第16話 【火の竜】


回り道をしている暇などなかった。

一行を乗せたトラックは町を突っ切り、最短ルートで海を目指す。


「ひでぇ…」


町に入るなり、昌也達は思わず目を覆いたくなるような光景を目にすることとなる。

あらゆる建物や地面に虫が張り付き、動いている人という人すべてを襲っていたのだ。


家に閉じこもって怯えている者、必死に虫を払いながら逃げ回る者、苦しげに横たわる者。

虫の羽音と人々の悲鳴が混ざり合い、町はあたかも地獄のような有り様と化していた。


見知らぬ男が叫び声を上げながら道を横切ったため、康は慌ててブレーキを踏んだ。


「……っ!!」


その衝撃でヒスタが車内で頭をぶつける。


「痛っ!」


「ごめん、大丈夫っ!?」


「…はい、私は平気です」


ヒスタの無事を確認し、康は前方を向く。

目の前ではさっきの男が虫に襲われ、道の端へ倒れ込んでいるところだった。


「おっさん、早く行こう!今は一人に構ってる場合じゃないだろ」


「~~っ!」


昌也の言葉に鞭打たれ、康はアクセルを踏む足に力を込めた。

トラックが再び前進するも、サイドミラーに映る男の苦しむ姿が目に入って康はたまらず眉間に皺を寄せる。


「こんなの、ひどすぎる…」


コルアはさっきからずっと両手で耳を塞ぎ、怯えたように顔を伏せて塞ぎこんでいた。

獣人であるコルアの聴力は人間の数倍は優れているため、無理もないだろう。


「…海が見えたよ!」


康が声を張り上げる。

市街地を抜けると街灯が無いため視界は悪いものの、暗闇の中で確かに漁港がうっすらと目に入った。

康はそのまま漁港の端にトラックを停車させ、エリエスの方を向く。


「それで、どうすればいいの?」


「魔石を海に投げ入れて。そうすれば後は私が何とかする」


「分かった。昌也君、魔石をお願い!」


「…ちょっと待ってくれ、狭くてなかなか取れねぇ…」


石は昌也のすぐ足下に落ちているのだが、いかんせん膝の上のヒスタが邪魔で思うように手が伸ばせない。

前屈みになった昌也の顔が太ももに触れた瞬間、ヒスタが顔を真っ赤にして叫んだ。


「ちょ、どこ触ってるんですか!!」


バタバタと動かした膝が昌也の顔面にぶつかる。


「あだっ!?おい、暴れるなって!」


「あなたが変なところ触るからですよ!」


何度か蹴られながらも昌也は何とか石を拾い上げる。


「これを海に投げればいいんだな?」


ヒスタの蹴りを防御しながらエリエスに念を押し、彼女が頷くのを見るなりトラックの窓を開ける昌也。


ひんやりとした強い潮風が車内に流れ込んできて髪の毛を靡かせる。

昌也はそのまま半身を乗り出し、暗い海に向かって力いっぱい石を放り投げた。


遠くの方でピチャンと小さく音を立てて海へと沈む魔石。

石は水に触れると、真っ暗な海の中でぼんやりと美しい光を放った。


次の瞬間。

激しい水飛沫を天高く巻き上げながら、海から巨大な水竜が姿を現した。

その光景に圧倒されつつ、舞い散った海水が降りかかってきたため、昌也はすぐさま窓を閉める。


「頼んだぞ、エリエス!」


昌也の掛け声を受け、エリエスは窓際に跳び移ると窓の外を凝視した。

すると水竜が彼女の視線に合わせて移動し、うねりを上げながら町の上空に漂う虫の大群に向かって大口を開けて喰らいかかったではないか。


(…いけるか!?)


一同はゴクリと唾を飲みこみ、ことの顛末を見守る。

しかし虫の群れは想像以上に俊敏な動きでぐねりと形を変え、その攻撃を回避した。


「…!!」


エリエスは水竜を操り尚も追撃を試みるものの、群れの一部を僅かに削り取るくらいで決定打になりえない。


「…ダメね。動きが不規則な上に、暗くて狙いが定まらない」


「じゃあ町の方の虫に狙いを変えてみましょうよ」


コルアが町を指差す。

確かに町中には松明などが置かれ、上空よりは視界も明るい。

…が、エリエスはその案に対して首を横に振った。


「あそこに水を流せば住民まで溺れてしまう。虫が散らばりすぎてて、一ヶ所にでも集められない限り手出しできないわ」


「そんな…」


なすすべのない現状を突き付けられ、一同の表情が絶望に染まる。

このまま人々が襲われる様子を指を咥えて見ていることしかできないというのか。


また一人、家から飛び出した住人が虫に襲われて倒れた。

恐らく建物の中にまで虫が侵入し、逃げ場がないのだろう。

町の大通りは既に何人もの横たわる住人で溢れていた。


惨状を直視するに堪えず、康とコルア、ヒスタの三人は思わず目を背ける。


「くそっ…」


昌也とエリエスだけは顔を歪めながらも、諦めずに虫の動向を追っていた。


「…ん?」


やがて昌也がとある事実に気が付く。


虫は主に松明周辺に密集し、一部に至っては自ら炎に触れて焼け死んでいたのだ。

その証拠に、松明の下にだけ虫の死骸がまばらに落ちている。


「おいっ!あの虫、自分から火に飛び込んで死んでるぞ」


「灯りに集まる習性のせいで、うっかり火に当たってるのかも…」


ヒスタの考察に、エリエスが歯がゆそうな表情を浮かべる。


「ええ、でも私に扱えるのは水だけ。火を消すことはできても、つけることはできない…」


やはり打つ手はないのだろうか。

だが皆が諦めかけている中で、昌也だけは光明を見出だした。


「…いや、いける!エリエス、お前も火が使える!!」


「…え?」


興奮気味に語る昌也に、意味が分からないといった視線を向ける一同。


「ガソリンだよ!」


「…ガソリンがどうかしたんですか?」


「あ…ああ、そうか!!」


やはり意味が分からず首を傾げるコルアの横で、康はハッとして昌也の言いたいことを即座に理解した。


「どういうこと?」


エリエスの疑問に、昌也の代わりに康が鼻息を荒くして答える。


「ガソリンは燃えるんだよ!」


「液体なのに燃える?…もしかして、油みたいなものなの?」


「そう!今度はガソリンを操ってあの竜みたいにしてくれる!?」


「…分かった。じゃあガソリンを出すから蓋を開けて」


「うん、ちょっと待ってて!」


康は一度深く深呼吸する。


ひとたびトラックから出ると、そこは毒虫が蔓延る危険な野外。

しかしこのまま人が苦しみ倒れる様子を見ていることなどできないと覚悟を決め、康はドアを開けた。


外に出るなり虫の羽音がより一層激しく聴こえたことに怯みつつも、康は急いでトラックの左側へと向かい、給油口の前へ立つ。


「早く早く…!」


両手が震えてうまくいかない。

しかしどうにか給油口に鍵を挿すと、そのまま蓋を開け放った。

それと同時に上空から水竜がトラックめがけ勢い良く落下してくる。


「ひっ!」


驚いた康がとっさに頭を押さえてうずくまると、魔石が給油口へと飛び込み、水竜はそのまま地面にぶつかり爆ぜた。

代わりにトラック内のガソリンが竜となって給油口から飛び出したのだった。


「…よし!」


成功を見届けた康は慌ててトラックへと駆け戻る。


「や、やったよ!」


「ありがとな、おっさん!」


息を切らせる康をねぎらい、昌也がポンと肩を叩いた。


「…それで、これをどうすればいいの?」


ひとまずトラックの外でガソリンの竜を待機させ、次の指示を待つエリエス。


「ああ、そのまま竜をあの松明に近付けてくれ!」


「一気に燃え広がるから、町の人達にぶつからないよう注意してね」


「…分かったわ」


昌也と康の言葉を信じ、エリエスは竜を松明へと送り出した。

そして竜の頭を火の粉が掠めた刹那のことである。

まばゆい光と共に頭から尾まで炎が一気に伝い、水竜だったそれは瞬く間に灼熱の火竜へと変貌を遂げた。


「おおっ!」


油の発火とは比にならない凄まじい炎の勢いに気圧され、息を飲む一同。


「凄い…」


「何なのこの液体…」


「これは、興味深いですね…」


轟々と燃え盛る火竜の姿に、コルアとエリエス、ヒスタの目が釘付けになる。

しかしその炎の強さに焦ったのは三人だけではない。


「ヤバい、火力が強すぎる。…エリエス、竜を遠ざけてくれ、町が燃えちまう!」


「…え、ええ」


昌也から促され、エリエスは戸惑いながらも火竜を上空へと昇らせる。


その太陽と見紛うばかりの光と熱気につられて、町中の虫たちも竜を追うようにして一斉に飛び上がった。

昌也の目論もくろみ通りである。


「いいぞ。そのまま虫を集めながら出来る限り高く上げてくれ」


月明かりの下で竜と虫が絡み合い、舞い踊りながら上昇を続ける。

その光景はどこか神秘的ですらあった。


皆が空を見上げて目を奪われる中、「…この次は?」とエリエス。


「…ああ、ガソリンを霧状に変えて空中にばらまけるか?」


「え!?それって…」


昌也の言葉の意味を唯一理解した康が冷や汗を垂らす。


「…どうなるんですか?」


康の反応からただならぬ雰囲気を察し、コルアが恐る恐る尋ねた。

ヒスタも無言で昌也の方を向く。


「見てのお楽しみだ」


昌也が笑った。


「いくわよ!」


エリエスが叫ぶと同時に、竜の体が一層輝きを増した。


直後。


凄まじい閃光と衝撃が闇夜を切り裂き、一瞬だけ世界を朝に変えた。

轟音が一帯を駆け抜け、町全体をビリビリと震わせる。


それはまるで何十発もの花火を同時に打ち上げたような大爆発であった。

夜空に咲いた巨大な炎の花は、見るものの目をも焼いてしまいそうなほどに眩しく、皆は反射的に瞳を閉じる。


まぶたを上げると、次に見えたのは空から火の雨が降り注ぐ恐ろしい景色。

それは数多の焼けた虫達が炎を纏って落下しているに他ならない。


「やった…」


先ほどまで夜空を埋め尽くしていた虫の大群が残らず灰になったのを見届けて、ようやく一行はホッと一息つく。

トラックの座席にもたれ掛かり、疲労感を漂わせながらもやり遂げた英雄達の姿を月明かりが照らしていた。

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