第8話【病の正体】


一夜明けた村。


そこには朝からタイヤ交換に励む昌也と康の姿があった。

車の知識など全くない昌也に対して、康は逐一丁寧に指示しながら協力して作業を進める。


「…これが直ったら、どうしようか?」


康はパンクしたタイヤをトラックから外しつつ、昌也に話しかけた。

ん?と昌也は煤汚すすよごれなどで黒く染まった手を一旦止めて考え込む。


「どうするったって…、ここに居ても病気で死ぬだけだし、どっか遠くに行くしかないよな」


「どっか…て何処?」


「そんなのは分からないけど、どっかだよ」


終わりの見えない押し問答を繰り広げる二人。

正直、後ろめたさはあった。

自分達にはどうすることもできないとはいえ、村に溢れる病人を見捨てていくような、重苦しい罪悪感。

それに知り合って間もないものの、母親を失うコルアの心情を思うとやるせない気持ちになるのは当然のことだろう。


「仕方ないだろ、どうすることもできないんだから…」


まるで自らに言い聞かすような昌也の口振りに康はチラッと目をやる。

だが昌也の複雑な表情を見て、またすぐに作業を再開した。


「それにしても酷い病気だね。理性を失って暴れ回るなんて、まるで狂犬病だ」


「…え?」


「狂犬病って知らない?かかった犬はあんな風に暴れ回るらしいよ」


「狂犬病…」


康の言葉を聞いて、何故か動きを止める昌也。

しばらく何かを考え込む素振りを見せていた。


そしてその後ふと彼の口にした一言が、リノルアの運命を大きく変えることとなる。


「…もしかしたらさ、病気に関しては俺達の世界の概念も通用するんじゃないか?」


「…!」


康の目が、ハッと見開かれる。


その瞬間二人の顔から先程までの陰りが消え、希望の光が射した。


昌也はタイヤ交換を止めて大急ぎでトラックの扉を開けると、助手席から一冊の本を取り出す。

移動中ずっと読んでいた例の動物図鑑だ。

昌也は病気に関して書かれたページを捲ると食い入るように文字を見つめて読み始めた。


「…やっぱり狂犬病なのかな?」


康が後ろから覗き込み、恐る恐る尋ねる。


昌也は言われた通り狂犬病について記載されたページに目をやり、内容を頭に叩き込んでいた。


「…症状は似てるけど、多分違う。狂犬病は噛まれたりしない限りほとんど感染しないから、伝染病みたいな広がり方はしない」


言いながらページを捲り続ける昌也。


"のた打ち回る"


"首を掻き毟る"


"衰弱していく"


村長から聞かされたキーワードを思い返し、当てはまる情報を必死に探す。

康も同じく息を飲み、自分なりに開かれたページに目を通した。


「…!」


ピタッと昌也の手が止まる。


その記事を目にした途端、昌也の背筋が伸び、本を握る手に力が入った。


「…おっさん!」


何度も読み返して内容を把握し、"当たり"とおぼしき情報を見つけた昌也は興奮気味に声を上げた。

昌也に促されて同じページを読む康。


「これって…」


二人は目を見合わせ、確信した。

思うが早いか、本を置いて即座に駆け出す昌也と康。


ちょうどそこへコルアが現れる。

昨日から何も食べていない二人に差し入れをと、食事を用意して持ってきたのだ。

コルアは二人を見つけると声をかけた。


「あ、よかったらご飯…」


「一緒に来てくれ!!」


「…え?え!?」


まるで台風のような勢いで迫ってきた二人に急かされ、訳が解らず戸惑うコルア。

そのまま食事を置いて強引に連れていかれた。


向かった先は、コルアの母親の家。


近くに寄ると、中からは相変わらず苦しそうな声が漏れ出ていた。


「どうしたんですか急に!?」


全く意図が読めず、説明を求めて二人を交互に見るコルア。


「もしかしたら病気が治せるかもしれない!とにかく、もしお母さんが暴れたら押さえてくれ!」


「え!?」


大雑把な説明で、いまいち頭がついていかない。

しかし母親が治るかもという言葉に希望を見出みいだしたコルアは真剣な表情で頷いた。


「…どうされましたか?」


騒々しい雰囲気に一体何事かと、村長のテルードや村人達も集まってくるが、構っている暇はない。


「今はとにかく早く確かめないと」


康の言葉に昌也は頷く。


「行くぞ!」


昌也は意を決して腕に力を込めた。

村の者達が止める間もなく、音を立てて開かれる扉。


「お母さん!」


力なく床に這いつくばる母の姿を見て、真っ先に駆け寄るコルア。

すでに母はぐったりとしていて、その姿からは体を起こす気力も感じ取れない。

続けて屋内に入る昌也と康。


すぐに充満した悪臭が鼻につく。

家から出ることを禁じられたか、それとも自ら閉じこもったのか分からないが、獣臭さに加えて糞尿の匂いも混ざっていた。

一瞬鼻を押さえて顔を歪めた二人だったが、急いで母のそばへと向かう。


「一体何を…」


村人達は伝染病を恐れて玄関の外から様子を窺う中、昌也は横たわる母の首もとや腕、背中などを入念に手で撫で始めた。


「病気が移るぞ!」


恐れる村人達の忠告を無視し、汗や汚れでベタついた体毛を丁寧に掻き分け、昌也は"何か"を探す素振りを見せていた。

コルアは母の手をしっかりと握り締め、固唾を飲んで昌也の仕草を見守る。


一段落したのか、フー…と深く息を吐く昌也。

そのまま静かに康の目を見て無言で頷いた。


「じゃあやっぱり…!」


昌也の反応に、康が声を上げる。


「…ああ、多分こいつが原因だ」


母の体毛の中から指で慎重に取り出した"それ"を、昌也は見えやすいように掲げた。


その場にいる全員の視線が昌也の手に注がれる。


昌也が持っていたのは、赤黒く膨らんだ直径1cm~2cm程の丸い物体だった。


「…一体何なんですか?」


正体が解らずコルアが顔を近付けると、その謎の物体は複数生えた針先のような小さな足をバタバタと動かしていた。


「ダニだよ」


「…ダニ?そんなのが病気の原因なんですか?」


そのような小さな存在を意識したこともなかったのか、コルアが首を傾げる。


「こいつが身体中に付いてた。多分毒性が強くて、全身に強い痛みや痒みが走ってるはずだ」


「だから苦しくて暴れてたんだよ」


康の相槌あいづちに昌也が頷く。


「その上、放っておいたせいで増殖して血を吸い続けてるから酷い貧血を起こしてる。このままいけば衰弱して死ぬのも時間の問題だ」


それを聞いてコルアは慌てる。


「どうすればいいんですか!?」


「全身のダニを取り除いて、栄養あるもん食わすしかない。さっきの飯を持ってきてくれるか?」


「もちろんです!」


コルアは急いで立ち上がり、玄関の人だかりを押し退けて走った。

呆然と立ち尽くす村人達に向かって康も声をかける。


「みんなも手伝って!すぐに病気の人達のダニを取ったり、ご飯をあげたりして」


そうは言われても…と突然のことにどよめき、躊躇ためらいいを見せる群衆。


「…本当にそれで病が治るのか?」


疑惑の目を向けるテルードの前に昌也が立った。


「やってみなきゃ分からない。でもやらないと、遅かれ早かれどうせみんな死ぬぞ」


「………」


何も言い返せないテルードに、昌也は念を押す。


「ちなみに予防するには毎日風呂と洗濯。汚れはあらゆる病気の根源だからな」


昌也の真に迫る説得と、戻ってきたコルアが母を介抱する慈愛に満ちた姿に、村人達の心が動くのにそう時間はかからなかった。

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