知らなかった康とコルアも驚きを隠せない。

自分達が求めていたのは解毒の薬だというのに、その真逆の猛毒だなんて、そんなことあるはずがない。


「ほんとなの、ヒスタちゃん!」


「…はい。でもギルゴアの毒を治すには、この実を食べるしかないって本に書いてました!」


ヒスタの弁明にも聞く耳持たず、男は激昂する。


「ふざけるな!こんなの一口でも食べたら死んでしまう。やっぱりお前、今でも町の人達を恨んで殺すつもりじゃ…」


怒りに狂う男の声が途中で止まった。


弱りきった昌也がゆっくり体を起こして、ヒスタに向けて手を伸ばしたからだ。


「昌也…?」


「…ヒスタは…そんなことしねーよ…」


力なく小さい声だったがその視線は鋭く、睨まれた男は思わず口をつぐむ。

昌也に促されるまま、ヒスタはルコの実を一粒差し出した。


「…それに、どうせ死ぬんだ。今さら毒を食うのに抵抗なんてあるかよ…」


昌也はその青い実を躊躇なく口に放り込むと、奥歯でプチっと噛み砕いたのだった。

途端にドロッとした苦い果汁が広がり、吐きそうになりながらもそれをゴクリと飲み込む。

もしかするとそのまま死んでしまうかもしれないという緊張感で、康達も生唾を飲み込んだ。

あとは効き目があるのを天に祈るのみだ。


その後コップ一杯の水を飲み干し、程なくして昌也の顔色に生気が戻った。


「…何だか良くなった気がする」


「本当ですか!?」とヒスタ。


「ああ、早く他の人達にもその実を食べさせねーと…」


昌也はそう言うと、皆に笑顔を向けた。

どうやら効き目があったようで、一同はホッと一安心する。

しかし落ち着いてる暇はない。


「…そうだね!ヒスタちゃん、ぼくにもそれを分けてくれる?」


「はい!」


ヒスタから薬草を半分ほど受け取ると、康はすぐに広場で横たわる人々の方へと走り出した。

彼女も残りの薬草を持って移動しようとしたが、男が前に立ち塞がってきた。


この期に及んでまだ邪魔をしようというのか。

だがそうではなかった。


「…私にも手伝わせてくれ。さっきは疑って悪かった」


昌也の命懸けの覚悟を目の当たりにして、自分もヒスタを信じてみようと、そう決めたのだ。

ヒスタは男の真っ直ぐな目を見て、彼にも薬草を分けた。


「これを、お願いします」


「ああ」


それぞれ薬草を手にし、駆け出す二人。

その後ろ姿を見送るや否や、昌也は顔を歪めてコルアに寄りかかった。


「マサヤ!?」


「…悪い、もう少しだけ元気なフリをするから合わせてくれ…」


薬草を飲んだとはいえ、すぐに効果が現れるわけもない。

昌也は皆を突き動かす為に、無理矢理笑顔を作ったのだ。


この後もきっと町の皆はルコの実に疑惑の目を向け、中には信用しない者もいるだろう。

だからこそ飲んだ自分が治って元気になった素振りを周囲に見せることでしか、その後押しが出来ないと昌也は考えた。

コルアはそんな昌也の気持ちを汲み取り、彼の体をそっと支えた。










地平線の彼方から光の筋が煌めきを放ち、夜の闇を押しのける。


一夜明けたラノウメルン。


そこには広場で寝息を立てる昌也と康、コルアの姿があった。


彼らが一晩中町の人々のために奔走したかいあって、たった一人の犠牲者を出すこともなく怪我人は残らず快方へと向かったのだ。

まだ自力では動けずに広場に残る者も多いが、それもいずれ元気を取り戻すことだろう。


安心して眠りこける昌也達と違って、ヒスタは一人、トラックのタイヤにもたれ掛かって何やら考え事に更けているようだった。


「…どうしたの、そんなところで」


そこへエリエスがピョンと跳ねてやってくる。

喋る蛙の存在にもすっかり慣れたヒスタは、特に動じることもなく「別に…」とそっけなく答えた。

エリエスはそんな彼女から視線を外し、夜明けの太陽へと目を向ける。


「綺麗ね…」


「…え?」


「私はずっと森の奥深くに隠れ住んでたから、こんな風に朝日を見たのなんて久しぶり…」


「………」


「あなたが薬草を届けなければ、みんな朝を迎えることはできなかった…。だからもっと誇らしくしていいのよ」


そんなエリエスの温かい言葉にも、ヒスタの表情が晴れることはない。


「…私はただ、助けてくれた昌也の為にそうしただけ。町の人達のことは見殺しにしようとした…」


「でもあなたは彼の分を確保した後もずっと薬草を集め続けたでしょ?」


「それは…」


「例えそれが善意だとしても打算だとしても、大勢の命が救われた結果は変わらない。あなたのおかげで、この町に朝が来たのよ」


「………うん」


エリエスの言葉を聞いて、ヒスタはなんだか心の中の氷が溶けたような、そんな不思議な気持ちになった。


目の前で人が死にかけていても、利己的で冷たい態度を取ってしまう自分が嫌いだった。

幼少期に肉親を失ったトラウマをいつまで経っても引きずり、前に進めないことが苦しかった。

でもエリエスのおかげで、ほんの少しだけ、そんな自分を許すキッカケができた気がした。


会話が一段落した時、ちょうど目覚めたばかりの昌也がこちらに歩み寄って来る。


「おはようヒスタ…。って、エリエスも一緒だったのか。お前らいつの間に仲良くなったんだ?」


トラックの中で目が合うなり悲鳴を上げた印象しか存在しないため、昌也は二人が会話していることを不思議に思う。

きょとんとする昌也を見て、ヒスタとエリエスは目を合わせて「さあね」と微笑んだ。


「…マサヤが元気になってる!」


「ほんとだ!」


そこへ寝ぼけ眼を擦りながら、コルアと康もやってきた。

太陽の光に呼び覚まされ、町の人々も続々と起き上がっていた。


機嫌良さそうに尻尾を振り、昌也の周囲をくるくる回って健康状態を観察するコルア。


「ああ、ありがとな。みんなのおかげでもう動けるよ」


「良かった…。死んじゃうかと思った」


嬉しさのあまりペロペロと昌也の顔を舐めるコルアに、康も安堵の笑みを浮かべてヒスタの方を向く。


「…ありがとう。全部ヒスタちゃんのおかげだよ。約束通りトラックの中にある本を全部あげるね」


康の予想とは裏腹に、ヒスタはそれを聞いて大喜びするどころか、どこか気まずそうに視線を逸らした。


「…いえ、やっぱりいいです。私には受け取る資格なんてありません」


「そんなことないよ。君のおかげでみんな助かったんだから。それにやっぱりこの本はぼく達が持ってるよりも、ヒスタちゃんが持ってた方がいい気がするんだ」


「…え?」


言葉の真意が分からず戸惑うヒスタに、昌也が割って入る。


「おっさん、本当にいいのか?この本のおかげで俺達今まで助かってきたのに」


「ぼく達はもう大丈夫だよ。だから今度はヒスタちゃんがこの本の知識でみんなを導くんだ」


康はトラックの荷台を開放すると中に積まれた大量の本を示し、あらためてヒスタに申し出た。


「受け取ってくれる?」


本が何より好きなヒスタにとってそれは垂涎すいぜんたる申し出である。

とはいえ、やはり自分なんかがそんな大切なものを受け取っていいものかという迷いが心に生じる。

ヒスタはすぐには答えを出せず、他の人達の反応を窺った。


昌也、コルア、そしてエリエス。


皆が笑みを浮かべて頷き、肯定してくれているのが分かる。

だが、軽い気持ちで受け取ることはしたくない。


"この本の知識でみんなを導く"


その言葉をしっかりと噛み締めながら、ヒスタは胸を張って前を向いた。


「分かりました。ラノウメルン図書館の司書ヒスタ、あなた方の本をお預かりいたします」


丁寧とした口調で、堂々と言い放つヒスタ。

そこには出会った時のあどけなさは無く、一人の立派な司書としての姿があった。


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